愛してる、の愛縁




七月下旬、俺は乾いた銃声に、とっさに身を動かした。明らかにペテロはレンに銃を向けていて、レンは負傷している。普通の傷ならすぐに治るが、ペテロの持つ銃は対悪魔用の弾丸が入っている。その弾で撃たれれば、治りは遅くなる。現に、レンの表情は苦悶のまま、一向に回復する兆しがない。だからその銃弾を避けることはできないと思った。レンを庇うように躍り出て、衝撃に耐えるように、ぎゅっと目を閉じる。だが、いつまでたっても衝撃がこない。
なぜ、と恐る恐る目を開ければ、カシャン!と固い音を立てて、ペテロが銃を落とした。手は真っ赤に染まっていて、表情が苦悶に歪んでいた。
同時に、またパァン!という銃声。地面に落ちた銃が何かにぶつかったように弾け飛んで、下へと落下していった。

俺はその飛び方から、誰かがどこからか銃で撃っているのだと気づいて、視線を巡らせた。
そして。

「ッ、あ………――――!」

その姿を視界に捉えて、今度こそ俺は、視界が揺らぐのを感じた。
ゆらゆらと揺れる視界の向こう。遥か遠く、建物の頂上にいるその人は。

「雪男………ッ!」

長身の銃を構えて、真っ直ぐにこちらに銃口を向ける雪男が、そこにはいた。
俺がその名を呼べば、ペテロは目を驚きに眼を見開いていた。信じられない、とばかりに首を横に振る。

「なぜ奥村雪男が生きている!?しかも、あの距離からの射撃で、俺の手を正確に打ち抜くなんて……!」

そんなはずは、と呆然としているペテロの隙をついて、アトがその身体を地面へと抑え付けた。
クソッと悪態を付くペテロをアトに任せて、俺は遠くにいる雪男を見つめた。雪男もまた俺を見つめていて、兄さん、と俺を呼ぶのが、聞こえたような気がした。俺たちの視線が、交差する。

雪男は、無事だった。
それだけで足の力が抜けそうになる。だけど今は、まだ気を抜くわけにはいかない。グッと手のひらを握り締めて雪男に背を向ける。まだ……問題は解決していない。
俺が振り返ると、アトに抑え付けられたペテロへ、レンが歩み寄っているところだった。

『ペテロ』
「……ッ兄貴……」

レンは傷を押さえながらも、ペテロへと近づく。そして彼の傍に膝を付くと、そっと頭を下げた。
そして、ぽつり、と。

『……―――すまない』

何に対して謝っているのか、レンは言わなかった。ただ一言、すまない、とだけ告げて。
その言葉に大きく目を見開いたペテロは、ぐっと唇をかんで、俯いてしまった。
そんなペテロに手を伸ばしかけたレンは、触れる直前で手を引いて立ち上がった。その顔にはもう何も迷いはなくて、彼らなりの決着がついたのだと分かった。

「いいのか?もう」
『えぇ。これでいいのです』
「そうか……」

晴れやかなレンの表情に、もう何も言う必要はない。ペテロも抵抗するつもりはないのだろう、大人しくなった。わずかにその肩が震えていたけれど、誰もそのことには触れなかった。
そして……、残ったのは。

「……ユダ」
「何か、興ざめだね」

ひょいと肩を竦めて、彼は苦笑した。俺もそれに、一つ頷く。ユダも俺も、いや、この場にいる全員が、それぞれの事情を理解している。ペテロとレンのことも、ユダにとっては想定内のことだ。だからこそ、興ざめだ、と言ったのだ。
ユダはきっと、ペテロとレンが殺しあうのを望んでいただろうから。
同じように悪魔の血を分けながら、他人同士である「青い夜の子」。彼らはお互いを兄弟と呼び、時には家族と言い、恋人だと言う。同じでありながら他人である彼らにとって、お互いは唯一の存在。
だからこそ……―――、時にはお互いが憎悪の対象にも成り得るのだ。

「本当なら、今この場で決着を付けるのが筋だろうけど、正直に言えばこのまま続けたところで決着なんてつかないだろ。それは、お前だって分かるはずだ」
「そうだね。きっと今のオウサマは、僕に対して手加減をしてしまうだろうね。貴方はある意味で、僕達を理解しているから」
「……―――」

だからこそ許せないんだけど、とユダは笑う。そう、俺は彼らを理解している。それなのに、どうしてこうも上手くいかないんだろう。ぐ、と固く唇を噛む。わずかに、鉄錆の味がした。

