愛してる、の真偽




七月、僕は目の前で抱き合う兄さんと、悪魔である男を呆然と見つめた。一瞬、目の前が真っ白になったけど、すぐに我に返ってキッと二人(主に悪魔の方)を睨んだ。睨まれた兄さんはびっくりした顔をしていたけれど、当の悪魔の方は飄々とした顔をして、兄さんに抱きついたままだ。
レヴィアタンといいベルゼブブといい、兄さんの周りにいる悪魔はどうも僕とは相性が合わないようだ。
僕は眼鏡を押し上げつつ、冷静になろう、と自分を落ち着かせた。兄さんはそんな僕の様子に戸惑っているようで、オロオロと僕を見ていた。

「雪男?どうかしたのか?」
「……」

どうかしたのか?じゃないよ。
僕はそう言いかけて、ぐっと言葉を呑んだ。兄さんに当たってもしょうがないことだし、それに、自覚の無い人にどうこう言ったところで無意味だ。呑んだ言葉の変わりに、にっこりと微笑んで。

「兄さん、今日はもう任務には出なくていいって、フェレス卿から連絡が入ったよ。それより、アスタロトを理事長室に連れてくるように、だって」
「……?分かった。まぁ、こんだけ騒ぎを起こしたんだし、仕方ないよな」

兄さんが苦笑しつつ、ほら、とアスタロトを促していた。だけどアスタロトはじっとしたまま動くことは無くて、何だ?と内心で首を傾げていると。

『……嫌だ。俺は帰らない』

ぽつり、とアスタロトはそう呟いた。そして、じっと兄さんを見つめる。兄さんもそんなアスタロトを見つめ返していて、何か目で会話をしているような、そんな雰囲気が流れた。
勿論、そんな二人を見ていなければならない僕としては、気が気ではない。だけど、今は二人の間に入ってはいけないような、そんな気がして、僕はぐっと言葉を呑んだ。
すると、しばらくの間黙ったままだった兄さんが、ふぅ、と一つため息を付いた。そして、困ったような、それでいてしょうがないな、というように笑って。

「分かった。……お前はもうしばらく、俺の傍にいろ」
『!』
「ちょ、兄さん!?」

嬉しそうな顔をするアスタロトを無視して、僕は兄さんに詰め寄った。どういうつもりなのか、と。だけど兄さんはしょうがないだろ?と笑うだけで。

「何がしょうがないの。ここまで騒ぎを大きくしたアスタロトを物質界に残すなんて、できるわけないでしょ。何を考えてるの、兄さん」
「だって、ほんとにしょうがないし」

そう言って、少し拗ねたように唇を尖らせる兄さん。僕はその顔に言うことを聞いてしまいそうな自分を叱咤して、とにかく、と一つ咳をする。

「フェレス卿のとこに行きなよ。話はそれからだ。フェレス卿から許可が貰えれば、僕だって何も言わないよ」
「それもそうだな。……ほら、行くぞ、アト」
『はい。……でも、その前に、彼と話をさせて下さい』

ちらり、と僕を見たアスタロト。兄さんはアスタロトの真意に気づいたのか、じゃあ、先に行ってるな、と言って、そそくさとその場を後にした。

『……』
「……」

お互い睨み合ったまま、沈黙が降りる。アスタロトが何を考えて、僕と話をしたいと言い出したのかは分からない。だけど、きっと兄さんのことに違いない。だとしたら、どんなことを言われたとしても僕は負けるわけにはいかない。僕はそう考えて、アスタロトを睨む。するとアスタロトは僅かに目を見張った後、スッと目を細めた。

『……なるほど。やっぱり、あの人の言った通りだ』
「……」
『『頭が良くて、行動力もあって、だけど意外と負けず嫌いの意地っ張り』』
「は?」
『あの人が、『兄さん』が、アンタのことをそう話してた』
「!」

僕はその時、条件反射で腰に手をやっていた。アスタロトを睨む目線を鋭くして、何故、と問う。

「なんで、お前が兄さんを『兄さん』と呼んでいる!?」
『……』

答え次第では、銃を抜く。そのつもりで問いかけた。
僕はそれほど、許せなかった。兄さんを「兄さん」と呼べるのは、同じ血を分けた僕だけ。それは僕にとって、とても大切なことだった。
まるで自分の一番大切な場所を土足で踏みにじられたような不快感に、吐き気がする。
怒りを露にする僕に、アスタロトはあくまでも表情を変えず、ただ淡々と。

