三月九日。11




送ろうか?と言う俺に、土方は寄る所があるからと断った。黒縁眼鏡をかけ直した土方は、どこかスッキリとした表情をしていて、胸のざわめきが収まらなかった。

「じゃあ、また明日、な」
「あ、あぁ……」

そう言って、俺に背を向ける土方。その背中がやけに遠くて、俺は妙な焦燥感に駆られて気づけば土方を呼んでいた。

「土方!俺、待ってる!お前が来てくれるの、ずっと、待ってるから!」

振り返った土方は、ひどく嬉しそうに笑って、頷いた。そして走り去っていく土方の背中を、ずっと見つめ続けていた。
大丈夫、だよ、な……?土方……。



俺はその足で、坂本の事務所を訪ねた。沖田とヅラがもう来ていたけれど、高杉はまだだった。まぁ、アイツはいつものことだから、気にしない。
乱暴に椅子に座って、俺は手に持っていたギターを撫でる。土方と別れてから、酷く胸騒ぎが収まらなくて、苛々していた。
そんな俺の様子に何か感づいたのか、沖田とヅラがこちらに寄ってくるのが分かった。

「銀時。珍しいな、お前がそんなにイラついているなんて。土方と何かあったのか」
「……別に」
「旦那。ああ見えて土方さんは純情なんで、ほどほどにしてやってくだせぇよ」
「や、聞いてないし。……っていうか、なんで土方限定なわけ?」
「最近のお前は土方絡みでしか動いていないだろう。……その様子じゃフラれたのか」
「そうなんですかぃ?そりゃ残念だ」
「全くだ」
「オイオイ、俺、なんでフラれたことになってんの?まだフラれてねーし。っていうか、まだそこまで行ってないっての!」
「そうなのか?」

ヅラが驚いたような顔をした。沖田も同じような顔をしていた。オイオイ、俺、どんだけ手の早い奴だと思われてんの?そりゃ、他の奴だったらこんな風に悩んだりしていないだろうけど。
土方だから、と思えば、少しくすぐったい。なんだこれ、自分で考えて、自分で鳥肌立ちそうだ。

「あのなァ……」

俺が文句を言おうとすると、俺の携帯が鳴った。誰だよ?とディスプレイを見ると、高杉だった。
高杉が何の用だ?っていうか、早く来いよ、と文句言いつつ、電話に出る。

「オイ、高杉。お前早く来いよ、皆」
「銀時」

待ってるぞ、と言いかけて、それを遮るように聞こえてきた高杉の、少し切羽詰ったような、焦ったような声に、口を閉ざす。
こんな声を出すことなど、滅多に無いのに。俺はドクンと大きく心臓を高鳴らせた。
電話口の高杉は、震える声で告げた。
まさか。

「銀時、松陽先生が、倒れた」

予感は、的中した。



連絡を受けた俺とヅラ、そして沖田君は松陽先生が搬送されたという病院へと直行した。すっかり夜になった辺りを気にする余裕もなく、俺たちは松陽先生が運ばれたという手術室の前まで走り抜けた。
手術室の前には高杉。椅子に座って、項垂れている。

「高杉……!松陽先生は……!」

ヅラが聞くと、高杉は項垂れたまま、固い声で。

「容態は、かなり悪いみたいだ。俺が尋ねた時には、意識も無かったし。多分、今夜が峠になるそうだ」
「そんな……」

シン、と辺りに重たい空気が漂う。誰も言葉を発せずに、小さく拳を握り締めている。
俺も、息苦しい気分になった。じっと「手術中」と赤く光る看板を睨んで、ただ立ち尽くしていた。
三十分ほど、そうしていただろう。ヅラが唐突に。

「沖田。お前にはいつか話しておこうと思っていたんだ。……松陽先生のことを」
「……」
「それが、恐らく今なんだろうな……」

ふ、と小さく笑って、ヅラは話し出した。俺たちと、松陽先生のことを。

「松陽先生は、俺たち3人の音楽の先生でな。とはいっても、お互いに認識ができたのは中学の頃だがな。その時に、俺たちはバンドを結成した。だけど、ある時、松陽先生が病気であまり長くないことを知った。そして、せめて松陽先生が亡くなってしまう前に、デビューしようという話になった。松陽先生も昔音楽を目指して、その頂点を極めた人だったからな。せめてもの恩返しに、と」
「……」
「だけど、まさかこんなに早く、来てしまうとは……」
「……」

俺も高杉も、ヅラと同じ思いだった。
松陽先生は、俺の育ての親でもあった。施設にいた俺を拾って、育ててくれた。今は離れて暮らしているけれど、時々様子を見に行っては、俺のギターを褒めてくれた。
そんな松陽先生に、できるかぎりの恩返しをしたい。そんな思いで、俺たちは今まで走って来た。
あと、少し。あと少しで、デビューが出来るのに。なのに、どうして……。
静まりかえった病院の廊下で、俺たちはただ、祈り続けていた。



松陽先生の手術が終わったのは、それから3時間が経過した時だった。その間に沖田君だけでも帰そうと思ったけれど、沖田君自身が残ると言ってくれた。
俺たちの大事なひとなら、と。その思いに感謝しつつ、俺たちは待ち続けた。
「手術中」のランプが消え、手術室の扉が開く。俺たちが顔を上げてると、中から松陽先生が運ばれてきた。真っ青な顔色、点滴の伸びる腕は細くて、俺は唇を噛む。
先生に付き添って病室に向かう高杉と沖田君を見送って、俺とヅラは医師に先生の容態を聞く。すると顔に傷のある医師の男はひどく難しい顔をして。

