そして、秋    拾




「………んで? それから、どうなったんですか」

ざわざわと、人の話し声が絶えず響いている。時折、背後のバカ騒ぎをしている集団からどっと笑い声が聞こえ、俺、歌います! とその中の一人が立ち上がり、箸をマイクに見立てて、上手くもない歌を歌っている。
カウンター席の隣に座っていた勝呂君は、そんな集団を煩そうに見やったが、すぐにこちらへと視線を戻す。ぐい、とジョッキを仰ぐと、目で話の続きを促す。
僕も同じようにジョッキを仰ぐと、続きを口にする。





『少し、いいでしょうか』

それまで黙っていたレヴィアタンが、僕とフェレス卿の間に入ってきた。その水色の瞳は、静かに光を称えていた。
何を、と言い掛けた僕を遮るように、レヴィアタンは続けた。

『兄上にお支払いする対価は、どんなものでもいいのでしょうか』
「吊り合うものであれば、なんでもかまいませんよ」
『…………そうですか』

しばらく考えこんだレヴィアタンを、フェレス卿は面白そうに見やっている。一体、レヴィアタンはなにを考えているのか。黙って成り行きを見守っていると、レヴィアタンはスッと顔を上げて。

『それなら……………。俺の、いや、夜羽にんげんの血を、対価にすることはできますか』
「ほう?」
「っ、レン!?」

兄さんが、慌てたようにレヴィアタンに駆け寄った。どういうつもりだ、とその胸倉に掴みかかっている。

「何を考えてるんだ、レン! お前の、夜羽の血を差し出すなんて! そんなことをしたら、もう二度と、夜羽にんげんには戻れなくなっちまうんだぞ! 他の「青い夜の子」たちとの繋がりを、完全に断ち切っちまうことになるんだ!」
『………若君、』
「そんなのっ、そんなこと、絶対にダメだ!」
『若君』

ダメだ、と駄々をこねる子どものように喚く兄さんを、レヴィアタンは静かに見下ろした。胸倉を掴むその手に手を伸ばして、わずかに逡巡したのち、そっと、握り締めた。
水色の瞳が、愛しいと緩む。

『いいのです、若君。もとより俺は、一度、兄弟たちを捨てた身です。それでも、若君の優しい心遣いのおかげで、人間の血をわずかに残していただいた。……それだけで、もう十分だったのです』
「でも!」
『若君、俺は、貴方に誓ったのです。ずっと、貴方に仕える悪魔として、生きると。だから、人間の血は、今の俺には必要ありません』
「っ」
『それに。…………血の繋がりはなくとも、今まで繋がっていたものは消えないと、教えてくれたのは貴方です。………だから、「大丈夫」』

は、と兄さんが顔を上げた先にいたのは、レヴィアタンだったのだろうか。いや、もしかしたら、「青い夜の子」夜羽だったのかもしれない。
最期に彼は微笑んでみせた。そして、小さく頷く。兄さんの肩を押して離れると、真っ直ぐにフェレス卿を見つめた。

『どうですか。対価に、なりますか』
「…………」

じっと、フェレス卿は値踏みするようにレヴィアタンを見た。そして、にぃ、と笑う。

「やはり、貴方を選んで正解でした。『蛟の王』レヴィアタン」
『………』
「貴方は実に優秀な、悪魔、ですよ」
『………お褒めに預かり、光栄です。兄上』

軽く頭を下げたレヴィアタンを楽しげに見ていたフェレス卿は、いいでしょう、と歌うように言った。

「ここは我が弟に免じて、彼の血を対価にしましょう。ただし、一つだけ条件があります」
『条件?』
「えぇ。奥村先生の血も、同様に頂きます」
「え?」

いきなり話を振られて、僕は困惑した。いったい、どういうことだ? 僕の血、だって?
兄さんも分からないのか、首を傾げて眉根を寄せていた。

「どういうことだよ、メフィスト。なんで雪男の血がいるんだよ」
「簡単なことです。元々、今回の騒動の原因は、奥村先生の血によって虚無界の門が開いてしまったことにあります。つまり、奥村先生の中にはわずかながら前青焔魔の血が入っているということになります。だから、その血を頂きます。これで、今後奥村先生が他の悪魔に狙われる心配はないですし、今回のようなことが起きるのを防ぐことができる。……奥村君だって、虚無界の門を修復するたびに対価を支払うのは大変でしょう?」
「それは、まぁ……」
「どうです? 悪い話ではないでしょう? 奥村先生」