『それは、兄さんが許したからだ』
「ッな!?」

何を当然なことを、と言うように、アスタロトは言い切った。僕はそれに驚きながらも、嘘だ、と思った。何故なら、兄さんが他人を「兄さん」と呼ぶことを許すなんて、考えられないからだ。
それとも。
兄さんにとってぼくという存在は、代わりの利くモノだったというのだろうか……?
呆然とそんなことを考えていると、アスタロトはまるで僕の考えを読んだように、フッと嘲笑った。

『所詮、アンタもその程度か』
「な、何がだ!?」
『アンタも兄さんを信じていないんだろ。だから、疑う』
「ッ」
『俺だったら、絶対に兄さんを疑ったりしない。裏切ったりしない。何故なら、俺はあの人の『弟』だからだ』
「……ち、違う!」
『違わない』

動揺を見せる僕に、アスタロトはゆっくりと近づいてくる。コツン、コツン、という廊下を歩く足音が妙に響いて、僕は咄嗟に銃を構えていた。だが、それに気にすることなく、アスタロトは歩みを進めて、僕の目の前でぴたりと足を止めた。
見た目はごくごく普通の人間だ。だが、纏う雰囲気は悪魔そのもので、僕を見下していた。

『俺は、兄さんを信じないアンタをあの人の弟と認めるわけにはいかない。……あの人の弟は、俺だけだ』
「……」
『優しいあの人の弟は、俺だけで十分だ』
「……!」

僕は。
僕はそこで、ハッと我に返った。そして……―――。

「ふ、ふふ、あはははははは!」
『!?』

こみ上げる笑いを抑えきれず、声を上げて笑った。
狂ったように笑う僕に、アスタロトはほんの少したじろいた。それを見て、僕は銃を握る手に力を込める。そして、ぴたりと笑うのを止めて、アスタロトの額に銃を突きつける。

「ふざけるな」

笑いの次にこみ上げてきたのは、静かな、怒り。

「兄さんを信じないなら弟じゃない?冗談じゃないよ。僕はね、一度だってあの人を信じたことはないよ」
『な……!』
「僕は、絶対に兄さんを信じてやらない」

絶句するアスタロトに向かって、僕は微笑んだ。兄さんの弟として。そして、兄さんを愛する者として。

「兄さんを守るために、僕は兄さんを信じない。兄さんが付く優しい嘘を、信じるわけにはいかないから。全てを信じてやることが、正しいことだなんて思うなよ、ニセモノの悪魔おとうとさん?」

かつて、僕を置いて行った兄さん。
虚無界の門ゲヘナゲートへと消えていくその背中を見送ったときに、この銃をその背中に向けたときに、僕は誓った。
優しすぎる兄さんのことを、僕は信じない、と、そう心に誓った。
だから。

「あの人は、僕の『兄さん』だ」

もう、誰にも渡さない。

僕がそうきっぱりと言い切れば、アスタロトはじっと僕を見つめた後、ふっと瞳を伏せた。
そして、ほんの少しだけ笑って。

『やっぱり兄さんの弟だな、アンタ。……あの人と目がそっくりだ』
「……」
『アンタに勝てるワケないって、分かってた。だけど、それでも、俺はあの人の「弟」だ。あの人が許してくれる限り、ずっとな』

だから、とアスタロトは不敵に口元を吊り上げて、笑う。

『もし、アンタがあの人を傷つけるようなことがあれば、その時は、今度こそ俺がアンタの代わりになってやる』
「それは、どうも。……そんなこと、一生ありえないだろうけどね」

僕は銃を握り締めて、笑い返す。この場所は、誰にも譲らない。その意思を、込めて。





窓の外の景色は、滲んだ赤に染まっていた。
もうじき、暗い闇が潜む夜が来る。それは、自分たちの時間の訪れだ。

『……、『腐の王』の件、失敗致しました』

遠く、赤と紺色のグラデーションを刻む空を見上げて、そっと囁く。答えはすぐに返ってくる。
耳で聞くのではなく、感覚で聴くからだ。そういう繋がりで外部との通信を図っているので、誰にも気取られることはない。

『そうか。だが、計画は順調に進んでいる。お前はそのまま潜入を続けていろ『青い夜の子』』
『はい。分かっています』

頷けば、相手はすぐに通信を切った。これもまた、敵に気取られない為のモノ。それに、報告は簡潔にするのが一番だ。例え失敗したとしても、それもまた、「次」の布石になるのだから。

「次は、どうしましょうか」

ねぇ、虚無界の王様?
私たちを捨てた悪魔。

貴方を恨む、根源は深い。
その闇の中で舞う、貴方の青い炎が見たい。








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