親愛なる、彼 1




一月、しんしんと降り積もる雪の中、俺は……―――彼と言葉を交わした。
真っ黒な髪に、海のように深い、綺麗な青の瞳。そのあまりにも綺麗な青が、最初は憎らしくて仕方なかった。そう、憎らしく、思っていたはずだった。

あの人は、俺という存在を生み出した根源だった。いや、根源の息子、という立場だった。
だけどあの人自身はそんなこと知らなかった。自分が本当はどんな存在なのかも知らず、ただ守られる存在として、温かな場所で笑っている。
俺はそれを、ずっと憎々しいと思いながら見つめてきた。あの人と言葉を交わした、あの雪の日まで、ずっと。



俺は、悪魔と人間の子どもだ。
「青い夜」と呼ばれる惨劇の日に、この世界を手に入れようとする悪魔の王、サタンによって産み出された異端者だ。人間でもなければ、悪魔でもない。どちらでもない半端者。
それが俺であり、他にも同じ境遇の子どもたちを称して「青い夜の子」と呼ばれている。
俺はその「青い夜の子」の中でも一番の年配だ。といっても、そこまで他の兄弟たちと離れているわけではないし、ただ、一番早く産まれただけの存在だった。
だが、兄弟たちはみな俺を「兄」と呼び、俺も兄弟たちを「弟」や「妹」と呼んでいた。血の繋がりはないのにそんな風に呼び合うのはひどく歪で、それでも、俺にとっては大事な兄弟たちだった。

俺たち「青い夜の子」は、生まれたときから自分が何者なのかを理解している。
なぜなら俺たちは、元となった悪魔、つまり俺たちを生み出した実質的な「親」の記憶を受け継いでいるからだ。特に兄弟の中でも早く生まれれば生まれるほど、その記憶はハッキリと受け継ぐ。
俺を生み出した悪魔は、悪魔たちの中でも上級であり、サタンの次に権力を持った「四人の上位王子」の中の一人、レヴィアタンだ。
レヴィアタンは「蛟の王」とも呼ばれ、海を統べる悪魔とも言われていた。その力は強大で、俺もその力を受け継いでいる。
人間の体でありながら、悪魔の血や力を持つ存在。そんな自分が、俺は嫌いだった。そしてそんな俺を生み出した悪魔を、サタンを、恨んで生きてきた。

なぜ、俺は生まれたのか。
なぜ、俺を生み出したのか。

なぜ、俺はここに存在している?

そんな疑問を胸に抱えながら、人間ではない俺は人間の中で生きていた。
誰も俺を、理解してくれなかった。俺も、他人を理解しようとはしなかった。俺を産んだ人間の両親は悪魔の憑依に耐え切れず死んでしまい、母方の親戚に預けられた俺には居場所なんてどこにもなかった。
どこか人間じゃない俺の雰囲気を敏感に察したのか、親戚の誰もが俺を怖がったし、小・中学と学校には通ったものの、友人なんて一人もいなかった。

誰も、いらないと思った。
同じ境遇の兄弟たちさえいれば、何もいらない。
そんな風に生きてきた、ある日。


俺は、あの人を街で見かけた。

すれ違っただけだったけれど、すぐに分かった。あの熾烈な青い瞳は、忘れたくても忘れられない。俺の原初の記憶にある、青い炎。

サタン。

俺たちを生み出した、諸悪の根源。

俺はただ呆然と、その小さな背中を見送った。
記憶にある魔王は、とても恐ろしく、とても恐い存在だった。だが、目の前にいるのは、小さな小さな子どもだった。俺の背の半分もないほどの、小さな。
こんな子どもが、サタンだと言うのか。いや、違う。レヴィアタンの記憶を探り、すぐに思い当たる。
彼が、サタンの仔なのだと。

俺はとっさにその子どもの後を追った。元気に走っていった子どもは、街の中にある教会の中へと入って行った。教会の外を歩いていた男が、子どもを見つけて表情を崩した。子どももその男に駆け寄ると、嬉しそうに笑う。

