世界一初恋2   後




恋人との昼食を断った→けどやっぱり会いたくなって会いに行ったら、他の女の子と腕を組んで歩いていた→俺、呆然→え、もしかしてこれって、


浮気?










「なんだよ、この→………」

ぐったりと、自分の脳内に浮かび上がる→に苦言を漏らす俺。
何だよ、「浮気?」って。思考が女々しすぎるだろ。自分で自分が嫌になる。そして、何より。

女の子と歩いてる雪男の姿が何だか、すごく、自然に思えて。
同性で、双子で、俺は悪魔で。普通の人間とは、お世辞にも言えなくて。
そんな俺が隣にいるよりも、可愛い女の子の方がいいのかなって。そんな風に、考えてしまう。
だから、あの日から何となく、雪男のことを本格的に避けてしまっている自分がいる。つまり、「押してダメなら引いてみろ」作戦は、未だ継続中だということで。
メールも、電話も、雪男からしてくれて。でも、それに返事を返せないまま。部屋に居ても、雪男は仕事で忙しいし、すれ違ってばかり。
あぁ、このまま何事もなかったかのように、元のただの兄弟に戻るのかなって、なんとなく思った。

……雪男は、それでいいのかな。
いや、たぶん、きっと、気にしない。だって俺が避けても、他の誰かと一緒にいても、気にした様子なんてなかったんだから。

「……―――ちくしょう」

自分でも必死すぎて、嫌になる。でも、それも全部、雪男がすきだから。
だから、自分だけが空回ってるような気がして、苦しい。苦しくて、辛い。

「………っ、ゆき、お……」

笑った顔が好きだ。困った顔も、真剣な顔も。怒った顔だって、ちょっと、好きだ。
体つきも、声だって、ぜんぶ。
兄さん、って呼ぶ、あの柔らかさが……―――すきだ。

すきだから、これ以上、関わるのが、辛い。
だから………、もうやめよう。これ以上すきになったら、後戻りなんてできないから。
俺は携帯を取り出して、短縮の「1」を押そうとして。
ブル、と携帯が震えた。タイミングの良さにビク!と肩を震わせて、画面に表示された番号を見て、またさらに驚いた。

『雪男』。

その名に、ぎゅう、と胸が締め付けられて。名前を見るだけでも、胸の奥が軋んだように痛んだ。その痛みを抑えるように一つ息を吐いて、そっと電話に出た。

「もしもし………」
『あ、兄さん。やっと出てくれた……。どうしたの、兄さん。電話もメールも返事くれなくて、心配していたんだよ?』
「………―――」
『兄さん、今日はちゃんと話をしよう?』

柔らかく耳に響く声は、とても暖かくて優しい。少し前なら、それがとても嬉しくて、浮かれているのを隠すのに必死だった。
だけど今は、泣きたくなるくらい、胸に鋭く響いて。

「もう、止めよう」

ぽつり、と胸の痛みが言葉となって口を出た。

「………え?」

呆気にとられたような、呆然としたような、そんな雪男の声が電話口から聞こえてきた。俺はぎゅっと唇を噛み締めて、もう止めよう、ともう一度言った。

「もう、面倒になったんだよ。兄弟でこんな関係、おかしいだろ」
「そんなこと……。というかね、あのさ、兄さん、この前からどうしたの?」

気遣うような雪男の声に、むしょうに苛立った。なんだよ、今更心配されても、嬉しくも何ともねぇよ。どうせなら、「押してダメなら引いてみろ」作戦中に、その言葉が欲しかったのに。
俺はその苛立ちのまま、だからさ、と口調を荒げた。

「もう、いいんだよ。どうせ俺、お前の顔が好きだっただけなんだし。それに、それももうそんなに好きじゃなくなったし。元の兄弟に戻ろうぜ?そのほうが、お前のためにもいいだろ」
「よくないよ、兄さん。ちょっと落ち着いて。ちゃんと僕の話を聞いて。僕は……―――」

聞きたくない。とっさにそう思って、俺はじゃあな、と早口に別れを告げて、電話を切った。そのまま、電源ごと切る。静かになった携帯の画面には、苦しげな俺の顔が映っていた。