フェレス卿に促されて、僕は少し考えた。確かに、後々のリスクを考えるなら、フェレス卿の言う、僕の中にある悪魔の血を対価にすることで、全てが丸く収まる。それは、分かる。だが、それはつまり。

「ただし、奥村先生は二度と、虚無界の門を開くことはできなくなりますが」

そう、それだ。僕の悪魔の血を手放すことは、つまり、虚無界への道を閉ざすのと一緒のことだ。もし、万が一。また兄さんが虚無界へ行ってしまったとして、僕はそれを追いかける術をなくしてしまうことになる。
それに、悪魔の血を差し出すことで、兄さんとの共通点がなくなってしまいそうで、嫌だ。
どうする。僕は少し、悩んだ。それなら、やはり僕の寿命を対価にしたほうが、いいような気がする。
どうしよう、と悶々と悩んでいると、兄さんがぱっと表情を輝かせて。

「それ、いい考えだな! よし、それで行こうぜ雪男!」

な! と何も考えていなさそうに笑う兄さんに、僕はぎょっとした。

「っちょ、兄さん! そんな簡単に言わないでよ」
「え? なんでだ? 別にいいだろ? メフィストの言うとおり、悪魔の血が無くなれば、狙われる心配はねぇし、バンバンジーだろ」
「それを言うなら万々歳ね。………じゃなくて、」
「?」

きょとんとする兄さんに、僕はどう説明していいものか、迷った。言いよどむ僕に、兄さんは何を考えたのか、満面の笑顔で。

「それにさ、別に虚無界の門を開けなくたっていいだろ。…………俺はずっと、お前の傍にいるんだからさ」
「っ!」

なんでもない、ことのように。さらりと。兄さんは、爆弾を投げた。もちろん、憎たらしいくらいの笑顔で。
僕は一瞬、息が止まるかと思ったのに。当の本人はまるっきり自覚なしときた。
弱ったな。ほんとうに、よわった。
僕が言葉に詰まっていると、僕たちの様子を見ていたフェレス卿が、腹を抱えて笑いだした。

「あはは! っ、奥村先生、今回は貴方の負けですよ。くっ、くく……っ。これだから、貴方たちは面白い」
「いきなり何笑いだしてんだよ、メフィスト」
「いやはや、まさか本当に、こんな終幕を迎えることになろうとは。………あぁ、これなら胸を張って言えますね。『これにて、大団円!』と」

フェレス卿は、両手を広げて高らかに笑う。
無視すんな! と兄さんが喚き、あの、それで結局、対価はこれでいいのでしょうか、とレヴィアタンが首を傾げる。
それぞれが思い思いに行動しすぎて、纏まりというものがない。僕は彼らを見やって、小さく溜息を吐く。

「これの、どこが大団円なんだ?」







「と、いうことがありまして」
「………それは、まぁ」

同情的な勝呂君の目線を受けて、僕は苦笑する。全く、今回は本当に頭痛の連続だった。全てが終わった今となって思えば、自分の余裕のなさに呆れてしまう。だけどそれだけ、僕は必死だったのだろう。こんなに必死になるのは、もしかしたら後にも先にもないかもしれない。

「じゃあ、もう先生の血は対価として理事長に?」
「はい。……これでもう、虚無界の門は開けませんし、悪魔に狙われることもないでしょう。兄さんが制御装置を外して暴走したことも、フェレス卿が何とかしてくれたみたいですし。…………これで全部、終わりました」
「そう、ですか」

ホッとしたように肩の力を抜く勝呂君に、彼には本当に苦労を掛けたと思う。騎士団内部の調査と、レヴィアタンの加勢。どちらも、バレれば即処分されてしまうであろう。それなのに、彼は二つ返事で了承してくれた。彼だけじゃない、しえみさんも、出雲さんも、宝くんも、三輪君も、それぞれ兄さんのために頑張ってくれた。これは、とても感謝してもし切れない。
僕は改めて、目の前の彼に感謝を述べるべきだ。そう思って向き直れば、勝呂君は小さく笑って。

「まぁ、ほんまに良かったですわ。奥村も、先生も無事で。俺にはそれが、何よりです」

だから、礼はいらない。と言外に言われた気がした。なので、僕は口を閉ざす。飲み込んだ言葉はそのまま、声にならずに。だけど心の中だけで、呟いた。
二人の間に穏やかな空気が流れていると、再び背後から騒がしい声が聞こえてきた。せっかく和やかな空気だったのに、と眉をしかめると、同時に、ずん、と肩が重くなる。同時に、背後から腕が伸びてきて、ぎゅう、と抱きつかれる。
それが誰なのか分かった僕は、小さく溜息を吐く。

