Full Out ××× 後




兄さんと共に教室を出た僕たちは、まず祓魔師たちが資料を見るための図書館へと案内された。学園内にも数ある図書館の中でも、恐らく資料の数は一番ではないだろうか。それほど膨大な本が所狭しと並んでいた。
ここは後でまたゆっくりと来たいな、と思いつつ、次の施設へ。
次は僕もよく利用する射的場だった。兄さんはぐるりと周囲を見渡して、軽く説明をしている。今日は勝呂先生はいないらしく、射的場には誰もいなかった。だいたい射的場に行けば勝呂先生に会えたので、誰もいない射的場というのが妙に新鮮だった。
珍しいな、と思っていると、兄さんが試しに誰か撃ってみようか、と言い出した。そして射的場に置かれている銃の中でも、一番単純な造りをしており、暴発等の危険も少ない銃、回転式リボルバーのシングルアクションタイプ、僕もよく使用しているその銃を取り出して、ニッと笑った。

「じゃあ、奥村君、撃ってみようか?」
「へ?」

まさか名指しされるとは思ってもみなくて、ぽかん、と呆気に取られていると、兄さんが僕に銃を差し出して、意味深に笑った。
僕が呆然と、その銃を受け取ると。

「勝呂先生との個人授業の成果、ちゃんと見せてくれよな」

そんな風に、何もかも見透かしたように言うから。
僕は悔しさ半分、兄さんには適わないな、という思いが半分で。
……早く、この人に追いつきたい。
そう思いながら、僕は銃を握り締めて、構える。
後ろで、兄さんが僕を見ているのを感じる。僕はいつもとは違った緊張感を覚えながら、ゆっくりと安全装置リミッターを解除する。
カチリ、と硬い音が妙に響いて、ぐっとトリガーに指を掛ける。そして……。
ぱぁん!と乾いた銃声と、火薬の匂いが鼻につく。
真っ直ぐに放たれたその弾丸は、的のど真ん中に穴を開けていて。
ワッと同じ塾生たちが歓声を上げた。パチパチと拍手が鳴り響いて、僕がホッとしつつ兄さんの様子を伺うと、兄さんは満足そうに笑っていて。
その顔に、どこか今は亡き神父とうさんの面影を見出した僕は、何だか嬉しくなった。

僕は、少しは前に進めているだろうか。

銃を下ろしホッと肩の力を抜いた、その時。

ドゴォッ!という破壊音と、
きゃああ!という甲高い悲鳴が響いて。

『グォオオオオオオオオオ!』

低い雄たけびを上げて、ゾンビの姿をしたソイツは、僕たちの目の前に現れた。

「アレは、グールッ!?」

なんでここに!という誰かの悲鳴が響いた瞬間、僕の横を風が通り抜けて。黒いその風は、一直線にグールに向かって行く。
ガキィ!と鈍い音が響いて、グールに向かって刀を振り上げた兄さんが、そこにはいた。

「全員、奥へ!二年は一年の周りを固めろ!急げ!」

兄さんはグールの相手をしつつも、僕たち生徒に指示を出す。いきなりのことで慣れていない一年生に比べ、さすがは二年生といったところか。すぐに兄さんの指示に従い、奥の方へと非難しつつ、僕たち一年を囲うようにして周囲を警戒していた。
その間も、兄さんはグールの相手をしている。だが、切り落とした肉片から新たなグールが生まれるのを見て、兄さんは軽く舌打ちした。

「これじゃ、キリがねぇ!」

最初は一体だったグールが今は三体に増えて、兄さんを囲っている。兄さんは三体相手に劣ってはいないものの、やはりどこかやり難そうにしていて。
どうしよう、とその姿を見て手のひらを握りしめると、ふと、先ほど持っていた銃を握ったままだったことに気づく。
僕は、固く握りしめたその黒い銃を見下ろす。黒光りするソレは、いつもと同じように僕を見上げている。
持っている感触で分かる。弾は、弾倉にまだ残っている。
この銃なら、当たればグールを倒せるだろうか。

そう考えた瞬間、どくん!と心臓が大きく高鳴って。
指先が、カタカタと震えた。

撃て。

……―――だめだ、兄さんを間違って撃ってしまうかも。

撃て。

……―――大丈夫。兄さんが負けるはずがない。このまま、余計なことはしないほうがいい。

撃て。

……―――僕は……ッ!

撃て。

……―――やっぱり、まだ……!