「っ、くそ………」

小さく悪態をつく。
嫌いだ、と言った。だけど本当は、すきでしかたなかった。面倒になったなんて、嘘に決まってる。
だけど、こうでも言わなきゃ、俺自身の諦めがつかなかった。
雪男は、きっとこんな俺の気持ちなんて分からないんだろう。また兄さんが我がまま言ってる、ってくらいにしか取られないに違いない。実際、傍から見ればそんな風に見えるだろう。

このまま、何ごともなかったかのように、元の兄弟に戻る。恋人というカテゴリにいた雪男を、フェードアウトさせればいい。いつも、やってきたことだ。だからきっと、いつものようにできるはずだ。いいや、できなければならないんだ。

「………、雪男」

胸の痛みに、苦笑を漏らす。それが簡単にできっこないってことくらい、自分でも分かっていた。




そのまま寮に帰るのは気まずくて、学園内をとぼとぼと歩いていた。夕方の学園はちらほらと人がいるくらいで、昼間のような騒がしさはない。ぽつりぽつりと灯される外灯をぼんやりと眺めていると、燐?という聞きなれた呼び声が聞こえて、振り返った。そこには思ったとおり、荷物を抱えたしえみが不思議そうにこちらを見ていた。

「よぉ、しえみ!その荷物は……買い出しか?」
「う、うん。今日の晩御飯のおかずを買いに来たの。燐は?」
「えっ、あ、いや、その、散歩?」
「ふぅん?お散歩かぁ」

適当に言ったものの、しえみは疑問に思うことなく納得していた。サラサラの髪が揺れて、最初に見たときも思ったけれど、まるで人形みたいだ。
可愛いな、と思う。恋愛対象としては見れないけれど、こういう子を見ると無条件で守ってやりたくなる。それはきっと俺が男だからだろう。そしてこの気持ちが、普通は好意へと変わる。
だけど俺は、その過程には辿り着けない。それはひどく、矛盾しているようにも思えた。
まぁ、それは今更といえば、今更なんだけれど。内心で、苦笑を漏らす。

「あのね、燐。お母さんから、今日の晩御飯はお味噌汁とお吸い物、どっちがいい?って聞かれたんだけど、私どっちも好きだから決められなくて……。燐はどっちがいいと思う?」
「うーん。この時期なら、じゃがいもが取れるから、味噌汁の方がいいんじゃねーか?」
「そっか!いいね、じゃがいものお味噌汁」

えへへ、と無邪気に笑うしえみに、俺も小さく笑みを零す。
するとしえみは、少し迷った素振りを見せた後に、あのね、と俺を見上げてきて。

「燐、最近雪ちゃんと喧嘩したの?」
「!」

伺うような視線。だけど真っ直ぐに寄越されたその言葉に、どくん!と心臓が大きく高鳴った。
動揺する俺をどう見たのか、しえみは眉を下げて心配そうな顔をした。

「なんだか、二人とも様子が変だったし、もしかしてって思って……。あの、間違ってたらごめんね?でも、気になっちゃって」
「……しえみ……」
「燐。喧嘩したなら、ちゃんと謝らなきゃダメだよ。……私にそう教えてくれたのは、燐だったでしょ?」
「………うん」

ね、と少し切なく笑うしえみを、強いな、と思った。
違えたまま別れる辛さを知っている。誰もそんな思いをして欲しくなくて、とにかく必死だった。
だけど………、心配してくれたしえみには悪いけれど、これは喧嘩と呼べる喧嘩ではないのだ。一方的に俺が怒って、一方的に俺が切った。一人で空回ってるだけなんだから。

「ありがとな、しえみ」
「いいんだよ、お礼なんて。私、二人にはお世話になったから、少しでも恩返しがしたいの」

晴れやかに笑ったしえみは、外灯の光に照らされて、とても眩しかった。その眩しさに目を細めていると、俺たちの行く先の外灯の下に、数名の男が集まっているのが見えた。どこからどう見ても、ガラのいい連中じゃないことは明白だ。俺はさりげなくしえみと彼らの間に入って、俺の姿でしえみを隠そうとした。
頑なに前を向いて、目を合わせないよう足早に通りすぎようとして。

「あれ、奥村じゃん」

男たちの中の一人が、俺を呼んだ。ぎく、と肩を震わせていると、外灯の下から一人の男が近づいてきた。耳や鼻にピアスをしたソイツは、俺の顔を覗き込んで、やっぱり、と声を明るめた。

