愛してる、の思惑




七月、俺は少しだけ複雑な心境になっていた。
本当なら、この『青い夜の子』の問題は、俺が解決しなければならない問題だった。俺が虚無界ゲヘナにいたときに、この問題は解決すべきことだったはずなのに、物質界アッシャーに戻ってきた今でも、解決するどころか周りを巻き込んでしまった。
それを不甲斐ないと思うのと同時に、巻き込んでしまった勝呂や志摩には、申し訳ないと思う。そして、俺が『青い夜の子』たちにしてやれることがあれば何でもするのに、と彼らの名を聞くたびに歯軋りをする。
俺がそんな風に考え込んでいると、奥村、と勝呂が俺を呼んで。

「また、変なこと考えとるんやなかろうな?」
「え?」
「巻き込んだ、とか、申し訳ない、とか。そんなこと考えとるんやったら、それはとんだ思い違いや。俺は巻き込まれたとか思っとらんし、お前が俺らに気ぃ遣うことは、何もないんや」
「勝呂……」
「そうやで奥村君。俺ら、一緒にサタンを倒した仲間やないか」
「志摩……」

な、と二人は真剣な表情で、俺にそう言った。その言葉が、その瞳が、何も嘘をついていないのだと痛いくらいに伝わってきて、俺は少しだけ、泣きそうだ、と思った。

「うん。……ありがとな、二人とも」

ほんの少し震えた声で、俺は返した。すると、当然やろ、と言い返す声があって。
こんな仲間に出会えたことを、心の底から感謝した。

「……話は纏まったようで。では、話の続きをしましょうか」

メフィストは俺たちの間に流れた雰囲気を裂くように、話し出した。俺ももう、迷わない。二人に協力してもらって、今度こそ『青い夜の子』たちを救わなければ。
俺が視線で先を促すと、メフィストはおや?と声を上げて。

「どうやら、この話に詳しい人物が来たみたいですよ」

にやり、とメフィストは笑いながら俺を見上げた。誰のことだ?と思っていると、コンコン、と扉を叩く音が聞こえて。

「兄上、俺です」
「あぁ、入れ」

失礼します、と扉を開けて入って来たのは、途中で別れたアトで。メフィストの笑みの理由を察して、なるほど、と思う。
アトは俺とメフィストを見たあとに、勝呂と志摩を見て怪訝そうな顔をした。この二人が誰か分かっていないのだろう。俺はアト、と彼を呼んで。

「この二人は勝呂と志摩。俺と同期の祓魔師エクソシストで、俺と同じ塾に通ってた奴らだ」
『……この人たちが……』

ちらり、と二人を見たアトが、なるほど、という顔をした。だけどすぐに二人に興味がなくなったのか、俺とメフィストに向き直って。

『兄上、若君、少しお話があるのですが、よろしいでしょうか?……「あの件」についてなのですが……』
「あぁ、話してくれ」

俺が促すと、アトは二人を少し気にした素振りを見せたものの、俺たちが止めないのを感じ取って、そのまま口を開いた。

『第二の子、「ユダ」に会いました。この学園の制服を着ていたのを見ると、もうすでに学園内に侵入していると思われます』
「!」
「ほぅ?やはり、ですね」

俺はその名に、きゅっと唇を噛む。
まさか本当に、アイツがこの学園の中にいるというのか。
俺とメフィストがアトの言葉にそれぞれ反応を示すと、アトは淡々と続けた。

『ユダは他の兄弟たちも学園に入り込んでいる、と言っていました。恐らく、「ペテロ」や「ガラテア」、その他の兄弟たちも、この学園のどこかにいる。……なんとなく、ですが、そんな感じがするのです』
「お前が言うんなら、まず間違いないだろうな。ユダがいるなら他の奴らだっていてもおかしくないし」
「ちょ、待ってください」

どうしようか、と悩んでいると、少し戸惑ったように、勝呂が声を上げた。なんでしょう?とメフィストが促していると、勝呂は少し言い難そうな顔をしながら。

「えっと、その、この男は一体何者なんです?それに、第二の子というのは、どういう意味なんですか」
「あー……わりぃ、説明が不足してたな」

俺はがしがしと頭をかきながら、そうだった、と思いつく。
勝呂や志摩は八候王のほとんどが一度この学園に来たことを知らないし、ましてや先程「青い夜の子」について知らされたばかりなのだ、分からないことがあるのは当然で。

「コイツは『腐の王』アスタロト。まぁ、今はワケあって物質界アッシャーに来てたんだ。んで、第二の子っていうのは、「青い夜の子」たちの呼称みたいなモンで、生まれた順に名が付いてるんだ。「青い夜の子」の生き残りは今は全部で約十人くらいいて、その中の半分が反乱軍に付いてるんだ。第二の子、ユダはその筆頭ってわけ」
「……『腐の王』……八候王の一人か」

勝呂は少し複雑そうな顔をした。まぁ、『腐の王』の眷属である『不浄王』のことで勝呂には色々と思うところもあっただろうし、俺もあの一件には強烈な印象を数年経った今でも持っているくらいだ。
アトは勝呂の表情を見て、すぐにピンと来たらしい。『不浄王』の一件で、アトにも色々と影響があったらしいから、気づくのも当然のことだろう。アトは、なるほど、と声を上げて。

