三月九日。10




屋上に現れた土方は、相変わらず黒縁眼鏡をかけていて、感情の見えない瞳で俺を見ていた。俺は小さく笑って、隣に目をやる。すると少し迷ったように視線を彷徨わせていた土方は、俺が動かないのを見て、苦笑しつつ隣にやって来た。

「……、坂田?」
「ん?」
「その……」

どこか言い渋る土方に、俺は首を傾げる。すると土方はややあって、言い難そうに。

「朝の、アイツ。お前の何なんだ?」
「へ?」
「その、何かクラスの連中と話してるときと、様子が違ってたから……」
「あぁ、高杉のこと?」

そう言うと、こくり、と土方が小さく頷く。ちら、と伺うような目がこちらを見て、ちょっとドキってする。俺はどもりそうになるのを絶えつつ、ぼりぼりと頭をかく。

「アイツとは、まぁ、腐れ縁みたいな?幼馴染?みたいなモンかな」
「そう、か……」

俺の返事に納得したのか、ホッとしたような顔をしたので、ん?と首を傾げる。何だろう、すごく気になる。

「アイツがどうかしたのか?」
「え?!や、な、なんでもない!」

土方はかなり焦った様子で、首を振った。心なしか顔が赤くて、俺は何となく嫌な予感がした。

「土方、お前……」
「や、だから何でもないって……!」
「アイツは止めとけ!!」
「……は?」
「うん。俺が言うのもなんだけどアイツは止めといたほうがいい!絶対!ロクなヤツじゃねーよアイツは!うん!」
「は、はぁ……」

必死な俺に押されるように、土方は頷いた。そして、じっと俺の顔を見て、どこか寂しげな顔で、ふ、と瞳を伏せた。

「……分かった」

ぽつり、と呟くような返事に、とりあえず俺は安心する。
冗談じゃねーよ。高杉に土方を取られてたまるか。
俺が闘志を燃やしていると、どことなく冷たい土方顔をした土方がこちらを見て。

「それで、話ってなんだよ」
「……?あぁ」

急に不機嫌な顔をする土方に内心で首を傾げつつ、俺は自分の横に立てかけていたソレを手に取った。
俺が手に持つ物に気づいたのか、土方は怪訝そうに眉根を寄せていた。

「坂田、ソレ……」
「ん、俺の相棒ってやつ?まぁ、ただのギターなんだけど」
「……」
「前、話したよな。俺、バンドやってて、今度デビューするんだって」
「あぁ」
「沖田君がウチのボーカルになって、デビューのために色々と準備してて、超忙しいんだ、今」
「そうか」
「うん。ほんと、何でこんな面倒くせーことしなきゃいけねーんだって思うことをやったり、デビュー用の曲作ったりで、てんてこ舞い。でも、さ。何か、一歩一歩、夢に近づいてんだな、って実感できンだよな。何故か」
「……」
「なぁ、土方」

俺は、真っ直ぐに土方を見た。さら、と風が二人の間に駆け抜けて、土方の黒髪を揺らす。
かなり、緊張していた。喉がカラカラに渇いて、ごくりと唾を飲む音がやけに大きく響いた。それを全て押し殺して、真剣に土方に向かって。

「俺と、コンビを組まないか」
「……え……」

酷く驚いた様子の土方に、少し照れくさくなって、俺は誤魔化すように小さく笑った。

「本当なら、バンドのボーカルにって言いたかったけど、沖田君がいるしね。それなら、俺とコンビを組んだほうがいいかなって」
「な、……俺は、もう歌わないって言っただろ!」
「うん。聞いた」
「だったら……!」

そう言って、断ろうとする土方の肩をぐっと掴んで。土方の瞳を睨むように、覗き込んだ。

「でも俺には、お前がまだ歌いたがっているように見える」
「!」

ハ、と息を呑んで目を見開く土方に、畳み掛けるように。

「だから歌って欲しい。他の誰でもなく、お前に。俺の隣で」
「さか……」
「一緒に歌おう、土方。お前じゃなきゃ、嫌だ」
「……」

最後は、懇願するような声が出たと思う。それくらい、必死だった。
俺は、周りくどいことができない。こうして真っ直ぐに、土方に言うことしかできない。本当なら、もっと違うやり方ができたと思う。でも、これしか、俺にはできなかった。
土方の目を、その奥に揺れる感情を、一つも逃さないように、じっと見つめる。
土方は、ひどく動揺したように瞳を揺らしていたけれど、俺が真剣だと分かったのだろう。俺の肩を掴んで、そっと俯いた。

「坂田。お前の気持ちは、嬉しい。でも、俺は……―――」
「土方?」

俯いたままの土方の表情は分からない。だけど、小さく震える肩が、今の土方の様子を忠実に教えてくれていた。

「俺は俺の歌で、人を殺した。二人も。それが、俺には許せない。また、俺が歌うことで人が死ぬのが、許せないんだ」

 押し殺したような、泣き出しそうな声。二人、というのは、土方の父親とミツバのことだろう。

「土方、それは違う。お前は誰も殺していないだろ」

俺は必死に言い募るけど、土方は頑なに首を横に振る。余りに頑ななその態度に、俺は少し違和感を覚えた。だけど、自分を責め続ける土方をこれ以上見ていられなくて、俺は気づけば怒鳴っていた。