「ひっさしぶりじゃん。何、お前、正十字学園に入学したんだ?」
「………誰だよ、お前」
「えー?やだな、忘れちゃったの?元カレの顔」
「!」

元カレ。あぁ、そうかこの男。昔遊びまくってた頃の彼氏(というよりセフレに近い)の一人か。
納得しつつも胡乱げな目で見れば、男は俺の影にいるしえみに気づいたらしく、へぇ、と口笛を吹いていた。

「可愛い子連れてるじゃん。なに、お前、趣旨変えでもしたわけ?違うよな、お前、根っからの男好きだし」
「っ、黙れよ。テメェには関係ないだろ。……行こう、しえみ」
「う、うん」

不穏な空気を察したのか、しえみは頷いて俺の服の袖を掴んだ。小さな手が俺の袖を掴むのを見て、足早に立ち去ろうとした、そのとき。

「お、っと、ちょっと待てって」
「!なんだよ」

また一人、男が俺の前に立ちふさがった。へら、と笑ったソイツは、俺に近づくと馴れ馴れしく肩を抱いた。

「久しぶりの再会なんだから、ゆっくりしていけよ。お前の彼女もさ。あ、それなら彼女も交えて3Pでもするか?俺、こういう女犯すのすっげぇ好きなん、」

「………――――――失せろ」

低く、唸る。それ以上、汚い言葉をしえみに聞かせたくなかった。
キッと目の前の男を睨み上げる。元々目つきが悪いせいか、男は睨んだだけで軽く怯んだ。その隙を、俺は見逃さない。グッとしえみの肩を押す。

「しえみ、走れ!」
「え、でもっ」
「いいから。俺は大丈夫だから!」

行け、と言えば、しえみはぐっと唇を噛んで、走り出した。小さくなる背中に、ホッとする。連中も走っていくしえみを追わなかった。なぜ追わないのかは、何となく分かっていた。
コイツらは俺と同類か、もしくはバイセクシャルだ。つまり、女にそれほど興味を持っていない。だからしえみが走り去ったところで、追う理由がないのだ。

「……へぇ。マジであの子、お前の彼女なん?」
「ちげぇよ。そんなんじゃねぇ」
「ふぅん?ま、別にどうでもいいけどさ。………な、奥村。俺と遊ばないか?昔みたいにさ」
「……」

肩を抱いた男が、耳元で囁く。軽く唇を押し当てられて、ぞわりと鳥肌が立った。もちろん、気持ち悪いという意味で。

「お前のことが忘れられなくてさ。あっちの具合、最高だもんな、お前」
「どうせ今、彼氏いないんだろ?だったら、いいじゃん」

彼氏。
恋人。
そうだ。今の俺には、そう呼べる存在はいない。いくら脳裏に弟の姿が過ぎったとしても、もうアイツのことを恋人と呼べないんだ。
絡んでくる男たちの手が、肩に、腰に、触れてくる。その手を、ぼんやりと受け入れた。
………―――、雪男。
アイツは、もっとゆっくりと触れてくる。まるで溶かすように。そして、兄さん、って優しい声で呼ぶ。
だけど、その手も声も、もう俺のものじゃない。あの腕に絡む、細い腕を知っているから。

だから、もう、いいじゃないか。

別に、俺がどこで誰とどうしていようが、アイツには関係ない。
だから、もう、いい。もう、本当に忘れよう。全部。

諦めたように息を吐いて、そっと目を閉じる。頬に、誰かの手が触れた。
あぁ、キスされるんだ、そう思ったとき。

「………何をしているんですか?」

ひどくゆっくりとした声が、その場に響き渡った。
覚えのありすぎるその声に、ハッと瞼を開く。夕方の闇に溶けるような真っ黒な姿が、ゆらりと揺らぐ。淡い外灯に照らされて、その顔がはっきりと見えた。
……―――、雪男。
俺は呆然と、その名を呟く。対する雪男は、俺と、俺に絡んでいる男たちを見て、眉間の皺を深くしていた。

「すみませんが、兄を放していただけますか」
「なんだ、お前?………あぁ、なんだ、学年トップの奥村雪男君じゃないですか」
「おいおい、優等生が何の用だよ?センセイに代わってお説教でもしようってか?」

