真っ暗な夜の闇に、ぼんやりと浮かぶ桜の花びら。その桜の木をじっと見上げて佇む、彼女の姿を認めて、ホッと息を付いた。
ざ、っと俺の足音に気づいてハッと体を強張らせた彼女は、俺の姿を見て驚きに目を見開いた。
「貴方……!」
「よ、ぉ……」
努めて普通に、いつも通りに手を上げる。すると彼女はきゅっと唇を噛み締めて、俯いた。
ごほごほと咳き込む俺を見つめて、どうして、と呟く。
「どうして……?もう、分かっているんだよね?貴方がそうなるのは、私の、せいだって……」
「あぁ、……聞いたよ」
「だったら、どうして……!」
出会って今まで話してきて、一度も声を上げたことのない彼女が、初めて悲痛の声を上げた。どうして?そんなの、決まってる。
俺は、ふ、と笑って。
「言ったろ、俺は、大切な奴を守りたいって。それは、アンタも入ってるんだよ」
「ッ!」
彼女は、息を呑んだ。そして、泣き出しそうに、瞳を揺らした。
泣くなよ、と言おうとしたけれど、激しく咳き込んで、その場に膝をついた。
彼女が慌ててこちらに走ってこようとしたけれど、その前に。
「触るな」
冷たい、凛とした声が、響いて。
真っ暗な闇の向こう、雪男が厳しい顔つきで立っていた。俺は顔を上げて、ゆきお、とその名を呼ぶと、雪男はきゅっと眉根を寄せて。
「何を言っても、彼女に会いに行くとは思ってたけど……」
ゆっくりと、こちらに近づいてくる雪男。その手には、鈍く光る銃が握られていて。
「やっぱり、思ったとおりだったじゃないか。……彼女は、悪魔だ」
淡々とそう告げた雪男は、彼女に銃口を向ける。
引き金に指を掛けるのを、俺は見て。
「やめろッ!」
彼女と銃口の間に体を滑らせた。
次の瞬間。
ぱぁ、ん。
乾いた音が、響いて。
桜が、風に散って。
黒い綺麗な髪が、目の前で揺らめいた。
あ、と思う間もなく。
彼女の胸を、鋭い閃光が貫いた……―――。
「どう、して……」
呆然と、俺が彼女を見て呟く。
彼女はゆっくりと振り返って、小さく笑った。その笑みは、その体は、淡い光を放っていて、ぼんやりと向こうが透けて見えた。
『……私も、貴方と同じだから』
さら、と黒髪が揺れる。彼女は俺の頬に手を伸ばして、そっと触れた。
『私も、大切なヒトを守りたかった。ただ、それだけ、だよ』
だから、と彼女は笑う。
よかった、と彼女は、笑う。
『貴方が守りたいと思うヒトが、きっと貴方を守ってくれる。それをどうか、忘れないで』
ありがとう、と彼女は最期に微笑んで。
ゆっくりと、消えていった。
伸ばした手は空しく宙を掻いて、彼女に触れることは無かった。
俺は、その手をぎゅっと握り締めて。
「……―――、どうして、撃った?」
何で、と俺はやり場の無い感情を声に出した。
「ヒトじゃ、ないからか」
空しかった。
哀しかった。
また、守れなかった。
そして同時に、思うのだ。
雪男は、悪魔を殺すことに躊躇しない。
だったら、と。
いつかのように、俺も、その銃口の先にされるのではないか、と。
だって、俺も……―――、悪魔だから。
だけど雪男は、淡々と、違うよ、と返す。
「僕は、選んだだけだよ」
兄さん、とその言葉を聞いて、俺はまた、意識を失った。
「お目覚めですか」
は、と目を開けると、メフィストが目の前にいた。俺は呆然とその顔を見上げていたけれど、小さく苦笑した。
「何か、目覚めてすぐにアンタの顔を見ると、調子が狂うな」
「それは褒め言葉として受けとっておきましょう」
具合はどうです、とらしくない言葉を言われて、ぼちぼちだな、と返す。
そして、しばらくの沈黙の後、俺はぽつり、とごめん、と呟く。
「それは、何に対して謝っているのです?」
「や、色々と……。アンタは、忠告してくれたのに」
「……、それに関しては、ワタシに謝るのは筋違いというもの。それにワタシはキミの選択を責めたりしませんよ。キミが選んで、出したコタエなのですから」
「……」
「……、そして奥村先生も、また。選んだ。キミを生かすということを」
「分かってるよ……」
そんなの、分かってる。
