愛してる、の欲望




七月、俺は正十字学園の廊下を歩いている。保健室の前に置いてきた雪男やアトのことを思って、小さく笑う。どちらも俺にとっては大切な「弟」だから、喧嘩はして欲しくないのだけれど。それでもアイツらのことだ。きっと大丈夫だろう。何となく、あの二人は似ているから。

「まぁ、それも俺のせい、かもな……」

特に、アトについては、と苦笑交じりに呟いて、そっと廊下の窓から外を見る。三年前まで当たり前のように歩いていた、この廊下。それは三年経った今も変わらずにあって、ほんの少し嬉しく思う。綺麗に掃除されたこの廊下や教室が、入学したての頃は少し苦手だったというのに。
俺も変わったな、と思いつつ、歩いていた足を止める。カツン、と靴が廊下のコンクリートを叩く音が、高く響いて。

「……―――いい加減、出てきたらどうだ」

俺は、少し挑発するように言い放つ。同時に、しゃん、という鈴がぶつかるような音が響いて。
ひゅ!と風を切る音と共に背後から突き出されたソレが、俺の右耳のすぐ傍を通り過ぎる。俺は黙ったままソレを見て、口元を吊り上げる。
しゃん、と金色の輝く、キリクを。
黙ったまま何も言わない俺に、背後にいたソイツはふっと吐息だけで笑う気配がして。

「……ほんま、性質悪いわぁ。気づいとったんなら、言ってもろても良かったのに」
「フン。ワザと俺に気づかせたくせに、何言ってやがる」
「はは、やっぱり敵わへんな。……奥村君」
「そう言うお前も、随分と強くなったみてぇじゃねぇか。……志摩」

俺が背後のソイツ、志摩の名を呼ぶと、志摩はそやな、と言ってキリクを下ろした。それを見届けて、振り返る。背後には黒のコートに身を包み、胸に祓魔師の勲章を下げた志摩が立っていて、立派な祓魔師姿の志摩に俺はニッと笑う。そして志摩もニッと俺に笑い返して。

「ひっさしぶりだな!」
「久しぶりやな!」

がし!と固い握手を交わしていた。

「やー、ほんとに久しぶりだな。えっと、多分俺がこっちに帰ってきたとき以来じゃね?」
「そうそう!あん時は皆で奥村君帰還記念パーティしたんやけど、その後はめっきりやったしなぁ。奥村君も俺も任務で忙しかったし」

そうだな、と言いつつ、志摩の姿を改めて見つめる。三年前よりもまた更に身長が伸びたらしい志摩は、あの頃よりも随分と落ち着いた様子を見せていて、相変わらずのピンク頭だったけれど、随分とカッコよくなったな、と思う。まぁ、ジジイや勝呂に比べればまだまだだけど。

「あ、奥村君、今俺のこと見惚れとったやろ?」
「や、全然」

でも中身は相変わらずらしい。俺は笑いながらそう言うと、志摩はそんなぁと少し落ち込んでいた。しゃん、と志摩が動くたびにキリクが音を立てて、そういえば、と思う。

「そういや、勝呂や子猫丸は元気か?アイツらとも全然会えてねぇんだけど」
「あー、子猫さんも任務やら試験やらで忙しそうやし、坊はそれと寺のこともあるからなぁ。でも二人とも元気や。奥村君に会いたい言うてたよ」
「え?子猫丸はともかく、あの坊が?」
「あはは。坊は口ではなんも言わんけど、心ん中ではそう思っとるよ。それに奥村君を虚無界ゲヘナから皆で連れ出そうとしとった時も、前準備に一番力を入れとったの、実は坊なんよ」
「え……?」

それは、初耳だ。だってアイツは再会した時もそっけなかったし、おかえり、って言ってくれる皆の中で、アイツだけ黙ったままだったから。
俺がそう言えば、志摩は苦笑して。

「きっと坊は、奥村君と再会して、何を話したらええか戸惑っただけやと思うよ。……やっぱり、三年は長いからなぁ」
「……でも、お前は違うじゃん」
「まぁ、そりゃあ俺も最初は戸惑ってたんよ?でも、奥村君は何も変わっとらんって分かったから、だから大丈夫やったんや」
「……志摩」
「なぁ、そうやろ?……坊」
「!」

