そして、夏    壱




広がる曇天の下、アイツは言った。

……―――何故、殺したのか。

俺は答えた。

……―――願いだったから。








ジー、ジー、と蝉の鳴く声が響く。じわりと汗が滲んで、額から頬へと流れ落ちる。それを拭いながら、ふぅっと一つ息を吐く。
周りは木、木、木。ひたすらに木だけがある。森林浴、なんて言葉があるのだから、この夏の暑さも和らぐかも、なんて思った数時間前の自分が恨めしい。誰だよ、森林浴なんて言葉作ったの。
ジメジメとした湿気を含んだ空気が肌に纏わり付いて、二倍の鬱陶しさだ。
俺はそれらに舌打ちしつつ、ぐるりと周囲を見渡す。

「さーてと、もうそろそろ、かな」

流れ落ちてきた汗をぺろり、と舐める。塩辛い。そういえば、汗って塩分が入ってるってテレビで言ってたよなぁ。

「でもなんで、人間の体から塩分が出るんだ?」

うーん、と首を傾げた、その瞬間。
しゅっ、と風を切る音と共に、頭があった場所を通り抜ける、何か。それはすぐ目の前にあった木に突き刺さる。俺はそれをちらりと見やって、なるほど、と思う。

「結界か」
「ご明察ですッ!」

ぼそりと呟くと同時、がさりと近くの茂みが揺れ、一人の少女が姿を現した。正十字学園の制服に身を包んだ彼女は、手に持っていた数珠を手に絡ませて、印を組む。

「………―――、Bind」

彼女が囁くと同時、木に刺さったそれ……弓矢の先に括りつけられていた呪符がカッと光を放つ。そして、俺の足元に陣が現れた。複雑な模様が描かれたそれは、淡い光を放っている。

「……さぁ、これで動けないはずです!」
「……―――」

ぐ、と足に力を入れるが、なるほど動かない。拘束系の結界か、と地面の陣を眺めていると。

「今よ!アキちゃんッ」
「よし来たぁッ!」

彼女の呼びかけに、応える声。
バサッ、と頭上の木の枝が揺れ、黒い影が落ちてくる。それは、またもや制服に身を包んだ少年で。
彼は手に持った槍を構えて、ニッと晴れやかに笑った。

「貰いますよ!」

槍の矛先をこちらに向け、高らかに宣言する少年を見上げて、す、と目を細める。

「なるほど、相手を動けなくして奇襲をかける作戦はいいけど……―――甘ぇな」

両手が、ガラ空きだ。

「ッ、え?」

俺は落ちてきた槍を掴んで、ぐらりと体勢を崩した少年を、そのまま放り投げた。勢いよく吹き飛んでいく少年を見送って、そして……―――。
背後に背負っていた倶利伽羅を抜く。その刃を、背後へと向けて。

「第二陣も、両手が空けば防がれるぜ?」
「……ッ」
「テトちゃんッ!」

背後で、動揺する気配がした。だけどすぐに、小さく笑い声がして。

「でも、その体勢からじゃ、刀は振れないよね?もしここでぼくが襲い掛かったら、どうするつもりなの?」
「………、試してみるか?」

挑発するようにそう言えば、ぐっと言葉を呑むのが聞こえた。そして、一時の沈黙の後。

「………っ、降参、だよ」

心底悔しそうな声が響いて。

「はい、終了!」

パン、と手を叩く音と共に、雪男の声がした。同時に足元を拘束していた陣が消えて、俺は刀を鞘に納めた。木の陰から、雪男が姿を表す。

「皆さん、お疲れ様でした」
「あーッ、もう!いい感じだったのに!」

にっこりと雪男が微笑むと、少女が悔しそうに地団太を踏んだ。振り返ると、真後ろにいた少年、テトスも悔しそうに唇を噛んでいる。
ガサリ、と茂みが揺れて、腰をさすりながら槍を持った少年が現れた。

「ほんま、手加減なしやなぁ」

とほほ、と落ち込んでいる様子だ。俺はそれぞれ三人を見やって、ニッと笑った。

「でも、三人とも最初に比べたらいい動きしてるよ。龍美タツミは結界の精度が上がってるし、秋良アキラは槍捌きがスムーズになってきてる。んで、テトスは気配を消すのが上手くなったしな」

くしゃ、とテトスの頭を撫でると、ムッと唇を尖らせながらも頬を赤らめた。

「ほ、ほんまですか?俺ら、上達しよるんですか?なんか、自分じゃイマイチよぉ分からんのですけど」
「おう!間違いねぇよ!な、雪男?」

嬉しそうに目を輝かせる秋良に頷きながら、雪男を見やる。雪男も、ええ、と頷いて、眼鏡を押し上げた。

「三人とも、最初に比べたら動きが滑らかになっていますし、連携も取れてきています。後はもう少し相手の動きを見て、どう動くべきかを考えることができればいいでしょうね」
「うはぁ、要するにまだまだってことですよね?厳しいなぁ」

龍美が頭上を仰いで呻いた。雪男の容赦ない飴と鞭に苦笑しつつ、ま、そういうことだな、と頷いた。俺の言葉に凹みつつも、頑張ろうね!とワイワイ話す三人を見つめて、俺はそっと目を細めた。そんな俺に気づいたのか、雪男がそろりと近づいてきて。

「兄さん?どうしたの?」
「………あぁ。なんていうか、さ。ホント、良かったなぁって思ってさ」
「………うん。そうだね」

何が、とは言わなかったけれど。それでも雪男には俺の言いたかったことが分かったらしい。
人間と悪魔との間に産まれた「青い夜の子」。その一人だったテトスは、人間というものが嫌いだった。もちろん、悪魔も。だけど今は、同じ祓魔塾の生徒たちと、笑ったり、時にはぶつかったりもしている。
その姿が、何だか嬉しくもあって。
俺のしてきたことは、無駄じゃなかった。そう、思えるから。