「ただいま!」
「おー、おかえり、燐」

くしゃり、と男が子どもの頭を撫でる。とても嬉しそうに頭を撫でられながらも、ちょっと照れくさそうに子どもは男を見上げていた。男はそんな子どもを嬉しそうに見下ろしていたが、ふいにこちらに顔を上げた。目が、合う。
その瞬間、男がスッと目を細めた。子どもに向けていた温かなソレではなく、温度のない冷たい瞳。殺意にも似たそれに、ゾクリと肌が立った。そして同時に、信じられなかった。
ただの神父に、悪魔である俺が臆してる。
何者だ、と俺は額に汗を滲ませながらも、男を睨んだ。男は少しの間俺を見つめていたが、ふっと視線を外し、子どもを連れ立って教会の中へと消えて行った。
俺はその背中を見送って、どっと肩の力を抜いた。カタ、と震える自分の手を見下ろして、ぎゅっと強く握り締める。

あの男が何者なのか、そんなことはどうでもいい。
ただ、あの子供は………――――忌むべき俺の、俺たちの敵だ。





「サタンの仔を見つけた?それは本当なのか?ヨハネ」
「……あぁ、間違いない」

俺はすぐさま兄弟たちにこのことを知らせた。彼らはとても動揺していた。忌むべき青い炎を継ぐ存在。そんなものが俺たちの近くに、この物質界にいる。
それは、俺たちにとっては恐怖だった。

「サタンの仔か……。そんなもの、どうして生きているんだよ?正十字騎士団が殺したはずでしょ」
「恐らく、何らかの理由があって生かされているのでしょう。それが何なのか分かりませんが、その仔は脅威です。何か対策を考えねば」
「………いや、まだその必要はないだろう」

ユダとガラテアが難しい顔をしている中、俺は否定した。何故、と俺を見る二人に、あの子どもを思い浮かべた。無邪気に笑う、あの忌々しい青い炎の持ち主。

「恐らく、あの仔は力が覚醒していない状態だ。炎の気配はしたが、それを使っている様子はない。まだ……悪魔として覚醒していないのだろう」
「なるほど。確かにまだ幼い子どもだというのなら、成長するまで覚醒はしない、というわけか。だったら、今殺しておけば済むことじゃないの?」
「いや……それは無理だろう。どうも腕の立つ人間が、傍にいるようだ。あの男は只者ではない」
「へぇ、ヨハネがそう言うならよっぽど強い人間なんだね。じゃあ、迂闊に手は出せない、か……」

残念、とユダが口を尖らせた。
俺たちに打つ手はないだろう。だが、やれることはある。

「俺はあの子どもを監視する。それでもし、あの子どもが覚醒する兆しを見せたら……刺し違えてでも殺す」
「……ヨハネ」
「ヨハネ兄さん」

兄弟たちが、不安そうな顔でこちらを見る。俺はふっと笑って、彼らの頭を撫でた。

「大丈夫。お前たちを守るのが、長男である俺の役目だからな」

大切な兄弟は、俺が守ってみせる。そのためにも、あの子どもを、殺さねばならない。
俺は幼い子どもの笑顔を思い出して胸が痛んだが、それでも憎むべきサタンの仔だと思えば、それも仕方のないことだと割り切った。


それから、俺は子どもを監視した。
あの子どもは、奥村燐、という名前らしい。双子の弟に雪男、という子どもが居て、弟の方には炎の力は感じなかった。体も弱いそうで、兄の燐にしか炎は継がれなかったのだろう。
そして、子どもを世話しているのが、聖十字騎士団最強の祓魔師、聖騎士の名を持つ男、藤本獅郎だ。騎士団は子供を監視するために、藤本を後見人としているようだった。
子ども、燐は、幼稚園に通っていたものの、友人がいる様子はなかった。皆、彼の人ならざる力に怯えているのだろう。それは教員も同じことで、彼はいつも孤立していた。時々、体の弱い弟を苛める子どもに手を挙げ、相手を泣かせていた。

「ゆきおをいじめるな!」
「あくまだ!」
「あくまがきたぞ!」

燐が来ると、子供たちはそう言って彼を罵った。それに彼は怒り、子どもたちをぼこぼこに殴っていた。子どもゆえに手加減を知らないのだろう。殴られた子どもは病院に搬送されていた。