「何でもかんでも自分のせいにすんじゃねーよ!そうやって、歌わないのを死んだやつのせいにして楽になろうとしてるだけじゃねーのか、てめーは!」
「!」

土方はビクリと肩を震わせた。俺はしまったと思いつつも、勢いに乗った口は止まらなくて。

「てめぇが歌わないことで二人が帰ってくんのかよ!違うだろ!?それとも死んだヤツが歌うなって言ったのかよ?!違うだろ!?誰も、望んでねぇんだよ!てめぇが勝手に死んだ奴の気持ちを決めつけてるだけに過ぎねぇんじゃねえのか!……俺は、あの日見たお前が、本当のお前だと思ってる!あのお前と、俺はコンビを組みたいんだよ!」
「……ッ」

なぁ、土方。と俺は半分泣きそうになりながら、そう叫んだ。土方は終始俯いていたけれど、俺が言い終わると、ゆっくりと顔を上げた。
その顔を見て、俺はぎょっとする。

泣いて、いた。

声を出すこともせずに、ただ、無心に。
黒縁眼鏡の奥の瞳を、揺らして。
その、感情が飽和してしまったような泣き方に、俺は胸が締め付けられた。
コイツはきっと、泣くことをしなかったんだろう。父親が死んだときも、ミツバが死んだときも。どんなに哀しいことがあっても、絶対に。
泣き方を知らない。そんな、泣き方。昔の俺と、よく似た泣き方。
俺は堪らなくなって、土方を抱き寄せた。強く、強く、苦しいくらいに。

「……ふ、」

すると、土方は小さく嗚咽を漏らして、肩を揺らして、俺の体にしがみついた。
俺はそれを受け止めて、土方の頭を自分の肩に押し付けた。もっと、泣けるように。

「……ごめん。ごめ、ん……さい。おれは……ッ。おれ、ッ……、二人を、……犠牲に……したのに…………」


ごめんなさい。
うたを、歌いたいのです。
うたが、好きなのです。
どんなことがあっても、捨てられない。
息をするのと、同じくらいに。
うたが、好きなのです。


何度も謝りながら、そう言って泣きじゃくる土方を、俺はいつまでも抱きしめていた。



散々泣いて、真っ赤に目を晴らしながらも、土方は俺から離れた。少し照れたような、気まずそうな顔をしていたけれど、俺はそれを軽く無視した。

「悪い、坂田。シャツ、濡らしちまった、かも……」
「あ?あぁ、いいよ。これくらい」

むしろ、これくらいでお前が立ち直ってくれるなら、お安い御用って感じだ。
俺は真っ赤になった土方の顔を見つめて、小さく笑う。どことなくスッキリしたような顔をする土方は、すごく綺麗で。あぁコイツは本来こんな風に輝く存在なのだな、と思う。中学時代にかなりモテていたという沖田君の言葉も頷ける。だとすれば、今度から用心しないとライバルがどんどん増えるってことだろうな、と俺は少しだけゲンナリした。
だけど、負けるつもりはない。
俺が再び密かに闘志を燃やしていると、土方が俺を呼んだ。酷く真剣な様子で。

「坂田」
「うん」
「お前には、感謝する。こんな風に、真っ直ぐに俺のことを言ってくれた人は、いなかったから」
「うん」
「だから……―――」

俺は、その後に続く言葉を、ほんの少し期待した。だけど、土方は。

「だから、お前の話は受けられない」
「……え……?」

真っ直ぐに俺を見つめて、そう、答えた。
虚を突かれたように呆然とする俺に、土方は黒縁の眼鏡を外した。灰がちな瞳が、俺を真っ直ぐに射抜く。

「俺は、お前を俺の都合に巻き込みたくない。……デビューが近いんだろ?だったら、尚更、お前は俺に近づかない方がいい」
「ど、どういうこと?……お前の母親のことを言ってんなら、大丈夫だよ。本人には了承済みだし」
「……!?どういうことだ!?」

土方は酷く驚いたような、焦ったような声を出した。俺はその様子に驚きつつも、昨日土方の自宅に尋ねたこと、そして土方母から言われた言葉を少しだけ話した。全て話すのは憚れたからだ。
だけど、土方は話を聞くたびに青ざめて、最後にはひどく怯えたように体を震わせていた。
尋常じゃない様子に、心配になる。

「土方……?どうかしたのか?」
「……ッ」

肩に手をやると、ビクリと大袈裟に体を震わせた土方は、慌ててポケットから携帯を取り出して、どこかに電話をかけ始めた。少し間を空けて、土方は震える声で、母さん?と電話口に問いかけた。だけど、すぐにホッとしたような顔をした。はい、何でもありません、と安堵の顔をしながら、電話を切る。
でも、すぐに電話のバイブ音が鳴り響いた。携帯の画面を見た土方は、ぎゅっと唇を噛み締めて、電話に出た。

「……はい、土方です」

相手は誰だろう、と俺が思っていると、土方は目を見開いて、バッと屋上のフェンスにかじりついた。きょろきょろと落ちそうな勢いで周囲を見渡す。そして、一点を見つめて、固まる。だけど、すぐに。

「……、させない」

意思の強い、真っ直ぐな声が響いた。固く決意したような、声で。

「絶対に、させない」

そう言って、電話を乱暴に切った。その瞬間、崩れ落ちそうになる土方を、俺は慌てて支えた。

「大丈夫か?顔、真っ青だけど……」
「あぁ……大丈夫だ」

強がりだとすぐに分かる。顔色は悪いし、体中が震えていた。だけど、不思議と瞳の意思の光は強くて、俺は息を呑む。

「坂田……、もし、……本当に、俺でいいって思ってくれるのなら……。明日の、夕方。あの河原で、待っててくれないか?……頼む」
「土方?」
「頼む。頷いて、くれ」

頼む、と懇願されて、俺は頷くしかなかった。その時の、少しだけ嬉しそうな土方の表情の意味も分からずに。
俺はただ、妙な胸騒ぎを覚えていた。

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