は、と志摩の後ろを見れば、きゅっと眉根を寄せた勝呂がこちらを見つめていた。勝呂も祓魔師のコートに身を包んでいて、あの頃は金髪だった髪も黒に戻していた。それが少し勝呂を大人びて見せて、やっぱり勝呂はカッコいいな、と思う。
そんな風に見惚れていた俺に、勝呂はずんずんと近づいてきて。いつかの時のように、じっと俺を見下ろした。

「な、なんだよ……?」
「……」

俺がどぎまぎしつつ勝呂を見上げると、勝呂はふい、と視線を逸らせて。

「……この前は言いそびれたけど………、おかえり、奥村」
「!」

ほんの少し、照れたように。そしてそれを誤魔化すように顔を険しくしているせいで、勝呂の表情はどこか可笑しくて。それでも、言われた言葉が純粋に嬉しく思えて。

「おぅ!ただいま!勝呂!」

そう、満面の笑顔で答えていた。



無事に仲直り(?)を果たした俺たちは、メフィストのいる理事長室へと向かった。どうやら勝呂と志摩もメフィストに呼ばれていたらしく、三人で肩を並べて廊下を歩いていた。

「そういえば、理事長の用事って何やろね」
「さぁ?任務じゃねーの?」
「それが一番妥当やろうけど、奥村おまえが一緒で大丈夫やろか」
「いいんじゃね?俺もアイツに呼ばれてるんだし」
「どうせなら一緒の任務につけるとええのにな」
「あー……」

笑ってそう言う志摩に、俺は言葉を濁す。俺の今の立場を考えれば、志摩たちとの任務はまだ難しいだろう。教団はまだ俺を本当の意味で信用しているわけではないし、シュラや雪男といった上級の祓魔師の監視付きでなければ、任務には出られないわけだから。
俺がまごついていると、それに気づいたらしい勝呂が、志摩、と嗜めていて。

「あー、ごめんな、奥村君。何や、色々と事情があるんやろ?」
「あ、いや……」

気まずそうにする志摩に、俺はほんの少し俯く。気を使わせてしまった、と。
すると勝呂がぶっきらぼうな口調で、奥村、と俺を呼んで。

「色々、難しい事情は何も知らんけどな。……あん頃のように、何でも一人で抱えて解決しようとする癖、いい加減治せや。……俺たち、仲間やろ」
「……、うん」

俺は俯いたまま、小さく笑う。本当に、どうしてこの同級生はこうもカッコいいのだろう。俺がサタンの息子だと知ったときも、虚無界の王になった今も、ずっと仲間だと言ってくれる。
そのことが、俺にとっては救いで。

「ちょ、二人とも何イイ雰囲気醸し出しとるんや!」
「な、何言うてんねん、志摩!」

本当にいい奴らだよなぁ、と二人の姿を見て、しみじみとそう思う。そして、この仲間たちを、俺の事情に巻き込みたくない、とも。
心の底から、願っていた。



そうして、ぎゃあぎゃあと騒ぎつつも理事長室と辿り着いた俺たちを、どこか面白げな顔をして向かえたメフィスト。何かを企んでいるような顔をするメフィストに、ざわりと嫌な予感がする。

「皆さん、お揃いのようで。……さて、今回奥村君だけでなく勝呂君に志摩君、お二人をお呼びしたのには、ワケがあります」
「ワケ?任務ですか?」
「えぇ、単純に言えばそうですが、これは正十字騎士団には極秘の任務になります」
「!」

は、と勝呂と志摩が顔を上げる。何を、と俺が口を開く前に、メフィストはただ淡々と告げた。

「『青い夜の子』が動き出しました」
「ッ!」

俺は、その言葉に息を呑む。
聞いたことのない単語なのだろう、勝呂が首を傾げて。

「『青い夜の子』?何ですか、それは」
「はい、それは……―――」

メフィストがそれ以上の言葉を口にする前に、俺は背負っていた刀を抜く。そして優雅に椅子に座ってこちらを見据えるメフィストのその喉元に、刃を突きつけた。

「奥村!?」

勝呂が慌てたように俺を呼ぶ。だが、俺はじっとメフィストを睨む。たいがいの悪魔を抑えつけられる俺の視線を受けても、メフィストは飄々とした態度を崩さない。その様子に、大した野郎だ、と舌打ちしたくなる。
俺はぎりぎりと奥歯を噛み締めつつ、激昂しそうになる感情を抑え込む。

