愛してる、の決別




七月下旬、俺は呆然としているユダを見た後、彼女へと視線を移した。彼女は、「彼女」を最期に見たときと、同じ顔をしていた。
ミカが死んだ、あの時と。

「……ミカ……、どうして、君が……」
「………」
「まさか……、僕を裏切ったのか!?奥村雪男のことをバラしたのは、君だったのか!?」
「……」

ふるふる、と彼女は首を横に振る。とても悲しげな瞳で。
そう、彼女は何も話さなかった。いや、何も話せなかった、というのが正しいだろう。
ならば何故、と疑問符を浮かべるユダに、俺は口を開く。

「ユダ。お前、ミカが覚醒して以降、彼女が喋ったのを見たことがあるか?」
「何を、急に……!」
「お前は気づかなかったのか?ミカは輪廻転生の代償に、口が聞けなくなっていたことを」
「!」
「……お前に輪廻転生を説いたのは誰か。だいたいの予想はついている。テトスからも情報はもらっているしな。虚無界の方には、もう伝達は済んでる。今頃反乱軍を治めている頃だろ」
「そんな………嘘だ………!あの人が、そう簡単に捕まるわけがない!」
「あぁ、それには俺も賛成だ。俺だってすっかり騙されてたし、アイツのことだから上手く逃げ延びるだろ。だけど……、俺はお前たちと、もう決着をつけようかと思うんだ」
「決着?何?僕達を殺そうとでもいうの?」

ハハ、と乾いた笑みを浮かべるユダ。だが、その瞳に浮かぶ俺への憎悪は、消えてはいなかった。

「オウサマ。僕は貴方を決して許さないよ。……許したら、僕はダメになる」
「あぁ。…………分かってる」

まるで自分に言い聞かせるようにして言うユダ。その頑なな態度に、俺は頷いた。
ある意味で、ユダの作戦は成功していた。大事なものを失くすことがどんなことなのかを、俺に改めて思い知らせることができたのだ。
俺は、一度大事なものを失くした。俺を守ってくれたひとを傷つけたまま、死なせてしまった。だけど、また、大事なものを得た。なくしたくない、大切なものを。そしてその温かさに、俺は忘れていたのだ。

あの、胸が焼け付くような、痛みを。

「分かってたんだ、全部。ミカは……、もうミカじゃないって。あの方に、騙されてるって。でも、それでも……僕はミカにもう一度、会いたかった。僕には、それしか残されていなかった」
「……ユダ」
「分かってた。でも………、僕はこのままじゃ終われない。オウサマ。貴方をこの手にかけるまでは、絶対に」
「……――――」

全てをなくして、また大切なものを得ることで、全てを守ろうとした俺。
全てをなくして、大切なものを得るために、全てをなくしたユダ。

かつて、虚無界の王サタンを倒そうとした自分が、今、目の前にいる。
だったら、それに応えてやるのが、おれの役目だ。

「あぁ。……、決着をつけよう、ユダ」

全てに。

俺は言いながら、背負った剣を抜く。切っ先を、真っ直ぐにユダへと向けて。
すると、ユダはどこか満足そうに笑っていた。心の底から、嬉しいというように。

「もう、手加減はなしだよ、オウサマ」
「あぁ。当然だ」

楽しげな声に、俺も笑う。そして、身のうちにある炎を、呼び覚ます。ゆらり、と揺らめく青が、夕暮れ時に淡く光を灯した。
カチリ、と剣が鳴く。俺は柄を握り締めることで、それに応えた。

さぁ、始めよう。

うそつきな俺の、喜劇を。







「俺にさ、考えがあるんだ」

彼は、まるで悪戯を思いついた子供のような瞳で、そう言った。彼がこんな目をしながら何か言うときは、たいがい突拍子もないことを言いだすのだと決まっている。
今度は何だと身構えていると、彼は鼻歌でも歌いだしそうな声で。