『お前が『不浄王』を封じた人間の血縁者か。アレの存在は俺にとっても少々厄介なものだったから、アレを滅してくれたときは少なからず感謝したんだ。……、今この場を借りて礼を言おう』

ありがとう、と素直に頭を下げるアト。その姿に、勝呂は驚きのあまり目を見開いて固まっていた。そりゃ、当然だ。悪魔に頭を下げられるなんて、祓魔師エクソシストになったら絶対にありえないことだから。
頭を上げたアトは、驚いたままの勝呂を見て首を傾げていた。アトからしてみれば、礼を言うのは当然のことだったのだろう。どうしよう、と少し戸惑った顔をして俺を見るアトに、俺は小さく笑って頷いた。

「まぁ、気すんなって。お前は当然のことをしただけだし。……それより、今は「青い夜の子」たちのことだ」
『……―――えぇ』

アトはすぐに神妙な顔で頷く。勝呂も驚きから復活したのか、真剣な顔をしていた。

『もしかしたら、虚無界ゲヘナの方にも何か動きがあったかもしれません。あちらには他の八候王も居ますし、それに、兄上もいる』
「まぁ、俺はあっちに関してはそこまで心配してないけどな。けど、こっちはそうもいかねぇ。まず騎士団には絶対に知られちゃいけねぇし、何より、俺はこっちでは色々と制約があるしなぁ」
『……若君……』

俺は唸りながらも、実はそこまで自分に関しては脅威を持ってはいなかった。俺に対しては何があったとしても大丈夫だと思っているし。だけど、それは俺自身にのみ、だ。周りの人たちにもし何かしら影響を及ぼしてしまったら。……それを考えるだけでも、ぞっとする。

「考えても埒が明かないでしょう。とりあえず今は潜入している「青い夜の子」たちの調査が先でしょうね。この任務には勝呂君と志摩君の両名に当たってもらうことにしようと思っていましたが……アスタロトがいるのであれば話は早い。勝呂君と志摩君には、アスタロトと協力して「青い夜の子」の捜索をしてもらいましょう」
「え、えぇえ!?」
「や、それはちょっと、まずいんとちゃいます……?」

メフィストの提言に、勝呂と志摩が素っ頓狂な声を上げた。まぁ、その気持ちは分からないでもないけどな。
俺は二人が感じているであろう不安を振り払うように、ニッと笑った。

「大丈夫だって!突然暴れ出したりなんて絶対しないし!だから安心し……、」

俺は言いながら、何か言いようのない違和感が頭を掠めて、言葉を切る。
何だろう。今、何か大事なことが頭に過ぎったはずなのに、ソレが何なのかが分からない。

「奥村?」
「奥村君?」

怪訝そうな顔で、二人が俺を見る。だけど、俺はそれに返事を返す余裕すらなくて。
……、そう、今俺は、アトが突然暴れ出したりしない奴だ、と言った。だけど数時間前に、アトは学園の一部を腐海にしてしまっていて、だけどそれは、あの候補生の子が致死節の逆説を詠んでしまったからで……―――。

そこまで考えて、俺は息を呑む。
まさか、と。
まさか、そういうことなのか、と。

確かに致死節の逆説を詠めば、悪魔は暴走化してしまう。だけどそれには前提として、「対する悪魔の致死節が何なのか」を知ってしなければならない。
つまり、「偶然致死節の逆説を詠んだ」としても、それは逆説には成立しない。なのに彼女は逆説を詠んだ。そしてそれを、俺たちには何も言わなかった……。

それが、意味することとは。

「……まずい……!」

俺はその可能性に居てもたってもいられず、その場を駆け出した。背後で「奥村!?」と勝呂の驚いた声が聞こえたけれど、それに返している暇はなくて。
背負った刀が、かちゃかちゃと耳元で鳴る。まるで俺を急かしているかのように。
それがいっそう、俺の焦燥を駆り立てて。

「……―――雪男!」

俺は大事な弟の名を呼ぶ。そして、どうか、と祈りにも似た気持ちで、足を動かすスピードを上げる。
雪男のことだ。きっとアトと別れた後に、もう一度保健室に戻るだろう。そういう奴だと、俺は誰よりも知っているから。
だけど、そんな優しいアイツが、今、危険に晒されている。
雪男、雪男、雪男……ッ!
俺は心の中で呼びかける。

柳は、「青い夜の子」の一人だ、と。







昔から、何度も同じ夢を見た。
真っ暗な闇の中を歩いていると、突然青い光が闇を引き裂くのだ。
その青い光は、言葉では言い表せないほど、綺麗な色で。
突き抜けるような空の青でも、吸い込まれそうな海の青とも違う。
見ているだけで胸が苦しくなるような、そんな、青。

だけどその青を見ているうちに、だんだんと恐怖にも似た感情が押し寄せてくるのだ。
それが何に対して怖がっているのか、自分でもよく分からないけれど。

でもきっと、このまま青を見続けてしまったら、自分は自分でなくなってしまう。
そんな自我の喪失を、自分は怖がっているのだろう。
だけどそんな自分とは裏腹に、青はどんどん闇を攻めてくる。
逃げなければ、そう思いつつも、足が竦んで動けない。
焦りつつも動かない足を見下ろして、ふと、疑問が頭を過ぎった。

……―――「私」は誰だろう、と。

そしてそんな疑問を見抜いたかのように、青が「私」を包み込んで……。

そして、私はいつもそこで目を覚ますのだ。








BACK TOP NEXT