「……兄さん」
「んー、ゆきおー、こっち来ていっしょにのもうぜー」
「僕はいいよ。一応、幹事だし。ほら、兄さん。重いからどいてよ。っていうか、飲みすぎなんじゃないの?」

にへら、と笑う兄さんから漂う酒の匂いに、僕は顔をしかめる。だけど兄さんは構うことなく、だいじょうぶだいじょうぶ、なんて言っている。本当に大丈夫なんだろうか。その様子に心配になる。

「兄さん、浮かれるのは分かるけど、飲みすぎちゃったらその後の面倒を見るのは僕なんだからね。ちゃんと加減をしてくれないと」
「あーもう! 別にいいだろー、のんでもー。ゆきおが面倒みてくんなくても、俺にはレンがいるもーん。なー、レン?」
『はい、もちろんです。若君』
「………」

兄さんの隣で、小さな竜が頷く。レンはいい子だな! とそのぬいぐるみサイズの竜を抱きしめて、兄さんは破顔している。僕はその姿を、複雑な心境で見つめた。

結果的に。わずかに残されていた人間の血を失くしたレヴィアタンは、それまでは何も憑依することなく物質界に存在できていたのが、できなくなった。おかげで、何かに憑依しなければならなくなり、一時的に竜の人形に憑依することになった。
本人はその竜の人形に難色を示していたが、兄さんが気に入ってしまい、何も言わずに竜の人形と化しているレヴィアタンだ。

『奥村雪男がおらずとも、私が若君のお世話をさせていただきます。どうぞご安心を』
「うんうん! さっすがレン!」
「………なんか、その姿で言われても微妙なんだけど。………まぁ、いいけどね」

懐いてくる兄さんと、その肩に乗って得意げな顔をするレヴィアタン。微笑ましいというかなんというか。僕は眼鏡を押し上げながら、苦笑する。

「ぼんー、こっち来て一緒に飲みましょうよー」
「志摩! お前は飲みすぎや!」
「えぇ? ええやないですかー。僕だって、今回は頑張ったんですよー? 一切表には出ませんでしたけど、奥村先生に化けたペテロくんをバレないように任務中にフォローしたりー、そもそも、四大騎士だったカインの調査をしていたのは僕なんですから、ちょっとくらいハメ外させてもらってもバチは当たりませんよ」
「お前はいつでもハメ外しとるやろうが。それに、普通はそんくらい仕事をするもんや」
「ええええ、そんな殺生な! な、ペテロくんもそう思うやろ!?」
「えっ、あ、いや、俺は……別に………」

志摩君に絡まれて、ペテロは困ったような顔をしている。そんな二人を見て、兄さんがどこか嬉しそうな顔をしていることに気付いた。

「兄さん?」
「…………、ペテロは、反応の仕方がレンそっくりだな」

ぽつり、と呟いて、そして、さすがは兄弟だな、と言う。その横顔をじっと見上げたレヴィアタンは、大きな目を細めて、はい、とだけ返した。

虚無界にいたペテロを呼び出したのは、僕だ。正確には、僕がレヴィアタンに頼んだと言っていい。
中期任務に出向くふりをして、学園に残る。そのためには影武者が必要だった。その点、以前に僕に化けたことのあるペテロは最適だった。
そのことを、僕は勝呂君には告げていたけれど、志摩君には伝えていなかった。それなのに、彼は中期任務中のペテロをフォローしてくれたらしい。おそらく、フェレス卿の指示で。

全く、あの人は何を考えているのやら。

毎度のことながら、侮れない人物だ。だが、彼が動いてこちらが不利になることはあっても、最後には必ず、こうして全て丸く収めてしまう。その手腕だけは、認めてもいい。

僕がのんびりとそんなことを考えていると、隣に座っていた勝呂くんが、座敷へと上がって行く。そこにはお馴染みの、兄さんの同期の祓魔師たちと、ペテロ。そして、何故か安部も一緒に飲んでいて。僕と目が合うと、じゃれつく兄さんを見たあと、ニッと意味ありげに笑って見せた。
煙草をくわえた唇が、ビ ビ リ 眼 鏡 と動く。
びき、と額に筋が入るのが、自分でも分かった。そのまま、眼鏡を押し上げる。