「手術は成功しました。だけど、あまり容態がいいとは言えません。もって、1週間、いや、もしかしたらもっと早いかもしれません。とにかく、手は尽くしましたが、もう……」

ひどく悔しそうな顔をするその男に、俺とヅラは頭を下げる。元々、病状は悪かったのだ。ここまで生き延びさせてくれたのは、ひとえに目の前のこの医師の力に過ぎない。
俺はぐっと唇を噛み締めて、熱くなる瞼を誤魔化した。



真っ白な病室で、先生が横たわっている。俺はその横顔を見つめて、この人はこんな顔だっただろうか、と思う。
この人は、いつだって穏やかな顔で笑う人だった。その笑みが脳裏にこびりついて、俺はいつしか、この人の笑顔しか思い浮かべられなくなっていた。
だけど、それでいいのだと、先生は言っていた。

『貴方の思い出の私が、笑顔で在れる事は、とても幸せなことですよ、銀時』

先生。俺は、貴方に何も返せていません。沢山のものを貰ったのに、何一つ、返すことができなかった。
だからせめて、バンドでデビューした姿を、貴方に見せたい。その思いは、今でも変わらない。

「……先生」

俺は先生の眠るベットに顔を埋めて、ぽつり、ぽつりと言葉を紡いだ。
もうすぐデビューできること、その中で出会ったボーカルの沖田君のこと、そして、土方のこと。
あの子のことを話すのは照れくさかったけれど、でも、意識がないんだし、と調子に乗って色々と喋った。いつかの、一緒に暮らしていた時のように。
その時も、先生は黙って笑ったまま、俺の話を聞いていたっけ?
俺は、沈黙を嫌うように、ずっと離し続けていた。
そのうち、先生の自宅に荷物を取りに行っていたヅラや高杉が帰ってきた。沖田君は明日の朝にまた来るということを約束して、帰らせた。
何となく、俺に気を使ってくれたのだろう。俺は内心で苦笑しつつ、病室の椅子から立ち上がった。俺だけじゃない、ヅラも高杉も、先生に話したいことがあるだろう、と。
病室を出ると、高杉が一緒に出てきた。ちら、と俺を見て、歩き出す。ついて来い、ということだろう。
高杉について行った先は、広い休憩室みたいな場所だった。その椅子にどかりと腰を下ろした高杉は、ふうと深く息を吐いて、俺を見上げた。

「銀時。お前、あれから土方と話したか?」
「え?」

てっきり、松陽先生関連で何か言われると思っていた俺は、予想外のことを聞かれて戸惑った。だけど真剣な高杉の様子に、俺は首を傾げつつも頷く。

「放課後に話したけど……それが何だよ」
「……。放課後、ね」

高杉は意味深にそう呟いて、少し考える素振りをした。

「その時、土方の様子がおかしくなかったか?」
「……」

見透かしたような、何かを知っているような瞳に、俺は動揺しつつも頷く。すると、高杉は小さくし舌打ちして、そうか、と苦々しく言った。その様子に確信する。高杉は何かを知っている、と。

「お前、何か知ってるのか?あいつのこと」
「……」
「高杉!」

黙り込む高杉に苛々しつつ責め立てると、高杉はややあって、口を開いた。

「放課後、学校の門の前で妙な男を見かけた。俺が見ていることに気づいてすぐに去ったけど、誰かと携帯で話している様子だった」
「……!?」
「俺の勘じゃあ、アイツはヤバイぜ。頭のネジが何本かイカれちまってる奴だ。そんな奴が学校の前をうろついてるなんて、妙に胸騒ぎがしてなァ。こっそり後をつけてみたんだ」
「……」

そんなことができるのはお前くらいだよ、という言葉は飲み込んだ。

「アイツは、学校から離れてすぐに誰かに電話をかけているみたいだった。その時にチラっと聞いたんだ。『アイツが手に入る』と」
「!」

俺は、息を呑む。心臓が嫌な音を立てて、痛いくらいに動く。

「まぁ、それだけじゃその『アイツ』が誰か分からなかったし、やばそうな匂いがしたんで、尾行を止めて松陽先生の家に行ったんだがなァ。……さっきヅラからテメェの様子を聞いて、何となく嫌な予感がしてな。……テメェ、今すぐ土方の携帯に電話しろ」
「…ッ、知らねぇよ!」

畜生!と俺は苛立たしげに吐き捨てた。それに高杉は使えねぇな、と舌打ちして。

「それなら自宅でもいい、とにかく、今土方がどこにいるのか分かるとこに電話しろ。急がねぇとヤバイぞ」
「分かった!」

俺は携帯を取り出そうとして、ここが病院だということを思い出す。俺は舌打ちして、病院の外へと飛び出した。背後で高杉がついてくるのが見えた。

「お前……先生には」
「テメェ1人じゃ対応できないだろ?それに、俺はテメェらが来る前に散々話しといたからな」

きっと、先生もこうしろと言うはずだ、と高杉は言う。
俺はそうだな、と返しつつ、携帯のボタンを押した。
『何かあったら電話してね』と言って土方母から渡された、土方の自宅の番号を。



外に出てすぐに、俺は通話ボタンを押した。3コールの後、土方母が出た。

『はい、土方です』
「あ、坂田です。あの、土方君はいますか」

居てくれ……!と祈るような気持ちで問いかけたその問いに、土方母はいつも通りの声で。

『あら、十四郎なら出掛けてるわよ。何でも友達と会う約束があるからって。私てっきり貴方のことだと思ってたんだけど……』
「……ッ、そう、ですか」

俺は携帯を落としそうになるのを耐えながら、それなら、と土方母にできるだけ自然に。

「じゃあ、土方君の携帯番号、教えて貰えます?」

そう、尋ねた。

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