あはは、と下卑た笑いが響く。しかしそれには顔色一つ変えずに、雪男はズンズンと俺たちに近づいて、俺の手を取った。ぐい、と引っ張られて、ぎょっとする。

「ちょ、雪男っ」
「では、失礼します」

戸惑う俺と奴らを無視して、雪男は淡々と俺の腕を引いて歩き出した。その背中はなんだか怒っているようにも見えて、なんで、と思う。
なんだか理不尽な怒りを向けられているような気がして、俺は雪男の手を払った。

「な、んだよ!お前、何がしたいわけ!?いきなり来て、意味分かんねーよ!お前にはもう何の関係もねぇだろ!今更、彼氏面すんじゃねーよ!俺がっ、誰とヤろうがお前にとやかく言われる筋合いは、」

ねぇよ!と言いかけて。
ぱぁん!と派手な音が俺の言葉を遮った。そして、ジン、と痺れるような痛みが、頬を襲う。
叩かれた。その事実に気がついたときには、俺の頭の中は真っ白になっていた。
大人しくなった俺をどう思ったのか、雪男は黙ったまま俺の手を再び掴んだ。

「お、おいっ、待てよ!」

背後の男の一人が、慌てて俺の腕を掴んだ。
ビク!と肩を震わせると、雪男がスッと目を細めて。

「触るな」

雪男の声が、やけに冷たく聞こえた。その冷たさに驚いた男が、俺の腕を放す。それを見とめて、雪男はただひたすら前だけを見て歩き出した。もう抵抗する余裕もなくて、ただただ呆然と、雪男の背中を見つめていた。




ぱたん、と寮の扉を閉める音が、響く。腕は掴まれたまま。何がなんだか分からなかったけれど、何となく雪男の顔を見るのか怖くて、視線を下に向けたままだった。
雪男が、こちらを振り返ったのが分かる。じっと、俺を見下ろしているのも。

「一体、どういうつもりなの、兄さん」
「………」
「しえみさんと僕が偶然会えたからいいものの。僕がいなかったら、どうするつもりだったの」
「し、えみは……」
「祓魔屋にちゃんと帰ったよ」
「そうか……」

よかった、と安心する。大丈夫だとは思うが、少し心配だったから。
俺がぽつりとそう呟けば、ますます雪男の機嫌が降下したのが分かった。

「兄さん。………昼間のあれ。どういうこと?」
「どういうことって。言っただろ。もう、止めようって言ったんだ。兄弟で恋人なんて、そんなの、毛布じゃん」
「不毛、ね。……兄さん。それ、本気で言ってる?」
「ほ、んきだ」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「それなら、僕の目を見て。ちゃんと言って」
「っ」

両腕を捕まれて、息を呑む。
目を見て言えって?そんなの、できるわけない。

「そ、もそも、お前だって人のこと言えないだろ!この前だって、可愛い子と腕なんて組んじゃってさ!」
「は?僕が?いつ?」
「この前だよ!俺が一緒に昼飯食うの断った日!俺、あのあとお前の教室に行ったんだからな!そしたらっ………」
「兄さん、教室に来てくれたの………?」

ぽつり、と呟いた雪男の言葉に、何だか照れてしまう。そんな雰囲気じゃないのに。俺は頭を軽く振って、思考を切り替える。

「だったら、連絡くらいしてくれれば良かったのに」
「そんなの、できるわけねーだろ!」

女の子と歩いているお前を、俺は引き止められない。そこまで俺に、魅力があるとはとうてい思えないからだ。

「兄さん。あの子はただのクラスメイトだよ。この前祓魔師の仕事で授業を抜けなきゃならなくなって、変わりにノートを取ってくれたんだ。あの日は、そのお礼にって学食を奢ってあげただけだよ」
「………で、でもっ、それなら腕を組む必要ねぇだろ!?その子、お前に気があるんじゃねーの?」
「あったとしても、僕には関係ないよ。彼女は、僕にとってはただのクラスメイトだ」
「っ、じゃあ!お前にとって俺ってなんだよ!?俺が、友達を優先したって怒りもしないし、そうだねって言うだけで、お前、なんも言わねぇじゃん!そんなのっ、俺のことどうでもいいって言っているようなもんだろっ」