「兄さん、」
「ん?」

真っ赤な顔をしている兄さんの頬に手を伸ばして、にっこりと笑う。不思議そうな目をする兄さんと、目が、合って。
同じように見上げてくるレヴィアタンの目を、空いている手で塞ぐ。何、とレヴィアタンが言う前に……―――。

「…………―――っん」

わぁ、と背後で誰かの騒ぐ声が聞こえた。
だけど今、この時、僕たちは確かに、世界の中心にいるような気がした。

「………っ、っ、ゆきおっ、おま、えっ」

赤い顔を更に赤く染めて、口を開閉させる兄さん。慌てて離れたその反応に気を良くした僕は、逃げられないようにその手を掴んで。

「言ったでしょ? 後悔させてやる、って」

離さないよ、と笑えば。
離れるかよ。ばかほくろめがね、と悪態をつかれた。

そして、僕は。

そっと、その耳に囁くのだ。

僕は、このひとのことが……――――。


「すきだよ、兄さん」


心の中でしか伝えられなかった想いを、そっと唇に乗せて。
僕は、ゆっくりと瞼を閉じて、腕の中の体温を感じていた。







全てが終わり。これまで協力してくれた皆に恩返しをしようと、仲間を呼んで祝杯を挙げた。どうやら、勝呂と約束していたらしい。全て終わったら、祝杯を挙げよう、と。
その約束を、ようやく叶えることができる頃には、もう冬の気配が近づいてきた、十一月も終盤に差し掛かっていた。

皆で騒いで、祓魔師も悪魔も関係なく、誰もが同じテーブルに付いていた。レンもペテロも、最初は戸惑っていた。それもそうだ。彼らは元は悪魔との子であり、人間に対して憎悪を抱いていた。そして、勝呂たちは、本来なら敵対するはずの祓魔師だ。戸惑うなというほうが無理だ。
だが、それでも構わないから参加して欲しい、と頭を下げた。レンは驚いていたけれど、でも、これは俺なりのけじめのつもりだった。

責任は取るべきだと、俺は今でも思っている。もっと俺が上手くやれば、皆を巻き込まずに済んだ、とも。だから、そのためにも、レンたちには祝杯に参加して欲しかった。勝呂達が、レンたちを呼んで欲しいと言って来たとき、これは俺にしかできないことだと、思ったから。

悪魔と、人間。

全く違うイキモノで在りながら、門を隔てた世界で生きている。
その間に生まれたのが俺であり、「青い夜の子」たちだ。だとしたら、その二つのイキモノの橋渡しができるのも、また。俺たちだけなのだ。

人間に心があるように、悪魔もまた、心がある。

それは、俺が王となって知った、大切なことだった。
物質界と虚無界は、合わせ鏡のように存在している。片方にあるものが、もう片方にないなどと、誰が言えるだろう。
そんな、二つのイキモノが、いつか。いがみ合うのではなく、助け合えたら。そんな世界が、できたらいい。
そのために、もしかしたら俺は。

………―――、ジジイ、俺がなんで生かされたのか、何となく、分かった気がするよ。

らしくもないことを考えているな、と苦笑しながら、俺は目の前の男に向き直る。

「…………それで? 結局は、またお前の思うツボだった、ってわけか」

サマエル、とその名を呼べば、男はニィ、と笑った。


祝杯の終盤に、男はやって来た。すでに半分以上が泥酔している様を見て、楽しそうですねぇ、なんて言いながら、酒の注文をちゃっかりとしていた。そして、安部と何やら昔のアイドルについて熱く討論していたり、焼き鳥は塩とタレどっちが上手いのか、について熱弁していた。

そうして、皆が酔いに酔って、寝静まったあと。(ちなみに、店は寝泊りOKなところだ)
俺は誰も起こさないよう、気を使いながら外へと出る。はぁ、と吐く息が白い。外は暗く、小さな星の光が夜の空に瞬いていた。

そんな、星のわずかな光しかない夜の闇に、浮かび上がる一人の男。
メフィスト・フェレス。またの名を、『時の王』サマエル。


「気づいて、いらっしゃったんですね。てっきり、酔って寝てしまわれたのかと思っていましたが」
「俺があれしきの酒で酔うかよ。さんっざん、虚無界あっちで飲ませてきたくせに」
「あぁ、これは失礼。貴方は、そういうところは藤本に似ていませんでしたね。藤本は、とことん酔って、とことん記憶を失くすタイプでしたから」
「余計なお世話だ。………んで? 俺の質問に答えろよ。お前が整えた舞台は最高だったかよ?」
「クク、えぇ、もちろん。なにせ、私が脚本なのですから、当然です」