「どうしてこんなことしたの?燐君」
「………おれは、わるくないよ。あいつらが、ゆきおをいじめるから……!」
「でも、相手を怪我させちゃだめでしょ?」
「っ……だって……!」

ぎゅっと小さな手を握り締めて、泣くのを堪える小さな子ども。子どもも、大人でさえ、彼を分かろうとする人はいなかった。
そう、ただ一人を除いて。

「あがけ、燐」

悪魔の仔であるこどもに、人間で在れと諭す男。
いつか仲間に囲まれて笑える日が来ると、それまで足掻き続けろと言う男。

俺はその男に、軽い憤りを覚えた。

悪魔である以上、人間であることなどできない。
それは一番、あの男が知っているはずだった。聖十字騎士団の頂点に君臨する、あの男なら。それなのに、小さなあの子どもに、そんな茨の道を歩かせようというのか。
そしてそれ以上に、そんな男に励まされるように、人間で在ろうとする子どもに、苛立ちを覚えた。

お前は、悪魔だ。

何度も、そう言おうと思った。何度その首を絞めてやろうかと思った。

お前は悪魔だ。人間じゃない。それなのに、どうして人間であろうとする?俺たちを産んだ忌むべき魔王の息子でありながら、どうしてそんな風に笑える?

どうして………!



それから、月日は流れた。
相変わらず、俺は子どもの監視をしている。子どもは少しずつ大きく成長し、徐々に内に秘めた炎も強くなってきているようだった。

そんな、ある日。
子どもが小学校から帰っていたときのこと。子どもが一人で道を歩いていると、彼よりも体の大きな、恐らく中学生くらいだろう人間の男が数人、子どもを取り囲んだ。
どうやら、彼らの弟が子どもに殴られたらしい。無意味な喧嘩はしない子どもだったから、きっと何か理由があって、殴ったのだろう。
しかし彼らにとってそんな理由など、どうでもよかったのだろう。
男たちが、子どもの胸倉を掴む。それでも、子どもは動じなかった。子どもにとって彼らなど、脅威でもなんでもないのだろう。

だが子どもは、彼らに殴られ、蹴られたとしても、何もしなかった。ただ黙って、彼らの暴力を受けていた。

どうして。
何故、殴り返さない?

俺は傷だらけになる子どもを、ただただじっと、見つめていた。


ややあって、彼らは満足したのだろう。ボロボロになった子どもを置いて、さっさと立ち去ってしまった。
残されたのは、傷だらけになった子どもが一人。傷が深いのだろうか、地面に倒れこんだまま動かない子どもを、俺はじっと見下ろしてた。
すると子どもは、小さなその手をぎゅっと握り締めて、肩を震わせていた。
もしかしたら、泣いているのかもしれない。だけど声を上げることなく、ただじっと蹲るだけの子どもは、何かに耐えているかのように、その小さな体を震わせていた。
どうして。

俺の中の疑問は大きくなる。そして、子どもを見るたびに妙に心がざわついて、それが何なのか分からずに、苛立ちは増すばかりだった。




「ねぇ、ヨハネ。君、最近何かおかしいよ」
「……そうか?」

ユダが、俺の顔を見て怪訝そうにそう言った。一瞬、ドキリとしたけれど、気づかないふりをした。

「そうだよ。最近、ボーっと考え事してるときもあるし、心ここにあらずって感じ。まさか、あの子どもに何かあったの?」
「……いや」

なんでもない、と首を横に振れば、ユダはそう?と聞き返しながらも、少し疑っているような目をしていた。俺はそれを軽く無視して、そっと目を伏せた。

あの子どもは、忌むべき仔だ。
憎むべき、サタンの息子だ。

それなのに、どうして……―――。

あの小さな肩を支えたいなどと、思うのだろう……?



思い出す子どもの瞳は、一番嫌いな青い色だったのに。
何故だろう、あの青は、ひどく落ちつかない気持ちにさせる。


その時、俺は気づかなかった。ユダたち兄弟が、心配そうな顔をしていたことも、ペテロがくしゃりと顔を歪めたことも、全て。



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