三月九日。9




ざわ、と教室内の空気が騒ぐ。俺はそれに冷や汗を流しつつ、ちら、と隣のチビを見る。学校には滅多に来ないことで有名な高杉が、時間通りにやって来ていることに、皆驚いたような顔をするものの、あまり触れたくないようで、すぐに顔を逸らした。
俺は内心でため息を付きつつも、窓際の席の土方を見た。土方は教室の空気など気にした様子もなく、淡々と本を読んでいる。
黒縁眼鏡の奥の、伏せられた瞳。窓から零れる光に照らされたその横顔に、つい見惚れてしまう。
俺がぼけっと土方を見ていると、それに目ざとく感づいたのか、高杉がアイツか、何て言いながら教室の中を我が物顔で歩き出した。

「ちょ、高杉!?」

慌てて引きとめようとしたものの、高杉は綺麗に無視して土方の席の前に立った。そして本を読んでいる土方をしげしげと眺めて、ニヤニヤと笑いつつ、一言。

「銀時、お前昔から面食いだったよなァ」

うるさい。



「オイ、お前」

高杉は土方を見下ろして、高飛車に言い放つ。だけど土方は本に目線を落としたまま、完全無視だ。いや、本に熱中して、周りが見えていないのだろう。この前みたいに。
だがそんなことを知らない高杉は、綺麗に無視されて、ピクリと眉を吊り上げた。不穏な空を纏い始めたので、俺が助け舟を出す。

「ちょっといいかな、土方」

ぽん、と肩を叩いて話しかけると、土方は顔を上げた。きょとん、と俺を見上げて、あ、という顔をする。

「……、何の用だ、坂田」

忠告しただろう、と言いたげな顔をして俺を見上げる土方に、苦笑する。

「まぁまぁ、それは置いといて。実は俺のツレがお前に用があるみたいでよ」
「お前のツレ?」
「あぁ。……ほら、高杉」

俺が高杉を促すものの、高杉はじっと土方を見下ろしたまま、固まっていた。隻眼の瞳が見開いて、ひどく驚いた様子だ。

「高杉?」
「?」

珍しい表情を浮かべる高杉を怪訝に思って声をかける。土方は自分を見下ろして固まる高杉に、困惑したように俺と高杉を交互に見上げている。
すると、高杉はぼんやりとした様子で。

「お前、まさか、『トシ』か?」
「!」

ハッと土方が息を呑む。俺も驚いた。高杉が『トシ』を知っていたこともそうだが、まさか一発で土方が『トシ』だと分かるなんて。

「声を聞けば一発で分かる。俺は他の奴らとは違って耳がイイからな。それより……」

じろ、と隻眼が俺を睨む。や、そんな目で見られても困るんですけど。

「銀時ィ。テメェ、『トシ』が近くにいるんだったら、なんで早く紹介してくれなかったんだよ」
「や、だって、知ったの最近だし……」

 しどろもどろにそう言うと、ハッと馬鹿にしたような顔で笑い飛ばされた。いちいちムカつく野郎だ。

「まぁ、いい。そんで?『トシ』テメェは」
「その名で、呼ぶな」
「あぁ?」

土方は、キッと高杉を睨むようにして、そう言った。高杉はピクリと眉を吊り上げたが、すぐにあぁ、と納得する。

「なるほど?『トシ』は歌手を辞めたんだったな」
「ッ!だから!」
「なら、『土方』でいいだろ?今のテメェは」
「……あぁ」

土方はそう言う高杉をひどく驚いた顔で見上げていた。その表情を受けて、高杉はニヤリと口元を吊り上げて笑う。

「俺は他人の都合に首を突っ込むほどお人よしじゃねぇからな。そんなのは目の前の天パだけで十分だ」
「どういう意味だコラ。っていうか、いちいち天パを引き合いに出すの止めてくれない?」
「それに……」
「オイ、無視かコラ」
「俺は、ぶっちゃけ、テメェのうたが好きだったからな」
「!」

