愛してる、の熱情




七月、僕はベッドの横に座って、兄さんが話し出すのを待っている。
兄さんは、迷いのない瞳で窓の外を見つめていた。何か、思うところがあるのだろうか。話したいことがある、と言ったきり口を閉ざした兄さんだったけれど、きっと頭の中で何を言うか整理しているのだろう。僕はそれを感じ取って、ただ黙ったまま、兄さんが話し出すのを待った。
ややあって、兄さんは窓から視線を外すと、僕を真っ直ぐに見つめた。

「雪男。これから俺が話すことは、全て事実だ。それを、まずは分かって欲しい」
「うん」

真剣な表情でそう言った兄さんに、僕は一つ頷く。すると兄さんは、ぽつり、ぽつり、と話し始めた。

『青い夜』のこと。
その夜に生まれた、子供たちのこと。
そして彼らの目的と、兄さんとの関わり。

時折悲しげに、兄さんはそれでも全てを話してくれた。今回の、『青い夜の子』たちのことを。
兄さんは、ずっと彼らと和解しようとしていた。だけどそれは、残念だけど彼らには届いていない。僕はそれを痛いほど理解した。

「ほんと、俺って王ってガラじゃねぇよなぁ……」

全然上手くいかねぇや、と兄さんは苦笑交じりにそう言う。でも、それは違うと思う。兄さんが王の器でなかったら、八候王たちがあんな風に忠誠を誓わないし、兄さんを心配して物質界アッシャーに来たりしないだろう。僕がそう言えば、ふるふると兄さんは首を横に振った。

「アイツ等は、悪魔だから。俺の持つ青い炎に血が従っちまう。俺自身を認めてくれている部分っていうのはあるんだろうけど、でも、やっぱり本能には逆らえねぇ。それが、悪魔だから」
「兄さん……」

ぎゅう、と手のひらを握り締めて寂しそうに笑う兄さんに、僕は何て声をかけていいのか分からなかった。詳しい事情を知らない僕は、迂闊に言葉を口にして兄さんを傷つけるのではないか、と危惧したからだ。
どうしたら、と僕が思案していると。

『それは大間違いやで!若さん!』

バン!と窓を開け放って、大声を出しながら一人の男が現れた。燃えるような真っ赤な髪を揺らし、黄色のバンダナを巻いたその男は、ニッと白い歯を見せて笑った。
僕は何となくこの展開に既視感を覚えていると、兄さんがあっ!と声を上げて。

「イリス!」
『よぉ!久しぶりやなぁ、若さん。またえらい面倒らしいことになっとるみたいやな』
「なんで、イリスがここに……っていうか、まさか、お前がいるってことは……」
『………我も一緒です……若様……』
「!?」

突然、僕の背後で声がして、慌てて振り返る。するとそこには、真っ白な髪の女性が立っていて、無表情のまま僕たちをじっと見つめていた。白衣のようなものを身に纏った彼女は、肌も白く、病的なまでに白に統一された女性だった。

「アル!やっぱりお前も来てたのか」

兄さんがやっぱり、と声を上げると、女性はこくりと頷く。そして、兄さんの隣にいる僕をじっと見つめて。

『……貴方が若様の弟。……全然似てない……』
『あはは!ほんまやなぁ。ここまで似とらんと、殺してもなんも感じへんやろな』

軽快に笑ってそう言った男に、僕は条件反射的に銃に手を伸ばす。同時に男の姿が消えて、僕の目の前に現れた。そのタイミングを見計らって、僕は右手の銃を前に、左手の銃を後ろに構えた。
眼前には、赤い男が笑いながら僕に向かって手のひらを翳していた。
そして背後では、白い女性が僕に向かって何かを突きつけている。それが、気配で分かった。

「……―――、なんの真似だ」
『そらぁ、こっちの台詞やわ。……なんで、若さん怪我しとるん?向こうでちゃんと聞いたで?お前が若さんを守る言うたって。それやのに、一日もせんと若さんは怪我しとるやないか』
『……若様を守れない祓魔師など………不要……』
「……―――」

僕は二人の言葉を聞いて、グッと唇を噛む。
そう、確かに僕は言った。兄さんは必ず守る、と。だが、結果として兄さんが怪我を負ったことは事実だ。
彼らの言うことは、正しい。もし、彼らが兄さんの傍に居れば、兄さんは怪我を負うことはなかったかもしれない。そう思うと、胸が焼け付くように痛んだ。

『ワイたちは皆、若さんを守りたい思っとる。それは悪魔の本能がそうさせるんやない。ワイたちが自分の意思で、若さんに忠誠を誓っとるからや。それはワイたちが……―――誰かしら若さんに救われたからや』
『……だから、我たちは若様をお守りする………。若様が我たちを……守ってくれた……ように』

真っ直ぐに、悪魔はそう告げる。僕は彼らに銃を向けまま、兄さんを見た。兄さんはとても驚いた顔をしていたけれど、先ほどまでの自嘲じみた顔はもうしていなくて。
悔しいけれど、彼らの言葉が今の兄さんには必要で。離れていた三年間、彼らの間で培われた絆の深さを、改めて思い知った。

『せやから、若さんを守れなかったお前をワイらは許せへん。若さんの弟やからなんて関係ない。お前は、若さんの隣にいる資格なんてあらへんよ』
「……ッ」
『……だから………』