「でも理解しているからこそ、理解していないんだよ」
「意味が分からない。俺は、ただ……!」
「それでいいんだよ、オウサマは。何も分からないままで」

その言葉は、どこか諦めたような響きを持っていた。理解されることを放棄しているような、そんな声だった。俺は自分でも驚くほど、その声色にカッと頭に血を上らせた。理不尽だと、心の底から思ったからだ。
だって。

「どうして、諦められる?お前たちは、理解されたいからこそ、戦ってきたんじゃないのかよ!」

俺は衝動に任せて、そう叫んだ。だけど、ユダはただ、そんな俺を笑うだけ。
ゆらり、と揺らめく深緑色の瞳が、真っ直ぐにこちらを射抜いて。

「……ねぇ、オウサマ。もしも……―――、」

僕達が、と。
続けようとしたその言葉は、だけど声にならずに。

「……がッ……?!」

突然、激しく咳き込み始めたユダは、苦しげにその場に膝を付いた。ひゅーひゅーと喉が鳴り、胸を押さえて蹲っている。
俺はその姿に、ハッと目を見開く。まさか、と。

まさかもう、タイムリミットなのか、と。

「ユダ……!」

慌ててユダへと駆けつけようとした俺に、立ちふさがる人影。真っ直ぐに両手を伸ばした彼女は、ただ、無表情な瞳で俺を見つめていた。

「ミカ?!なにをするんだよ!どけ!」

急がないと、と急かす俺に、彼女はフルフルと首を横に振って。

「ダメです。……ここから先、通すわけにはいきません」

凛、と芯の通ったその声に、愕然とする。ミカが、その口を開いて話していることに。だが、すぐに気づく。その瞳に浮かぶ光も、その表情も、ミカのものではないことに。

「お前、まさか……。柳……?」

俺が呆然とその名を呟けば、彼女はフッと微笑んだ。彼女自身の、その笑みを。そして、一つ頷いてみせると、彼女はそっとその懐から黒光りする銃を取り出した。十字の刻まれた、二丁の銃を。そしてその二つの銃口を、一方は俺へ、もう一方はユダへと向けて。

「お久しぶりです、奥村さん。候補生エクスワイヤ……、いえ、上一級祓魔師、柳美加。正十字騎士団の名において、「青い夜の子」の抹殺を命じられて来ました」

柳はそう言って、カチリ、と安全装置を外した。彼女がトリガーを引けば、俺もユダもただではすまないだろう。だがそれよりも、なぜ、という疑問が湧いてしまって。

「どういうことだ……!?お前が上一級祓魔師って……。それに「青い夜の子」抹殺って……」
「どういうことも何も。そういうことです、奥村さん。私は元々、「青い夜の子」の調査のために候補生として塾に潜入していました。かつての貴方の師、霧隠さんと同じように」
「じゃあお前はミカじゃないのか……?」
「いいえ、私はミカですよ。同時に、柳美加でもある。私の中には、二つの人格が存在しているのです」
「そんなことありえるのか!?」

一つの体に、二つの人格。
二重人格とは異なる、一つの身体に二つの魂が宿り、共存している。そんなこと、普通はありえない。だが、柳は首を横に振って、応えた。

「はい。実際、私は生きている。そして、なぜそれが在り得ているのか、私はその答えを知っています。私は……ミカの魂を持つ「青い夜の子」だからです」

柳が「青い夜の子」?
俺が内心でパニックになっていると、レンが否を唱えた。そんなはずはない、と。

『若君、彼女の言葉には信憑性がないです。「青い夜の子」の全員を俺は把握しています。そして、彼女はその中に入っていません。虚偽である可能性が高いと思います』
「……。貴方が私の兄、「第一の子」ヨハネさんですね。初めまして。貴方が私を知らないのは当然です。なぜなら私は、死んだものとされていたのですから」
『死んだ……?』
「そうです。私は、生まれてすぐに死んだとされた「青い夜の子」の欠陥品でした。ですが、ある人物によって救われ、祓魔師として今まで影で活動してきました。……兄弟を殺す、武器として」

柳は、俺をじっと見つめた。そして、ふ、と目を細める。

「聞いたことのある話だと思いませんか?悪魔として生まれながら、悪魔を殺す武器として育てられた。……そう、貴方と私は同じ境遇なんですよ、奥村さん」
「……―――」

私たちは同じなのです、と彼女は笑う。その笑みに、何故かドキリと心臓が大きく音を立てた。どうしてなのかは解らない。ただ、これ以上彼女の言葉を聞くのが、怖いと感じた。だが、そんな俺に、彼女は優しく微笑んで、こう告げた。

「私を救い、悪魔を殺す道を示したのは、他でもない。……かつて最強と言われた聖騎士………―――――藤本獅郎。……貴方の父親です」


燐、とどこか遠くで、俺を呼ぶ懐かしい声が、聞こえた気がした。




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