三月九日。12




『おかけになった電話は現在電波の届かないところにあるか、電源が入っていない為通話できません』


何度も何度もかけた番号からは、同じフレーズが聞こえてくる。俺は苛立たしげにそれを途中で切っては掛け、切っては掛けを繰り返した。だけど、何度しても返ってくる声は同じ。
俺が舌打ちしていると、高杉がどこかに電話をかけていた。すぐに来い、とそう告げて電話を切ると、数分後に辰馬の車が俺たちの前にやって来た。

「早う乗れ、晋助、金時!」

運転席からそう言って俺たちを呼ぶ辰馬に唖然としつつも、俺は転がるようにして車に乗り込んだ。その間も、ずっと俺は土方に電話をかけ続けている。その間にも俺は辰馬に視線を向けた。

「辰馬、どうして……」
「事情は全部晋助から聞いていたぜよ。ワシなりにおまんの力になれば、と思って色々と調べちょったが、ちょいと間に合わなかったみたいじゃな」
「どういうことだ?」

後部座席に座った高杉が、身を乗り出す。辰馬は滅多に見せない厳しい顔つきをして。

「『トシ』が引退する原因になったあの事件の犯人、実はまだ捕まっちょらん。そして、ミツバを死に追いやった『トシ』の熱烈なファンちゅー奴も、まだ」
「!ということは……」
「あぁ、多分、同じ同一犯によるもんじゃろう。それか、同じグループによるもんか。どちらにせよ、『トシ』の周囲は警戒する必要があったんじゃ」

苦々しくそう言う辰馬に、高杉は吼える。

「警察は何やってんだよ!」
「事件の数ヶ月は『トシ』に警護を付けていたんじゃが、それが数年ともなるとそうはいかん。ミツバのときも同じじゃ。恐らく、警察の警護が解かれてから今までずっと、『トシ』は自分や自分の周囲を狙う犯人の影に怯えた生活を送っていたはずじゃ」
「……ッ、土方……」

だから、か。
俺は唸るようにその名を呼びながら、携帯を持つ手に力を込める。
頑なに、俺を拒む土方。それは俺を守るためだったのか。

そこで、俺はハッと気づく。じゃあ、まさか、夕方のアレは……!

「最近、『トシ』の回りで不穏な動きをする連中がいる、という情報を掴んで、おまんに知らせようと思っていたところじゃったんじゃが……一足遅かったみたいじゃな」

悔しげにそう言う辰馬に、俺はくそっ、と内心で苦々しく思う。
恐らく、土方の周囲が荒れだしたのは、俺のせいだ。
それまで誰とも関わりを持とうとしなかった『トシ』に、急接近する『男』。しかもソイツは『トシ』の自宅にまで上がりこんだとなれば、「熱烈なファン」は黙っていないだろう。
あの時のあの電話や土方の様子からして、恐らくずっと、土方は自分に付きまとう影に気づいていたのだろう。だから、俺が土方の自宅に行ったと聞いて、慌てたのだ。そして母親の心配をして電話をかけたが、母親には何の影響もなかった。だけど、このままじゃ俺の方が危ないと分かって……――――!

畜生、と俺は口の中を噛み切った。すぐに鉄の味が広がったけど、無視した。
畜生、畜生、畜生!

『絶対に、させない』

『坂田……、もし、……本当に、俺でいいって思ってくれるのなら……。明日の、夕方。あの河原で、待っててくれないか?……頼む』


土方。
お前はどんな気持ちで、その言葉を言ったんだ?

多分、土方は決着をつけに行ったのだ。自らを陥れてきた、己のファンの元へ。
そして、多分。約束の夕方には、来ないつもりで。

「……ッ」

来ないお前を待つ俺の姿が、お前には分かっていたんだろう。そして、待って、待って、待ち続けて、最後には裏切られたと思う俺を。
お前に絶望する俺を、お前は全て分かっていたんだろう……?

「ッ、ひじかた……ッ!」

胸が苦しくて仕方ない。電話を持つ手が震えて、どうしようもない。
もしかしたら、もう、なんて言葉が頭を過ぎる。そんな邪念を振り払うように、俺は電話をかけ続けた。
繋がるまで、繋がることを信じて、ずっと。



辰馬の車はかなりのスピードをもってどこかに向かっていた。恐らく、その犯人の居場所が分かっているのだろう。俺はそんなことを気にする余裕はなかったけれど。
後部座席で、高杉がどこかに電話をかけている。たぶん、あまり宜しくないほうのお仲間にかけているのだろう。物騒な言葉が飛び交っていた。
そんな、とき。