死んで、と白い女性が囁く。その冷たさに、ゾッと背筋を凍らせる。
その時。

「止めろ……!」

兄さんが、二人を制す。その声にビクン、と体を震わせた二人は、しぶしぶと言った様子で腕を下ろしていた。

「二人とも落ち着けよ。俺はちゃんと生きてるだろ?傷だって、もう塞がってる。そんなに大げさにすることじゃねーよ」
『せやけど……!』
「それに!今はそんなことで揉めてる場合じゃないだろ。味方の数は限られてんだ。味方同士で数を減らしてどうする」
『………祓魔師が……味方………』

信じられない、とばかりに白い女性は目を見開く。僕だって、悪魔を味方だなんて思いたくない。だけど、兄さんが絡んでるとなれば、話は別で。

「とにかく。この一件が終わるまで雪男や他の祓魔師に手を出すな。これは命令。OK?」
『………了解や』
『…………、はい』

こくり、と頷く二人に、よし、と兄さんは満足そうに笑う。にこにこと満面の笑顔を見せる兄さんに、二人は顔を見合わせた後、しょうがないと言うように苦笑を洩らして。

す、と兄さんの前に膝をつく。

『「火の王」イブリース。遅ればせながらご挨拶申し上げる、若君』
『……「氣の王」……アザゼル。………御前に。………若様』
「あぁ。二人も元気そうで何よりだ」
「……「火の王」と「氣の王」……」

僕は二人を見つめながら、これで八候王の半分以上と対面したことになると知った。
今回は登場していないが、兄さんが虚無界に行く前には随分と世話になった、「地の王」アマイモン。
今日の朝やって来た、「蟲の王」ベルゼブブ、「水の王」アリトン、「腐の王」アスタロト。
そして、「火の王」イブリースと「氣の王」アザゼル。
八候王は、後二人。他の悪魔たちを見る限り、残りの二人も物質界に来るのは予想できる。そして四人の上位王子の一人であるレヴィアタンも現れたということは、他の悪魔も来ないとは限らない。

全く、兄さんはどれだけ上級悪魔たちに好かれているのやら。

僕は楽しげに二人と話す兄さんを見つめて、小さく笑った。




散々兄さんに絡んだ二人は、やはり兄さんに言われてすごすごと虚無界へと帰って行った。「腐の王」アスタロトが残っているから、と言えば、それまで残りたがっていた二人は大人しくなった。その様子に少し違和感を覚えたものの、二人が帰ったことに一先ずホッとした。

もう窓の外は暗くなっている。僕は窓の外を見つめて、今日は長い一日だったと息を付く。
朝には上級悪魔たちが現れて、昼にはアスタロトが学園で暴れて、夕方には「青い夜の子」たちが襲撃してきて、夜にはまた他の上級悪魔たちが現れて。
くるくると回る状況に、それだけ事態は切羽詰まっているのだと実感する。
兄さんが物質界に帰ってきて、約一ヶ月。それまで再会を喜んでいた穏やかな時間は終わりを告げたのだと、僕は理解した。

「雪男」
「うん。……何?兄さん」

兄さんは僕を呼んで、そのまま言葉を切った。どうしたんだろう?と首を傾げると、ほんの少し迷ったように視線を彷徨わせた。そして意を決したように、あのな、と口を開いて。

「その、さ……。お前、もう無理して俺を守ろうとしなくても、いいんだぞ?」
「え?」
「俺だって、もう炎のコントロールができないとか、悪魔に対する知識がないってわけじゃねーし。それに……多少の怪我をしてもすぐに直っちまうから、割と平気っつーか」
「……」
「それに、俺たち対等だろ?お前だけが一方的に俺を守るんじゃなくて、俺だって、お前を守りたいって、思ってんだから」
「……そっか」

少し照れたように話す兄さんに、僕はそっと目を細めた。
昔、兄さんを守ろうと気を張っていた。誰にも弱みを見せないで、一人で抱え込んでいた。
突っ走りやすい兄さんの行動にハラハラして、その度に、いっそどこかに閉じ込めておけたら、と思ったこともある。
だけど兄さんは、そんな僕とは裏腹に、仲間と供にサタンを倒すまでに成長して。今では虚無界の王として、悪魔たちを従えている。
単純に考えれば、力の差は歴然だ。普通の人間の僕は、虚無界の王である兄さんには敵わない。
でも、それでも兄さんを守るのだと、やっぱり僕は気を張っていた。いや、兄さんが強いからこそ、余計に。それこそ、未熟だったあの頃のように。

だけど、そうじゃないだろ、と兄さんは言う。
自分たちは対等だと、言ってくれる。
守る分だけ守りたいのだと、そう言ってくれるから。

……やっぱり、兄さんには敵わないなぁ。

僕はそう内心で苦笑しながら、うん、と一つ頷いて。

「そうだね。僕たちは対等だよ、兄さん。だって僕たちは、双子だからね」

僕を守る兄さんを、僕が守る。
あの頃には言えなかった言葉。それが今ではこんな風に素直に口にできるんだから、僕たちはきっとあの頃よりも前に進めているんだろう。

……神父とうさん。

僕は天にいるであろう彼の人を思って、そっと瞼を閉じた。







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