言って、ハッと我に返る。しまった。今更言ってもしょうがないことを言ってしまった。
ひやり、と冷や汗を掻いていると、雪男は俺の腕を掴む手を、だらりと下げた。あぁ、これでお終いなのかな、なんてその両手を見やっていると。

「どうでもいいなんて、思ってないよ、兄さん」

静かな声が、ゆっくりと降ってきた。

「僕はただ、兄さんに友達を大切にして欲しかったんだ。兄さん、祓魔塾のみんなと仲良くなれて、すごく嬉しそうだったから。だから、邪魔しちゃいけないなって思ったんだ」
「………ゆ、き………?」
「本当は、どうしてって言いたかったよ。僕と会えなくて平気なのって、怒りたかった。一緒にいたかった。………―――でも、兄さんが楽しそうに笑っているところを見るのが、僕は一番すきなんだ」
「………―――」

だから、と続ける雪男の言葉を、俺は呆然と聞いていた。
俺の、ため?
俺の為に、ずっと、雪男は我慢してたってこと?
そんな、それじゃ………―――。

「兄さん。僕は、ずっと兄さんの傍にいたい」

「押してダメなら引いてみろ」作戦は、成功していた、ってこと?
大きくなる心臓の音が、うるさいくらいに耳に鳴り響いた。どくん、と。顔に熱が上がる。息ができない。どうしよう。どうしよう。すごく、困る。そんなの、すごく、困る。

「で、でもっ………―――」

雪男は、完璧で。
自慢の弟で。きっと。

「だめ、だよ、雪男。やっぱり、もうやめよう」
「どうして?」
「だって、俺、見た目が良ければ誰とでも、寝れるんだぜ?」
「それが、どうしたの。全然、答えになってないよ。兄さんは僕のこと、どう思ってるの」
「っ、だから、ダメなんだって!」
「ダメじゃないよ!兄さん!兄さんは僕のこと好きなんでしょ!?」

あぁ、すきだよ。
だから、怖いんだ。

すきすぎて、怖いんだ。

「正直言って、兄さんのそういうとこ、全然分かんないよ。好きなのに、どうして別れないといけないの?誰かに反対されたの?」
「ち、ちが……そうじゃ、なくて……」
「だったら、何?ちゃんと言って」
「……………―――お前は、女の子に、モテて。これから先、絶対に、俺よりもすきになる子が出てくるから。だから……」
「兄さんよりもすきになる子?誰だよ、それ?」
「知らねぇよ。きっと美人で、可愛い子だよ。お前、選びたい放題だし」
「いつ?誰が選ぶの?兄さんは僕のこと、勘違いしてるよ。だって、」
「っ、お前のことなんて、俺には分かんねぇんだよ!」

双子で、ずっと一緒に育ってきたはずなのに。
すきになって、分からなくなった。
ずっと知っていたはずの雪男が、まるで知らない別人になったみたいに、感じて。
それが、不安で堪らなくて。

固く手のひらを握りしめると、雪男がガシッと俺の両手首を掴んできて、ぐいっと引っ張った。何、と顔を上げると、眼鏡の奥の瞳と、目が合って。

「奥村雪男!パーソナルデータは今更なんで省略!長所も短所も省略!好物も苦手な食べ物も省略!それから………―――、

すきなひと、奥村燐」

「っ」

まくし立てるようにそう言った雪男は、じっとこちらを見下ろしていた。その真っ直ぐな瞳に、カッと顔が熱を持つ。どうしよう、いま、顔真っ赤だ。
うろたえていると、雪男はそっと眼鏡の奥の瞳を細めた。

「ね?兄さん。僕のことで兄さんが知らないことなんて、ほとんどないんだよ。ただ、僕がどれだけ兄さんのことがすきか、知らないだけ」
「………っ、」
「昔のことは、いいんだよ。兄さんがどれだけ遊んでようと、今は僕だけを見ててくれれば、それだけでいいんだ」
「………………お前は、いいのかよ………?」
「うん。兄さんがいい。兄さんは、もっと自分に自信を持つべきだよ」

呆れたように、しかし、きっぱりと言い放った雪男に。
なんだかもう、混乱してばっかで。でも、なんだろう。うれしくて、仕方なくて。
ぼす、と雪男の肩に寄り掛かった。すぐさま、背中に腕が回って、ぎゅうっと抱きしめられる。