「どういうつもりだ、メフィスト・フェレス」
「どういうつもり、とは?どういうことでしょう?それに、それは私の台詞というもの。今、貴方が刃を向けているのが誰か、分かっているんでしょうね?」
「当然だ。だが、それよりも俺の質問に答えろ。お前、まさかと思うが、あの件にこいつらを巻き込むつもりか?」
「……「そうだ」、と言ったら、どうするんです?」
「ッ」

ニヤリとこちらを見上げてそう言うメフィストに、今度こそ舌打ちする。遊ばれている。それが分かって、俺は刀を下げる。それを満足そうに見たメフィストは、やれやれ、と大袈裟な仕草で肩を竦めて。

「そう熱くならないで下さい、奥村君。私だってむやみやたらと巻き込むようなマネをしませんよ」
「……どうだか」
「おや、心外ですね」
「……―――、それで?なんでこの二人を呼んだんだ?何か理由があるから、呼んだんだろ?」

俺は刀を鞘に収めて、少し自棄になりながらも窓に凭れ掛かる。昔からメフィストと話すのは妙に疲れる。ほんの少しため息を付いて黙り込むと、それはですね、と話し始めた。

「このお二人は、少なからず『青い夜の子』と関係があるからです」
「!……どういうことだ?」
「それは……、順を追って説明しましょう。まずはこのお二人に、『青い夜の子』というのが何なのか、説明する必要があるようですし」

ほんの少し焦りを見せた俺を落ち着けるように、殊更ゆっくりと話すメフィスト。成る程、確かにその通りだ。俺は口を噤む。

「いいですか、お二人とも。この話は正十字騎士団内部でもごく一部にしか知られていない事実です。話しを聞いた後も、他言無用でお願いします」
「……分かりました」

尋常じゃない俺やメフィストの様子を見て、ことの深刻さを感じ取ったのだろう。勝呂が一つ頷く。それを見やって、メフィストは口を開く。

「『青い夜の子』というのは、前サタン。つまり、奥村君の実の父親が遺した、悪魔の中でもさらに悪魔らしい実験によって生み出されたものです」
「実験……?」
「えぇ。前サタンはご周知のとおり、この世界を欲していた。だが、その強力な力によってこの世界に彼の憑依に耐えうる存在がなかった。そのおかげで、この世界は平和を保たれていた。だが、彼の野望は尽きなかった。そして、奥村君が生まれた」
「……―――」

俺はぐっと手のひらを握り締める。脳裏に浮かぶ、強大な青い炎を纏う魔神。悪魔の中でも、快楽的で狂気的な、悪魔の本質をそのまま形にしたような、悪魔。
アイツは、本気でこの世界を欲していた。それこそ、執着的に。

「それが約二十年前の『青い夜』のことです。彼は大量の聖職者の血を糧にこの物質界に干渉し、奥村君の母親である女性に、自分との子供を産ませた。だが、それは上手くいくと保障されたわけでもない、ただの実験に過ぎなかった。まぁ、結果は奇跡的に成功してしまい、奥村君はサタンのを受け継いで生まれてきてしまいましたが。……ですが、彼が行った実験は、それだけではなかったのです」
「!」
「サタンはあの夜、もう一つの実験を行っていた。それは、悪魔の力を受け継いだ子供の、製造」
「製造って……。まさか」
「そうです。あの混乱に乗じて大量の悪魔を虚無界に送り込み、人間に憑依した悪魔同士で、交配させる。そして、その状態で生まれてきた子供は必然的に、悪魔になる。人間に、悪魔を生み出させる実験。……そして生まれた子供たちのことを、『青い夜の子』と呼んでいます」

そこで、メフィストが言葉を切る。勝呂も志摩も、形容しがたい嫌悪感に襲われているのか、顔色が悪い。俺も最初にこの話しを聞いたときに、吐きそうになった。そして何より、それを平然とやってのけたサタンに、言いようのない怒りが込み上げたのを覚えている。
だがそのサタンはもうこの世界にも、虚無界にもいない。