『おかけになった電話は』

『……――――――』

 何度目かのアナウンスの途中で、ぷっつりとアナウンスが途切れた。電話口の向こうで、誰かが動く気配がする。俺は息を呑んで、電話口に噛り付いた。

「土方ッ!?土方居るのか!?返事してくれ!」

俺の様子に、高杉は自分の通話を切った。辰馬も、じっと俺の様子を伺っている。

「土方っ!お願いだ、返事を」

してくれ、と言おうとして、電話の向こうで誰かが動く気配がして。

『さか、……た?』

途切れ途切れの土方の声が聞こえて、俺は息を呑む。
生きている。だけど、声の様子が、どこか変だ。もしかしたら、どこか怪我をしているのかも、と俺は焦った。

「土方ッ、大丈夫か?お前……ッ」
『あ、…あぁ、ッ……俺なら、へい……っ、あ……へいき、だ』
「ひじ、かた……?」

おかしい。何かが俺の中で騒いで、俺はじっと耳が痛くなるくらいに携帯を押しつけた。

『さか、た……、ッあ……、ふ、……明日の、ゆう、がた……絶対……来い、よ……?ッ……、俺、絶対、……いく、……から……ッ』
「……ひじかた」

俺は、その瞬間、スッと血の気が全て引いていくのを感じた。
電話口の向こう、土方の声に混じって聞こえる、微かな音。
ひどく不快な、誰かの荒い息の音。

『……ッ、ッ……さか、た………っあ!……』
「……ひじかた。お前の後ろ、誰か、いる……?」

俺は半ば確信を持ちつつも、妙に冷静な声で、問いかけた。
その瞬間、土方が息を呑んだかと思うと。

『ッ!!!!アッ、や、やめろッ……!!あ!』

荒い、誰かの息。土方の、苦しげな喘ぎ声、濡れたような、ぐちゅ、という音が響いて。
俺、は。

ぷつん、と頭の何かが切れる音が聞こえた。
そして。

俺は電話口に向かって、吼えた。

「ソイツに、触るな」

唸るようなそれは、電話口どころか車内に響いた。俺は怒りで飽和した頭をそのままに、電話に耳をそばだてていたものの、通話は途切れてしまった。恐らく、誰かが電源を切ったのだろう。冷静にそんなことを思いつつも、脳内では土方を今まさに襲っている野郎をどうやって殺してやろうかを考えていた。



辰馬が車を止めた場所は、町から少し離れた廃墟だった。
随分と昔に打ち捨てられたビルのようで、骨組みが不気味に浮き上がっていた。
この中に、土方がいる。
俺は真っ先に入り口に走り寄った。後ろに、高杉が続く。辰馬は救急車や警察の手配をしてくれるらしい。その場に残った。
俺と高杉は、入り口から入って真正面の扉に手をかけた。だが、鍵がかかっているみたいで開かない。
そこを二人がかりでこじ開けた、その先。

「ひじ、かた」

多分、5、6人は居るだろう。そんな男たちに囲まれて、土方はうつ伏せにされて犯されていた。
俺たちが現れたことに驚いた数人が、何か言っているようだが、聞こえない。
俺が真っ直ぐに見つめるのは、ただ、土方に触れている、男だけ。

「……してやる」

一歩、前に出ながら、俺は唸る。目の前が真っ赤に染まって、頭がぐらぐらとした。だけど妙に感情は冷ややかで。
あぁ、人間は怒りすぎるとこうなるんだな、と頭の片隅で冷静に思った。

「殺してやる……!」

俺はそう唸りながら、土方に触れている男に飛び掛って、殴り飛ばした。ぐぎゃ、と奇妙な悲鳴を上げつつ泡を吹く男に一瞥することもなく、ぐったりとする土方に近づいた。

「土方ッ!大丈夫か……?」

そっと触れようとした剥き出しの肩が、大きく震えた。頬を腫らしたその顔が俺をぼんやりと見上げて、正気を保っていなかった瞳が、俺を見て理性を取り戻す。

「さか、た……?」
「うん、そうだよ、土方」

さかた、と俺をか細く呼ぶ土方。俺はできるだけ土方を刺激しないように、そっと触れる。ビクリと体を震わせたけれど、これ以上この場に土方を置いておきたくなくて、俺は自分のシャツを土方に羽織らせて、抱きかかえた。
いつの間にか乱戦になっていて、高杉が呼んだ物騒な連中が犯人たちをタコ殴りにしていた。多分、警察が来るまでこの状態は続くだろう。同情はしないが。
俺はぎゅっと土方を抱えて、その場を素早く後にする。土方は気を失っていて、今のうちに病院に連れて行こう、と思った。

「銀時」

出入り口の前で、高杉が壁に寄りかかっていた。俺の腕の中に居る土方を見て、少し眉根を寄せつつ。

「松陽先生の担当の医者に診てもらえ。あの人は、そういう関連にも強いらしい」
「!あ、あぁ」
「それと、こっちのことはどうにかするから、早く病院に」
「……」

ごめん、と言おうとして、口を閉じた。今は、それを言うべきではないと思ったからだ。それよりも早く、病院へ。
俺は何も言わずに高杉に背を向けて、辰馬の車へと向かった。

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