「お前、自信過剰」
「うん。っていうか、兄さんが自信なさすぎなんだよ」

雪男の笑う吐息が、耳にかかった。ぞく、と背筋を通り抜ける、覚えのある感覚。
兄さん、と呼ぶ声と。
すきだよ、という言葉が。
唇の中へと消えていくのに、そう時間はかからなかった。




次の日。
なんとか雪男と仲直りできたが、まぁ、日常に変化があるわけでもなく。昼間は学校、その後は塾。雪男は相変わらずの忙しさだし、仲直りしたからといってベタベタできる時間の余裕があるわけでもなく。
でも、なんだかそれが寂しいなんて思えないから、不思議だ。
なんでだろ?と首を傾げていると、隣の席のしえみが、くいっと袖を引いた。

「どうした、しえみ?」
「あ、あのね、昨日はだいじょうぶだった?怪我とか、してない?」
「えっ?あ、あぁ、大丈夫!昔の知り合いだし」
「そっかぁ、良かった!なんだか変な雰囲気だったから、心配してたんだよ」

ふんわりと笑うしえみに、内心で冷や汗を掻く。
正直、しえみがそっち方面に疎くて良かった、と思う。あの会話を聞いて、こうしてのんびり話しかけられるってことは、おそらく半分以上もしえみには理解できなかったからに違いない。
本当に、良かった。心の底から安堵の息を漏らすと、しえみがそうだ、と手を叩いた。

「ねぇ、燐!昨日のお礼なんだけど、二人で遊園地に行こうよ。お母さんがお店のお客さんからもらったっていうチケットがあるんだ。前、約束したもんね?」
「あー……」

そういえば、そんな約束をしたな。あのときはアマイモンのこととかで、頭がいっぱいだったけれど。
あぁ、でも今度の休みは雪男とどっかに出かけようかって話してた気がする。うーん。どうしよう。でも、遊園地には行きたいし……。前からの約束だし……。
俺がうんうんと迷っていると、目の前に影ができた。あれ、と顔を上げると、にっこりと笑んだ雪男がこちらを見下ろしていた。

「?雪男?」
「雪ちゃん?」
「すみませんが、しえみさん。その話はまた今度にしていただけませんか?今度の休みは、僕と兄さんで出かける用事がありまして」
「え、」
「あっ、そうだったの?ごめんね、燐。無理に誘っちゃって。遊園地は、また今度にしようね!」
「あ、え、あ、うん。そうだな……」

戸惑う俺をよそに、雪男としえみは、遊園地の乗り物のことで盛り上がっている。
え、ちょっと待て。さっきのなんか、いつもの雪男らしくないような気がする。っていうか、もしかしなくても、さっきのって。
雪男を優先して欲しいって、言われたようなものじゃないか?

「あれ?燐、顔真っ赤だよ?」
「ぅえっ?」

大丈夫?と心配そうなしえみに、全然OKだ!と笑みを作って、何だか満足げな雪男の肩に腕を回して引き寄せる。おい!と、しえみには聞こえないように、声を潜ませて。

「お前さ、そんなあからさまな態度とっていいのかよ?もしバレたら……」
「別にいいじゃない、バレたって。それに、兄さんはこういう時、僕に怒って欲しいんでしょ?」
「そ、それはそうだけど!でもっ、こういうのは、ちょっと困るっていうか……。つーか、なんでこんなこと………」

すんだよ、という俺の疑問は、にっこりと満面の笑みを浮かべた雪男の表情に、消えて。






「だって、兄さんがすきだから」





ぶわっと周りに花が咲いたようなその笑みに、そして、ちょうド級の殺し文句に。
ゆら、と意識が遠のくのを感じて。俺は疲れたようにため息を吐いた。

「俺、やっぱりお前の顔だけがすきな気がしてきた………」
「えっ、それはちょっとひどいんじゃない?」

むっと顔をしかめる雪男に、困ってんのはこっちの方!と文句を言いたくなったけれど。
まぁ、結局のところ。

すきだって言われて、悪い気はしないあたり、俺も相当重症だ。


初恋って、ほんとうに、厄介だ。
そう思わずには、いられなかった。






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