「それで……、その『青い夜の子』が、どうかしたというんですか?」

ようやく心の整理がついたのだろう、志摩が真剣な顔でそう言った。するとメフィストはちらりと俺を見やって来たので俺は、一つ頷くことで返事をした。もうここまで説明してしまったのなら、後には引けないだろう。

「『青い夜の子』は、大半がすぐに死んでしまいました。悪魔は元々この物質界アッシャーには何かに憑依しなければ存在できないから、当然と言えば当然です。しかし、ごく稀に、そのまま人間として育った子どもたちがいる。……奥村君と同じように。ですが一つだけ、奥村君と彼らには違いがある」
「違い?」

何や?と首を傾げる勝呂に、メフィストではなく俺が答える。

「俺は自分が悪魔だって知らずに育てられた。だけど、『青い夜の子』たちは、自分が悪魔であると生まれたときから自覚している。そしてそれが、そもそもの始まりだった。『青い夜の子』たちは、自分が人間とは違うイキモノだと自覚したまま、人間によって育てられた。それがどんなに歪なモノか。……―――俺には分かる」
「奥村……」

俺は自分の手のひらを見下ろした。
小さな頃から、自分と他の奴らがどこか違うのだと、痛いくらいに経験した。人間離れした身体能力、時折凶暴化する精神。いつか、大切なひとを傷つけるかもしれない、恐怖。
だけど、俺が優しい心を持てたのは、優しい心をくれたジジイや傍に居てくれた雪男のおかげだ。そして、分かり合える仲間と出会えたから。だから、俺は本物の悪魔にならずに済んだ。
だけど、『あの子』たちは違う。最初から人間とは違うのだと自覚している彼らには、この世界は生き苦しい世界だったに違いない。
自分とは違うイキモノには辛く当たる、この世界では。

「彼らは、自分の生まれを呪い、そして、自分たちを生み出した根源、虚無界ゲヘナの王、サタンを恨んだ」
「!」
「そしてそれは、俺が王になったとしても変わらなかった。……いや、俺が王になったから余計に、恨みは深くなった」
「な、何でや!その『青い夜の子』たちを生み出した原因は、前のサタンやろ!奥村が恨まれる理由はないんやないのか!?」

納得いかない、というように、勝呂が叫ぶ。俺はそれを嬉しく思いつつ、首を横に振る。

「逆だよ。『あの子』たちと同じ境遇にいながら、俺は何も知らずに育って、ジジイや雪男、お前らに出会えた。そして、サタンを一緒に倒すまでに至った。そして、王という地位にまで就いた。それが、『あの子』たちには憎く見えたんだろうな。そして、そんな『あの子』たちに力を貸す悪魔が現れた。それが、俺が王の地位に就くことに反対していた、反乱軍の王だ」
「サタン、というより、奥村君本人に恨みのある両者が手を組むのは必須。奥村君が王に就任するのと同時に、必然的に反乱軍との抗争が始まってしまった。そして、そんな彼らを宥めるのに、三年という月日が必要でした。そしてようやく、反乱軍を説得することには成功しました。……ですが」
「『青い夜の子』たちの恨みは、それ以上だった。『あの子』たちは俺が物質界アッシャーに戻ってきたのと同じように、こちらに戻って来ていた。恐らく、俺を殺すために」
「そしてそんな彼らの黒幕には、やはりまだ反乱軍の一部が混じっている。つまり、まだ、奥村君の戦いは、終わったわけではなかったんですよ」

そこで、メフィストは言葉を切る。俺も、二人を見た。
二人とも真剣な瞳でこちらを見ていた。その強さに俺は僅かに目を見張った後、そっと笑った。
こいつらなら、大丈夫。そう、信じて。

「そして、貴方がたにこの話しをするのは、『青い夜の子』がこの正十字学園内に紛れ込んでいるということと、それがどうやら祓魔師の訓練生、及び候補生の中にいるのだという情報を掴んだ為です。勝呂君と志摩君は塾の講師もしていますし、正直、貴方たち以外の教師や生徒では信用ならない状態なのです」
「!それは、つまり……」

そうです、とメフィストは笑う。

「貴方がた二人には、それとなく訓練生と候補生の様子を監視、『青い夜の子』である可能性が少しでもある生徒を見つけたら、すぐさま報告して頂きたいのです」





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