息を呑む土方。俺もかなり驚いた。こんな風に他人を素直に評価する高杉を、初めて見た。そんな俺たちを見て、イタズラが成功したような笑みを見せて。

「テメェが音楽から身を引いたってんなら、それをどうこう言う筋合いはねぇってことだ」
「……お前……」

土方は、じっと高杉を見上げていた。そのどこか泣きそうな瞳に、俺はぎゅっと胸が痛くなった。



結局のところ、土方があの『トシ』だと気づいた高杉は満足したのか、教室を颯爽と去っていった。あの様子なら、自分の教室には行かずに、そのままサボる気だろう。まぁ、最低限の出席日数は取っているって言っていたし、大丈夫だろうけど。
高杉は去り際、俺に向かって。

『お前が、アイツのことをどう思うと、どうしようと勝手だがな。本人が決めていることを、他人が口を挟むのは間違ってるぜ。特にアイツの場合は、特殊すぎる』
『それは、分かってる』
『まぁ、それでもテメェはほっとけねーんだろ』
『あぁ』

そうだ、放っておけないのだ。あんな風に、感情を殺したような顔をする土方のことを。
す、と目を細めて俺は窓際の彼を見る。冷たい印象を与える横顔を、思いっきり笑わせてあげたい、と思う。
そんな気持ちで見つめていると、高杉は小さく肩を竦めた。

『せいぜい、頑張れよ。俺もアイツが復活するってんなら、大歓迎だし』
『それにしてもよォ、お前、何かアイツには優しいよな?』

ジト目で睨むと、隻眼をぱちくりとさせた。そして酷く愉快そうに声を上げて笑って。

『テメェ、本気でアイツのこと惚れてンだな!』
『てめ、笑うなよ』
『いやいやいや、いいんじゃねーの?うん、面白いし』
『や、面白いって何』
『それに、『先生』に良い報告ができそうじゃねーか』

良かった、と隻眼を緩ませる。コイツにこんな顔をさせられるのは、唯一、『先生』だけで。俺はくしゃりと髪をかいた。全く、こっちは真剣だってのに。
少しふてくされていると、散々笑った高杉はまだ笑いを収めきっていない声で。

『それから、気づいてないだろうけど、テメェに一つ。良いことを教えてやる。アイツ、まだ歌手を諦めてねぇんじゃねえの?』
『?!……どういう意味だ?』
『アイツの声質。現役の頃とあまり変わってねぇ。アイツが現役だったのって、俺らが小学の頃だろ?それで、今まで一度も歌ってなかったンなら、多少は声質が落ちてるモンだ。だけど、アイツの声は前と変わらなかった。多少の声変わりはしていたが、な』
『じゃあ……』
『あぁ。アイツは今でもうたを歌っている。だけど、何が理由があって、それを隠している』
『……理由』

俺は咄嗟に、土方母のことを思い出した。だけどすぐに却下する。彼女は、土方がうたを歌うことに反対していなかった。もし土方がうたをまた歌いたいと言い出したら、自分の手腕を使って復活させることに全力を注ぐだろう。
なら、何だ?土方が頑なにうたを歌うことを拒否する理由は。

『ま、そこからはテメェで何とかするんだな』
『……あぁ』

そう言って、ひらりと手を振って去っていく高杉の背を見送りながら、俺は小さく、すまねぇな、と呟いた。



「銀時」

高杉が去った後、今度はヅラが話しかけてきた。何だよ、と俺が嫌そうに返事を返すと、ヅラは少し声を潜めて。

「土方のことだが。あいつが『トシ』だというのは本当か」
「……あぁ」

おそらく、俺たちの会話を聞いていたのだろう。俺が頷くと、そうか、と納得したように頷いて。

「正直、俺たちはデビューに向けて忙しいのだ。本来なら、他のことに構っている暇はないのだが……。相手が『トシ』となれば話は別だな」
「何でだよ」
「何故って、俺も『トシ』のフアンだったからな」
「ファンな、ファン。っていうか、お前もかよ、ヅラ」
「ヅラじゃない、桂だ。『トシ』の復活は素直に喜ばしいことだ。出来る限りの協力はしよう」
「ったく、お前も高杉も……」