返ってきた答えに、俺は眉根を寄せる。だが、同時に、やはりな、という思いがあり。

「性質悪りぃな、相変わらず。お前が第二権力者から退いたときから、今日この「とき」、この「時間」がお前には視えていたんだろ。俺を虚無界の王にするために、前青焔魔を使って実験を行い、「青い夜の子」と俺を生み出す。そしてその「青い夜の子」の中から、レンを選び、俺に仕えるように仕向け、そして。…………ジジイさえも、その脚本の踏み台にした。復讐を誓う俺に前青焔魔を殺させ、俺を虚無界の王にして。レンをそのサポート役にする。そうすることで、「青い夜の子」たちや、ルシファーたちが動くことになる」

俺はそこで、一度言葉を切る。楽しげに、面白そうにこちらを見る男を、真っ直ぐに見つめて。

「…………―――、ルシファーを、この世界に呼んだのは、お前だろ。サマエル」
「………」

確信は、なかった。
だが、可笑しいとは感じていた。

雪男が虚無界の門を呼び出したのは、今から数か月前だ。そして、カインが姿を消したのは、一年前。雪男が作った虚無界の門の亀裂から、ルシファーを召喚したとして。
『どうして、カインはルシファーが俺を恨んでいるということを知っているのか』
この疑問に、どうしてもぶつかってしまう。ルシファーは堕天使だ。物質界から、徹底的に排除され、干渉すら許されない。その状況で、カインがルシファーの存在を知ることは難しい。

つまり、虚無界側に、カインに情報を流した悪魔がいる、ということになる。そんなことができるのは、「空間」と「時間」を司ることのできる、この悪魔しかいない。

最初から、すべては仕組まれていたのだ。この、悪魔に。最初から、何もかも。

「いやはや…………。やはり君は、面白い存在ですね、奥村君」
「………」
「未来が視える、というのも、なかなか厄介なものでね。あのとき、私が視えたのは、今、このとき、貴方と会話をしている私、というものだけだった。この限りある情報の中で、ここまで持ってくるのには、さすがに骨が折れました。ですが、やはり、この未来は訪れた」

私の望む、未来が。

「過去、現在、未来。時というのは常に流れている。留まることのない、川の流れのように。ですが、その根源である湖、山、雨、それらがなくなれば、川は流れなくなってしまう。………私はその流れを御し、管理する者。………ですが時々、川の流れを変えてしまいたいときがある。予定調和に流れる川の流れを、時には変えてみたい、と。………ですから、貴方は私にとって、興味深い存在なのですよ。予定にないことをしてくれる、貴方のことが、ね」

にっこりと微笑んだ悪魔は、まるで無邪気な子供のようだった。

「この未来が訪れた今、私には次の未来が視えています。………今後、貴方、いや、貴方たちがどうなるのか、知りたくはありませんか?」

悪魔は問いかける。甘い、密のように。
だけどそれを、俺は鼻で笑ってやった。

「ふん、そんなの、知ったことかよ。俺は今を、生きてやるさ」

そう言うと、サマエルはきょとん、とした後に、腹を抱えて笑い出した。壊れた人形のように笑って、目じりに浮かんだ涙を拭う。

「っふ、ふふふ、さ、さすがはあの男の息子だ。……………同じことを、言う」
「……うっせえ」

あの男が誰なのか分かって、俺はそっぽを向く。妙に、照れ臭かった。そんな俺をひとしきり笑った悪魔は、肩をひくつかせながらも、パン、と持っていた傘を広げた。
雨も降っていないのに? と空を見上げた先に、ふわり、と白い物が過ぎった。

「あ………―――」

雪だ、とその白を追いかけて、まさか、この雪が降る未来も視えていたのか、と訊こうと目線を下げたが、すでに男は去ったあとだった。

逃げたな、と軽く舌打ちしつつも、あの男らしい去り方に、小さく笑って。

「あぁ、」

そして。

「………―――、さむいな」

そして、次に訪れる季節に想いを馳せながら。
ゆっくりと、空を見上げた。

春に再会して
夏に戦って
秋に別れて

そして。




そして…………――――。
























今までたくさんの応援、ありがとうございました!


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