無理だ、と諦めかけた、その時。

「う、わ!?」

兄さんの軽い悲鳴に、顔を上げる。兄さんは足を滑らせたのか、尻餅を付いていて。体制を崩した兄さんに、グールの容赦ない攻撃がその体を襲った。
横薙ぎに振られた腕が、兄さんの横腹を抉る。

「がは……ッ!」

モロに食らってしまった兄さんは、軽く吹き飛んだ。ドン!と壁に叩き付けられて、その衝撃に激しく咳き込む兄さんに、グールたちが迫る。
もう、迷ってはいられなかった。衝動的に二年生の体を押しのけて、銃を構えていた。
おぞましい姿をした悪魔に、ぴたりと標準を合わせる。不思議と、指の震えは止まっていた。

兄さんを、守らないと。

ただ、それだけを想って。

……―――撃て!

パァン!と、甲高い音が、その場に響いた……―――。




ばたばたと忙しく動き回る人たちの姿を見ながら、僕は呆然と立ち尽くしていた。まだ心臓の音が大きく高鳴っていて、僕の時間は止まったままになっていた。
耳の奥に、銃声が木霊している。銃を握る手が震えて、止まらない。
そんな僕を怪訝そうに見ながらも、黒いコートを着た祓魔師たちは、淡々と作業を進めていく。その中心に、兄さんが、いた。
兄さんは、集まった祓魔師たちに説明をしているのだろう。あらかた話した後、僕の方をじっと見つめてきた。
真っ直ぐな、兄さんの青い瞳。その瞳に射抜かれて、僕はびくりと体を震わせた。
ゆっくりと、兄さんがこちらに近づいて来る。ただ、僕を見つめて。
そして、僕の目の前までやって来た兄さんは、こちらを見上げて。

「……っ、この大バカ野郎!」

そう、怒鳴った。
搾り出すようなソレは、本気で兄さんが怒っていることを示していて。

「俺は奥へ避難しておけと言ったんだ!まだ訓練も積んでいないし知識も禄にないくせに、中級の悪魔を相手にしようとするなんて、無謀にも程があるだろ!」

心の底から怒っている兄さんの声は、だけど、泣いているようにも聞こえて。
くしゃり、と兄さんの顔が、歪んだ。
泣かせるつもりも、悲しませるつもりもなかったのに。青い瞳が揺らぐのを見て、ツキリと心が痛んだ。


……―――あの時。
グールへと撃った弾は、確かに当たっていた。その弾に撃たれたグールは消滅し、三体居たのが二体に減った。
そこまでは、良かった。
だが、僕がグールを撃ったせいで、他二体のグールが僕の存在に気づいたらしく、兄さんへと迫っていた二体が同時にこちらへと向かってきた。
まさか方向転換してくるとは思いもしなかった僕は、ただ、呆然とするしかなくて。
その時、素早い動きで二体同時に切り捨てた兄さんが居なければ、きっと僕だけじゃなく、僕の背後にいた塾生たちも危険に晒していただろう。

確かに、グールは祓えた。
だけど結果として、大勢の人を危険に晒せた。
兄さんを守るつもりが、やっぱり守られてしまった。
その事実が、僕の胸に深く突き刺さった。

そして兄さんはそのことに、すごく怒っていて。
少しは前に進めたのかと思っていたけれど、やっぱり僕は何も変わっていない。
そのことが、悔しくて。
泣き出しそうな兄さんに、僕の方が泣きそうだ、とぐっと唇を噛み締めた。

「……―――、ごめん」

ただ、それしか言えなくて。
泣きそうなのを堪えているせいか、声が詰まって。
ごめん、ともう一度だけ言って、僕は顔を上げているのが辛くて、俯いた。
その、時。

「ほんと、バカだよお前は!俺がどんだけ心配したと思ってるんだ!」
「……、え?」

僕の予想していたのとは違う言葉が耳に入ってきて、驚いて顔を上げた。兄さんは真っ直ぐに僕を睨んでいたけれど、怒気のそれというよりも、どこか怯えているようにも見えた。

「お前、自分で分かってないだろ……ッ、俺がどれだけ怖かったかなんて!お前の方にアイツ等が向かって行った時、息が止まりそうだったんだからな!少しは俺の気持ちになれよバカ!」
「ッ!」

その言葉に、僕の方が息が詰まりそうだった。
声を無くしていると、兄さんはぐっと唇を噛んだ後に、ぽすりと僕の方に凭れ掛かってきた。
さら、とした兄さんの黒い髪が、頬を掠めて。

「……でも、お前が撃ってくれて、助かった。……―――、よくやったな、雪男」

ありがとな、とくぐもった声でそう言って、未だに銃を握り締めたままの僕の手を、兄さんはそっと暖かな手のひらで包み込んでくれて。
そこでようやく、兄さんの手のひらが震えていることに気が付いた。