俺がそう返すと、そうですか、とメフィストは特に何も言わなかった。そして、しばらく休んでいなさい、と部屋を出て行こうとする。
すると、そういえば、と一度立ち止まって。
「カノジョが何者だったのか、知りたいですか?」
教えてあげましょうか?と聞かれて、俺は首を横に振る。
「俺にとっては、ヒトじゃなくても、大切な友達だった」
それだけで、充分だ。
そう答えると、メフィストは小さく笑って。
「じゃあ、一つだけ。カノジョの言葉は、全てホントウのことでしたよ、奥村君」
良かったですね、とメフィストは笑う。俺はそれにぐっと唇を噛み締めて。
うるせぇよ、と悪態をついた。
そんなの、分かってる、と。
「分かってる、か」
メフィストは扉を閉めて、小さく笑った。
小さな末の弟は、サタンの息子と呼ばれながらも、相反する心の持ち主だ。
だが、余りにも優しすぎて、彼自身が傷だらけなのに気づきもしない。
今回のことで、少しは分かっただろう。優しさだけは、何も救えない、と。
そうやって、成長していくといい。
そうやって、強くなっていくといい。
でも、とりあえず今は……―――。
「おやすみ。我が小さな末の弟」
良いユメを。
1日メフィストが用意した部屋で休んだ俺は、ようやく寮の部屋に戻った。扉を開けると雪男が机に向かっていて、カタカタとパソコンのキーボードを打っている。俺が帰ってきたのに気づいているはずなのに、振り返りもしない。
「雪男」
俺はその背に声をかける。だけど雪男はパソコンから目を離さない。俺はムカっとして、雪男の背中に飛びついた。
「雪男!」
「うわ!何するの、兄さん!」
もう、と抗議の声を上げる雪男を無視して、ぎゅっと背中から雪男の首に腕を回して、抱きつく。兄さん?と怪訝そうに俺を呼ぶ雪男の肩に、そっと額を押し付けて。
「ごめん、」
そう囁くと、雪男は、うん、と一つ頷いて。
「……ほんとう、兄さんはバカなんだから」
心配したんだよ、と雪男は柔らかな声で言いながら、俺の腕に手をやった。そしてこちらを振り返って、俺の頬に手を伸ばす。
ふ、と両頬に雪男の手が触れて、する、と撫でる。くすぐったくて小さく笑うと、雪男はにっこりと満面の笑みを浮かべて。
「じゃあ、兄さん。休んでいた間の課題を仕上げようか」
「え?」
それまでの優しい声音のまま、淡々とそう言い放った。
呆気に取られる俺に、雪男は眼鏡を押し上げて。
「ただでさえ勉強についていけてないのに、これ以上遅れるわけにはいかないでしょ?大丈夫、僕がちゃーんと、教えてあげるから」
ね、兄さん?と晴れやかな笑みを浮かべる雪男。俺は口元を引きつらせながら、鬼!悪魔!ホクロ!と叫ぶ。
ホクロは関係ないでしょ!と雪男が言い返す。そんな俺たちを見上げて、クロがやれやれという顔をする。そうして数時間後には、机に向かって唸る俺がいるんだろう。
俺の机の上には、一つのスケッチブック。
一本の桜の木と、桜の花びらが舞う青空。
何の変哲も無い、それだけが書かれたページだけが、置き去りにされて。
桜の花びらはもう散って、緑の若葉が枝を覆うだろう。
だけど、忘れない。
桜の花びらと共に過ごした、あの、やさしいあくまのことは。
『ありがとう』
ページの隅に書かれた、この言葉と共に。
END.
というわけで。
HOLiC 6巻ネタでした。
どうしてもこのネタがやりたかったのです……!
一応、四月一日が兄、百目鬼君が雪ちゃん、ひまわりちゃんがしえみちゃんで、侑子さんがメフィスト(笑 というキャストです。
あくまでもHOLiCのまんま書いたので、雪燐要素は結構薄めです。会話とかまんまだったりする場面もあります(笑
そもそもの発端は、あのアニメ青祓6話の奥村兄弟夫婦話。
ウコバクと料理対決をした結果、友情を芽生えさせた兄を見て、クロともそうですけど、悪魔と会話ができるから、こうやって友達になれたりするよね、と。
でもその悪魔を祓う祓魔師になるって言っているわけだから、色々と葛藤することって出てくるよねーと。それで書きたかったHOILCのネタを被せてみました。
女の子は、HOLICの座敷童を思い浮かべながら書きました。可愛いです座敷童。
BACK TOP