「本当に、良かった」

俺はしんみりしつつも、じゃれ合う三人を見て、そっと呟いた。




「青い夜の子」たちとの決着から、約一ヶ月が過ぎた。夏も終わりがけに近づいた頃、俺は祓魔師の仕事をしつつ、講師である雪男の手伝いをしている。雪男は祓魔師として優秀だから、講師の仕事を抜けなきゃならないときがある。その時の代理として、俺は塾生の先生をしている。といっても、俺の場合は自分の感覚で祓魔師をやっているから、誰かに教えられるようなことと言えば、実践くらいしかなくて。こうして塾生たちの実地訓練の相手をするくらいしかできないけれど、一年が実地訓練を控えていたので、丁度良かったといえば良かったらしい。
まぁ、今日はたまたま俺も雪男も空いていたから、二人で塾生を見たんだけれど。

「でも、あたしたちってほんとラッキーだよね!」
「?何が?」
「だってさ、あの奥村先生たちに直で見てもらえるなんて、早々ないじゃない」
「確かに、そうだよなぁ」

訓練の帰り道、龍美と秋良の会話が聞こえてきて、小さく苦笑を漏らす。そして隣にいる雪男に、こそっと耳打ちする。

「あの、だってさ。なんか俺たち、有名人みてーだな」
「それは兄さんの方でしょ。僕は違うよ」
「んなわけねーだろ。最年少で祓魔師の資格を取った、天才祓魔師さん?未だにその記録、破られてねーって話だし」
「今は、ね。でも、いつかは破られるよ」
「ケンシンすんなって」
「それを言うなら、謙遜、ね」

淡々と返してくる雪男に、ちぇっと舌打ちする。相変わらず、面白みの無いやつだ。まぁ、そこが雪男らしいといえばらしいけど、と思っていると。知った気配が背後に現れて、ぴく、と体が反応する。そして、内心で深くため息を吐いた。

「……雪男」
「ん?なに、兄さん」
「ちょっと用事思い出しちまった。アイツら連れて、先に帰っててくれねーか?」
「………、何か、あったの?」

俺の様子に何か感じ取ったのか、心配そうな顔をする雪男に、やっぱり隠し事はできねーな、なんて思いつつ。

「レンが来てるみたいなんだよ。たぶん、虚無界ゲヘナの様子を報告しに来ただけみたいだけどさ。アイツらの居る前で、レンと会うのはちょっとな……」
「また来てるの?一昨日来てたじゃないの」

よっぽど暇なんだね、なんて眉根を寄せて悪態を付く雪男だったけれど、事情は察してくれたらしく、先に帰ってるよ、と言った。
悪いな、と言いつつ、立ち止まる。そのまま去っていく皆の背中を見送って、さて、と思う。

「もう少し、離れるか」




しばらく森林の中を歩いた俺は、懐かしい場所に辿り着いた。森林の中にぽっかりと空いた広場は、かつて同期たちと課外訓練をした場所で。
そして、俺をサタンの息子だと、明かした場所でもあった。
懐かしいな、と思いつつも、まさかこの場所に着くなんて、という思いもあって。

苦笑しつつも、広場の真ん中で立ち止まる。

「………ようやく姿を現す気になったのか?………――――ルシファー」

俺が声を上げた、その瞬間。

「いやいや、さすがは虚無界の王。気づいておられたとは驚きですよ」

頭上から声が聞こえて、ふん、と鼻で笑った。

「俺が気づいてることに気づいてたくせに、よく言う。いい加減、かくれんぼは終わりにしようぜ」
「はは、かくれんぼ、とは。ずいぶんと可愛らしいことを。ですがまぁ、このまま隠れていたところで始まるものも始まらないでしょう」

パン、と手を叩いたような破裂音と共に、頭上に一人の男が姿を現した。
黒と白の長髪、赤と青のオッドアイ、そして………背中には黒と白の翼。右と左で対照的な姿を持つ男。
俺はソイツを見上げて、くっと口元を吊り上げた。

「久しぶりだな、ルシファー。お前が第三監獄から脱獄したおかげで、エキドナを宥めるのに苦労したんだからな」
「それはそれは。申し訳ないことをした。しかしながら地獄に監獄とは、随分と酔狂な王ですよ、貴方は。………いっそ、愚かなほど、ね」
「いい加減、その腹立つ敬語は止めろ。俺に敬意なんかこれっぽっちも持ってねぇくせに。……それに、今更俺とお前で何を話す必要がある?」

俺は背負った倶利伽羅の柄に手をかけながら、吐き捨てた。同時に、ルシファーの顔色も、ぐっと変わって。

「当然だ。私の王はただ一人。虚無界の王は………あの御人以外在り得ない。貴様など、認められるものか」

ギロ、と赤い瞳がこちらを射抜く。殺意と憎悪の入り混じったその瞳は、あの、曇天の日と同じもので。
俺は、ぐっと腰を落とした。いつでも、倶利伽羅を抜けるように。
そんな俺を、ルシファーは冷徹に見下して。

「………なぜ、殺した」

あの日と同じ問いかけに、俺は。

「………願いだったからだ」

あの日と同じように、答えた。


その瞬間、地を蹴って倶利伽羅を抜いた。青い炎が、揺れて。


「やはりそれが、貴様の答えか」


ふわり、と白い翼が揺れて。

そして………―――。








というわけで。
愛してる、シリーズ続編スタートです!そしていきなりの展開(笑


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