暖かくて、優しい手のひら。
小さく震えるその体温に、僕の震えは止まった。

……―――兄さんは、確かに強い。多分、僕なんかじゃまだまだ足元にも及ばない。
でも、抱えている想いは、一緒のはずで。

「……、うん」

僕は握り締めた銃を手放すと、震える兄さんの手のひらを、強く握り締めた。
きゅ、と絡まる指先が、いとしくて仕方なくて。

ごめん。
ありがとう。
すきだよ。

たくさんの想いを、指先に込めて。

ガシャン!と銃が地面に叩きつけられる音がしたけれど、兄さんの手を離すことはなかった。




どすどず!という乱暴な足音が乱暴な足音が聞こえた。その足音の主が誰なのか分かったメフィストは、にやりと口元を歪めた。

「メフィスト!!」

バン!と乱暴に扉を開け放って現れたのは、予想通りの姿。真っ黒なコートに身を包んだ、末の弟だ。
彼は荒い息をしながら、険しい顔で理事長室に入ってくると、ドン!と強くメフィストの机を殴ると。

「一体、どういうつもりだ!」
「……さて、なんのことでしょう?」
「とぼけんな!今日射的場に現れたグールのことだ!この学園はお前の結界で中級以上の悪魔は入れないようになっているはずだ!それなのにあの悪魔が現れたということは、お前が手引きしたんだろ!」
「おや、一概にそうとは言えませんよ?稀に、中級以上の悪魔が紛れ込んでくることは、貴方も承知でしょう?」
「あぁ、嫌というほど知ってるね!そしてそれが全部テメェの手引きだってこともな!」

ギッと睨み付けてくる燐に、メフィストは成る程?と内心で笑う。彼も馬鹿のままではない、ということか。成長するのは好ましいが、察しが良すぎるのも考えものだ。
メフィストはしみじみとそう思いながら、ひょいと肩を竦めて。

「ですが、結果的に弟さんとちゃんと仲直りできたじゃないですか」
「っ、なっ……!」

そう言えば、燐がカッと頬を赤らめた。あからさまに動揺してみせたその顔に、ニヤニヤと笑っう。

「少し前に喧嘩して散々愚痴ったのは誰です?それで仲直りしたと思ったら、今度は弟から好きだって言われた、ともじもじ悩んでいたじゃないですか。だから私はそんな誰かさんを不憫に思って手助けしただけのことです。ずいぶんと周囲を圧倒するくらいの仲良しぶりで、結構じゃないですか」

ヨカッタデスネ、と多少の意趣返しを込めてウィンクを一つ送ると、ぱくぱくと口を開閉したまま絶句している燐がいて、少しはこちらの身にもなれ、と思う。
やれ弟がこうだった、だの、弟と喧嘩した、だの。そんなことでいちいちこの理事長室に来て愚痴られては堪らない。

「さぁ、用件はもう済んだでしょう?大事な弟さんが待っているんじゃないんですか?」

帰れ、と目線でそう言えば、メフィストのピンク野郎!という意味不明な捨て台詞を吐かれた。なんだソレは、と呆れる間もなく、当の本人は走り去ってしまって。

「全く、手のかかる……」

だが、それでも何やかんやで彼の手助けをしてしまうのだから、自分も相当だな、とメフィストは苦笑した。




色々とありつつも、二年生との合同合宿は終わりを告げた。
兄さんとの関係も、挙動の可笑しかった兄さんも、全部元に戻っていて。
ホッとするのと同時に、どこか胸に何かが引っかかっているような違和感を覚えて。
何だろう?と首を傾げていると、奥村、と背後で名を呼ばれて、振り返る。

「あ、ネイガウス君……?」

隻眼の彼は僕の方へと走り寄ってきて、相変わらず何を考えているのかよく分からない表情で僕を見上げると、口を開く。

「俺、君に話したよな。サタンを絶対に、許さないって」
「あ、あぁ。そう、だったね」
「……―――」

それが何?と首を傾げると、ネイガウス君は僕をじっと見つめた後に、分かっていればいいんだ、呟くようにそう言って、くるりと踵を返してしまった。

「?何なんだ?」

その背中を見送りながら、何故か言いようのない不安に襲われて、ぐっと手のひらを握りしめる。
サタンを決して許さない、と低い声音で話したクラスメイトの声が、蘇る。

まさか、ね。

僕は邪念を振り払うように、首を横に振る。同時に雪男!と僕を呼ぶ兄さんの声が聞こえて、顔を上げる。
兄さんがぶんぶんと手を振って、帰るぞ!と笑う。
その無邪気な笑顔に、僕も自然と頬が緩んで。

「うん!」

兄さん!と呼べば、ちゃんと返ってくる声に、僕は兄さんの元へと足を急がせた。



その背後で、僕を振り返ったネイガウス君の存在に、気づくことはなかった。






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