俺は髪をかく。正直、二人が動いてくれるのは助かる。だが、素直に礼を言うのは、少々癪に触る。

「それで、だ。坂本から聞いた話なんだが……」
「ん?」
「どうも、沖田姉弟と土方は幼馴染同士だったらしい」
「あぁ、それなら沖田君から聞いた。腐れ縁みたいなモンだって」
「そうだ。それで、坂本から聞いた話というのが……―――」



俺はぼんやりと空を見上げながら、屋上のフェンスに寄りかかった。見上げた空はどこか淡い青色で、霞のような雲が浮かんでいた。
ふわ、と風が頬を撫でて通りすぎる。草の匂いが混じったようなその風を受けながら、俺は目を閉じる。

あの夕暮れに、戻ったみたいだ、と思った。


『 新たな世界の入口に立ち
  気づいたのは 1人じゃないってこと 』


土方。
お前はあの時、どんな気持ちでこのうたを歌っていたんだ……―――?



『土方と沖田の姉、つまり沖田ミツバは、お互いを想い合っていたらしい。だが、付き合うという関係にはならなかったらしい。まぁ、当時の状況や二人の年などが関係して、そこまで至らなかったのだろう。だがある時、元々体の弱かったミツバの容態が急変する事態が起きた。表向きは、事務所による過度な労働が理由だとされていたみたいだが、本当は違うらしい』
『え?違うのか?沖田君もそう言ってたのに』
『あぁ。沖田も表向きはそう言っているのだろう。だが、奴も真実を知っている。本当は、『トシ』の熱烈なファンによる、嫌がらせ』
『!』
『それに耐え切れず、ストレスによって、ミツバは体調を崩した。そして、最後のステージの直後……亡くなったらしい』
『……』
『それ以降、土方は沖田と離れるために転校、高校も別にして、完全に行方をくらませたらしい。今の自宅は以前事件があった家で、事件後に引っ越していたのを、ミツバの死後、そちらに戻ってきたみたいだ。だから、まさか事件があった自宅に戻っていると沖田も思わなかったらしい』
『それ、土方の母親は……』
『おそらく、薄々気づいてはいるだろう。だが、直接的な事情は知らないはずだ。沖田ミツバと土方母の所属事務所は別だからな』
『あぁ、それで……』

俺は唐突に思い出す。土方母の最後の言葉を。

『あの子の心に付いた傷は、多分、私や貴方が考えている以上に深いモノだと思うの。だけど、それでもあの子にうたを歌わせてあげたいと思うのなら……。どうか、あの子のこと、よろしくお願いね』

土方母は、感づいていたのだろう。自分の息子が惚れた女が死んだ、理由を。

俺は、ふ、と息をつく。
土方の心境は、想像することしかできないが。きっと、自分のせいでミツバが死んだと思っているに違いない。そうやって自分を責めて、自分とミツバの共通である歌を、封印した……―――。まるで、自分に罪を与えるように。
だけど、と思う。だけど、それは本当に、ミツバが望んでいることなのだろうか、と。
沖田君が言っていた。ミツバは、「それでも幸せだったんだろう」、と。沖田君だって、分かっている。ミツバが死んだのは、決して土方のせいではないのだと。
だけど土方だけが、自分を責めて苦しんでいる。沖田君は、そんな土方に気づいているのだろう。だから俺に頼んだのだ。土方を探して、会わせて欲しい、と。
……―――全く、俺をダシにするなんて、沖田君もやってくれる。
俺は苦笑を漏らす。自分で会いに行けない沖田君と、会いに行かない土方。どちらも似た者同士だ、と。

そして。


「話ってなんだ、坂田」


 沖田君をダシにして、土方を呼ぶ俺も、似た者だな、と。

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