「雪男を殺す前に、もう一度だけ、確認をしたい。本当に、雪男がペテロなのか。それとも……、そういう風に思わされているだけのか」
『……!なるほど、ミカのマリオネット、ですね』
「そ。俺もさっき気づいたんだけどな。ミカの属性は「智」だ。できないわけじゃない」
『ですが、若君の弟は祓魔師でしょう?悪魔からの洗脳に対する予防がないとは考え難いです。優秀な弟だと、貴方も自慢なさっていたじゃないですか』
「そう。だから、俺も今まで考えつかなかったんだ。まさか雪男が洗脳されているなんて思わないし。だけど……、その可能性は全くのゼロじゃない」
『……』

信じるか、信じないか。
彼の中で、複雑な葛藤があっているのを、俺は感じた。そして、僅かの可能性にすがりたいほど、彼にとって弟の存在は大きいのだろう。
それを悔しく思うのは、やっぱり仕方のないことで。

「雪男と、もう一回話をしてみる。それでもし、雪男がペテロなら、殺してでも止めなきゃならねぇ」

それが兄貴としての責任だ、と彼は笑う。その言葉を言うのでさえ、辛いはずなのに。

「だけど雪男が洗脳されていて、思いとおりに操られているとしたら……。まだ希望はある。そしてそれは、一気に形勢を逆転させることができる」
『……テトスから、黒幕が誰か聞いたのでしょう?ならばまずはそちらを押さえるべきなのでは?』
「それについてはもう手配はしてある。テトスの部屋であっちに連絡はついたし。だけど、あっちの状況がユダたちに伝わる前にこっちから動かないと、もうアイツ等と話をつけることができなくなる」
『まだ……説得をつけるつもりで?』
「………――――」

彼は黙り込んだ。
俺でさえ分かることを、彼が分からないはずがない。生き残った「青い夜の子」の中でも特に彼を恨んでいたユダを止めるには、もう、手段は残されていないのだと。
だけど、それでも……―――優しい彼は最後まで、可能性に賭けるだろう。己の身を危険に晒してでも。

「最後まで望みは捨てねぇ。お前の兄弟を、俺は殺したりしないさ」

な?と無邪気に笑う彼に、俺は固く決意した。
俺さえも守ろうとするたいせつなひとを、今度こそ、俺が守る、と。
ぐっと手のひらを握り締めていると、カツン、と足音が一つ聞こえた。敵か、と身構えたその時、廊下の向こうから誰かがやってくるのが見えた。誰だ、と目を凝らして、絶句する。

『ミカ……!』
「………」

ユダとともに去ったはずの彼女が、そこに立っていた。俺は彼の前にかばうように立ちながら、そっと周囲を警戒した。

『何をしにきた、ミカ。……ユダは一緒なのか』
「………」
『答えろ、ミカ……!』

ユダは、と言いかけて、ちょっと待った、と背後の彼が待ったをかけた。そして、俺を押しのけて、ミカの前へと躍り出た。

『ちょ、若君!』
「いいから、黙ってろ」

焦る俺を制して、じっとミカを見つめた。ミカも、そんな彼を真っ直ぐに見つめ返している。そして僅かな沈黙の後。

「なぁ、ミカ。……お前、もしかして喋れねえんじゃねぇの?」
「!」
『え?』

ハッと目を見開いたミカは、こくり、と神妙な顔で頷いた。だろうな、と彼はため息を付きながらそう言って、俺は何が何だか分からずにいた。
ミカが、声が出せない?どういうことだ。

「輪廻転生なんて無茶な術を使うのには、それなりのリスクがある。それも、強引な魂の転生はどこかしら身体に負担をかけるんだ。……アイツは、ユダはそのことを知っているのか?」

ふるふると首を横に振るミカ。知らない、というように。
そして、彼へと手を差し伸べた。何をするつもりなのだろうと思っていたが、彼がその手に自分の手のひらを乗せたので、ぎょっとした。

『若君、一体、何を……』
「いいから!黙ってろって」

大丈夫、と俺を振り返って笑った彼は、そっとミカに頷いてみせた。するとミカは、彼の手のひらに指を走らせて、何かを書き始めた。

「と・め・て。……止めて?……何を止めるんだ?……い・え・な・い。……言えない。そうか……。でもお前は、それでいいのか?俺とこんな風に接触するなんて、本当はいけないんじゃないのか?」

彼がそう尋ねれば、ミカは目を伏せた。恐らく、ユダに内緒で若君に会いにきたのだろう。

止めて。

ただ、これだけを伝えるために。

「ミカ。俺は覚えてるよ。……お前の最期を。そして、できることなら謝りたかった。力になれなくて、ごめん、って」
「……っ」

ふるふる、と力強く首を横に振ったミカは、ぎゅっと彼の手を握り締めた。その頬に一つ、涙を落とした彼女は、握った彼の手を祈るように、額へと押し当てた。

「大丈夫。お前の兄弟も、ユダも、全部なんとかしてやる」

だから、泣くなよ。とそう言う彼の声のほうが、泣き出しそうだと思った。
こくり、と一つ頷いたミカは、ゆっくりと彼から離れた。そしてくるりと背を向けると、そのまま立ち去ってしまった。
彼はその背中を見送ったあと、じっと自分の手のひらを見つめていた。

『若君。……今ここにミカが来たということは、奥村雪男が洗脳されている可能性が高くなってきましたね』
「……。あぁ。まぁ、どちらにしろ真意はいずれ分かるさ」

アスタロトの言葉に頷きつつ、彼は俺たち二人を振り返った。そして、固い決意を宿した瞳で、俺たちを見やる。その熾烈な青い瞳に、自然と俺たちは膝を付いていた。

「レン。アト。お前たちは俺の合図があるまで、絶対に手を出すな。いいな?」
『『はい。若君』』
「よし!じゃあ、行こうか」

俺たちの返事に満足したのか、彼はニッと笑って颯爽と歩き始めた。




ゆらり、ゆらり、と青い炎が揺らめく。青い残影が、俺の視界を掠めた。
ユダへと振り下ろした刀と、ユダの隣接した腕が交差して、ギチギチと嫌な金属音を奏でる。だが、鋭い棘がバキリ!と硬い音を立てたので、ユダはギリッと奥歯を噛み締めた。横薙ぎに腕を振って、その棘が俺の頬を掠めた。

「……ッ!」

再び腕が横薙ぎに払われる。それを避けつつ、俺は刀を振る。刃の切っ先が、ユダの変化していないほうの腕を掠める。
その痛みに顔をしかめ、後ろに飛び退いたユダを追う。ハッと身を硬くしたユダの足を払い、体勢を崩したところで、刀を再び振り上げた。

「もう、終わりだ……!」

振り上げた勢いのまま、刀をその無防備なユダへと振り下ろそうとして……―――。

『若君ッ……!』
『兄さんッ!』

レンとアトの、焦った声が聞こえる。同時に嫌な気配がして背後を振り返った、その瞬間。
パァン!と乾いた音が、響いて。

「あ……―――」

振り返ったその先には、広い背中と。飛び散った赤。
そして……―――。

「ゆき、お………?」

真っ黒な銃を構えた、弟の姿だった。何故、と問う前に、ぐらりと背中が揺らいだ。膝をついたその背中は、赤く染まり始めていた。

「レン……!」
『ご無事……ですか。………若君』

額に汗を浮かべながらも、レンは俺にそう問う。俺はカッと頭に血が上って、馬鹿野郎!と怒鳴った。

「何で出てきた!出てくるなと言っただろ!なのに……!」
『命令違反は覚悟の、上です。でも……それでも貴方を、……お守りしたかった』

無事で良かった、と本当に嬉しそうに笑うレンに、瞼が熱を持つ。畜生、と悪態をついて、それを誤魔化した。
そして改めてレンの傷を見て、ぞっとする。レンは右胸を撃たれていた。だが、もしレンが俺をかばわなければ、俺の左胸、つまり心臓が打ち抜かれていたということで。
それはつまり、明確な俺への殺意を現していた。

『どういうつもりだ、奥村雪男!何故撃った!?』

アトが、雪男の胸倉を掴んで怒鳴った。俺もどうして雪男が俺を撃ったのか分からなかった。まさか洗脳が解けていないのか、とその顔をよく見つめて、ぎくりとする。
まっすぐにこちらを見つめるその顔には、おおよそ表情というものがない。能面のようなその顔に、俺は息を呑む。

違う。
雪男じゃない!

「アト!ソイツから離れろ!そいつは、「第三の子」ペテロだ!」
『!』
「ご明察」

ハッと気づいたときには、アトの額に銃口が向けられていた。助けに行こうと踏み出した足を止めて、雪男を、いや、雪男の姿をしたペテロを睨みつけた。

「さすが……「青い夜の子」一の秀才。……俺の考えを読んでやがったな」
「あぁ。アンタの考えは手に取るように分かった。甘ちゃんなんだよ、アンタ」
「……」

否定は、しない。現に、俺が甘いせいで、形勢を逆転するどころか窮地に追い込まれてしまった。
ペテロは雪男の顔で、淡々と言葉を紡ぐ。見事なまでの無表情で、俺の知るペテロがそこにはいた。

「俺=奥村雪男という情報を流すことで、アンタの動揺を誘う。そして、『奥村雪男がもしかしたら敵かもしれない』というプレッシャーをかけることで、アンタの正常な判断力を鈍らせた。虚無界にいたころのアンタなら、この作戦は通じなかっただろうけどな。アンタは物質界に弱みが多すぎる。アンタがこちらにいることが、俺たちにとっては好都合だった」
「……だろうな。だから、俺がこっちに戻ってきた途端、お前たちが動き出したんだろ。……じゃあ、俺とミカが接触することは、計算のうちだったのか?」
「まぁな」

当然、というように頷かれて、俺は唇を噛み締めた。
つまり、ペテロ=雪男という図式は正解だった、というわけだ。だが弟が裏切ったと信じられない俺は、最後まで雪男を信じるだろう。そしてその逃げ道として、ミカの能力で洗脳されているのではないか、と考える。そしてそこにミカがやってくれば、ますます俺はそう考えるだろう。
そこを利用して、「ミカの能力によって洗脳されている雪男」を擬態で演じる。それが、ペテロの書いた筋書きだ。恐らくユダの作戦を聞いて、密かに計画を立てていたのだろう。当のユダには何も告げずに。

「姉さんは元々穏健派。いや、むしろアンタたちには好意的だった。昔から、な。兄貴のことがなければ、そっち側についていただろう。だから、アンタに会いに行くのは分かっていた」
「……ッ、本物の雪男は、どうした」
「あぁ。アンタの大事な弟なら、今頃俺の指示で動いた反対派の連中の残党が処理しているさ。別に問題はないだろ?アンタももうすぐ、弟と同じ場所に行けるんだからな」
「……―――」
『ペテロ、貴様……!』

ギロリと牙を向くアトを冷徹な瞳で一瞥したペテロは、ガチリ、と銃の安全装置を外した。
ヤバイ、と俺は体を強張らせる。ペテロは冷静沈着なヤツだが、沸点が低いのだ。
どうする、と手のひらを握り締めると、ふっとペテロの表情が沈んだ。アトに銃を向けたまま、ペテロは胸を撃たれたレンを見やった。

「……、兄貴。どうして、ソイツをかばった」
『……――――、守るべき、ひとだからだ』
「っ、俺たちより、俺より、ソイツが、大事だからか……?」
『…………』

レンは答えない。すると、ペテロの顔があからさまに歪んだ。泣き出しそうな、それでいて歪んだ顔で。

「兄貴は、いつもそうだ。俺たちとソイツ。どちらも選べずに、どちらにも手を差し伸べる。そんな曖昧な優しさなんか、俺はいらない」
『ペテロ、それは……』
「兄貴」

レンの言葉を遮って、ペテロは懐からもう一丁の銃を取り出した。その先を、真っ直ぐにこちらへと向けて。

「俺はアンタを、愛してた」

さよなら、と告げたのと同時。

パァン!!と乾いた銃声が、その場に響き渡った。






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