三月九日。5




翌日。
俺は悶々としつつ登校した。というのも、沖田君に頼まれたことをどうしようか、と考えていたからだ。
まさかあの沖田君と、あの土方が幼馴染だったとは、きっと誰も予想できなかったに違いない。
どうしよう、と俺は窓際の土方をチラ見する。土方は相変わらず本を読んでいて、誰の輪にも入っていなかった。
……正直、声をかけるのは気まずい。
あんな別れ方をした手前、気軽に挨拶を交わすのもおかしい。それまで全く接点がなかったのだから、尚更だ。だが、頼まれた手前、土方に声を掛けないわけにもいかず。

「……はぁ」

俺はため息を付きつつも、なるようになれ、と自分の席を立った。土方の席の前まで来ると、本を読んでこちらを見ようともしない土方に、声を掛ける。

「なぁ」
「……―――」

いっそ、見事なまでのスルー。俺はイラっとしつつも、落ち着け、と自分に言い聞かせて、再び、なぁ聞いてる?と声を掛けた。

「……―――」

はいスルー。
俺、そんなに気の長い方じゃないんだけど?
俺はじっとそんなことを思いつつ、土方の読んでいる本を取り上げた。あ、と俺の手の中にある本を追うように手を伸ばす土方。

「ちょ……ッ!」
「あのね、人の話を聞くときは本は閉じなさいって習わなかった?」
「……」

きょとん、と俺を見上げてくる、薄墨色の瞳。眼鏡がややズレて、上目づかいに見上げてくる土方の表情に、あ、何か可愛い、と少し見当違いな感想を抱いた。

「あー……、もしかして、ずっと話しかけてたのか?」

少々バツが悪そうに眉根を寄せてそう聞かれて、俺はうん、と一つ頷く。

「本を読んでると、集中して周りが見えなくなるんだ。話しかけられても、気づかないし」

悪い癖だ、と土方はますます眉根を寄せる。そういうことなら仕方ない。気づいていて無視されるのと、気づいていないのでは大きな違いがあるし。

「や、そういうことなら、別に気にしなくてもいいよ」
「そう言って貰えると、助かる」

ホッとしたように土方が少し口元を緩める。あ、今の表情いいかも、なんて、俺が土方を見つめていると、当の本人は不思議そうに首を傾げた。

「それで?俺に何か用か?」

さら、と揺れる黒髪に、ハッと我に返る。そうだ、沖田君とのこと、忘れるとこだった。

「あー、あの、さ。俺、バンドやってるって、話したじゃん?」
「……―――あぁ」

そのとき、やや警戒したような目をした土方に、慌てて。

「や、違うよ?ボーカルは無事に見つかったから。……それで、そのボーカルになった奴がさ、何か、お前のことを知っているみたいで……」
「!」
「沖田総悟って、奴なんだけど……」

土方、知ってる?と聞こうとして、俺は口を閉ざす。

「……土方?」

土方の様子が、少し変だ。ぎゅっと俯いて、どことなく、泣き出しそうな雰囲気をかもし出している。
俺は慌てて、教室を見渡した。あまり話したことのない俺たちが話しているせいか、嫌に注目を集めているみたいだ。チラチラとこちらを伺う好奇の視線に、内心で舌打ちする。

「土方、ちょっと来て」
「え……!」

俺は土方の腕をつかんで、席を立たせる。戸惑う土方に、いいから、と一言告げて、教室を出る。
背後でヅラが、やれやれと言いたげな顔をしていたのが視界の端に映ったけど、無視して。



俺は滅多に人の来ることがない、屋上へと土方を連れてきた。土方は屋上へ来たことがなかったのか、少し興味深そうにきょろきょろと周囲を見渡していた。

「屋上って、こんな風になってんだな」

黒縁眼鏡の奥の瞳が、キラキラと輝いている。いつも冷静沈着そうな面持ちをしている土方の、初めて見るその表情に、俺は何となく、こっちの顔の方が好きだな、と思う。
普段の土方は、どこか、作り物めいて見えるから。
俺がじっと土方を見つめていると、それに気づいたのか、何だよ、と言いたげな目をした。それを受けて、俺はふと、思いついた疑問を口にする。

「土方は、さ。何でこの高校に入ろうと思ったんだ?」
「え?」
「だってさ、沖田君と幼馴染だって言うし。中学までは一緒だったんだろ?なら、一緒の高校に入れば良かったじゃん」
「……」
「なぁ、何で?」

俺がそう尋ねると、土方はきゅっと唇を噛み締めた。何かワケアリなその表情に、俺はお節介かもしれないけど、と前置きして。

「沖田君、土方のこと、心配してるみたいだった」
「!」
「口では、なんとでも言えらぁ。どんなに悪態ついたって、目が、一番正直なんだからよ」
「……―――」

総悟、と土方がポツリと呟いた。ゆら、と瞳が揺らいで、きっと土方は迷っている。
沖田君と会うのかどうかを。

「俺、は……―――、」

長い葛藤の末、土方が結論を言いかけた、その時。
ピピピ、と土方のポケットから携帯の着信音が響く。ビクン、と大袈裟なほど肩を震わせた土方は、ゆっくりとポケットから携帯を取り出して、耳に当てた。

「はい、十四郎です」

はい、はい、とどこか機械的に返事をする土方。すると、電話の相手から何か言われたのか、ぎゅっと眉根を寄せたかと思うと、押し殺したような震える声で。

「分かっています、母さん」

と、そう言って、電話を切った。

「土方……?」

電話を切った土方は、ひどく顔色が悪かった。何かに怯えているような、尋常ではない様子に、俺は心配になって声をかけた。すると土方は肩を震わせて、俺を見上げてきた。
頼りなく揺れる、眼鏡の奥の瞳。それでいて、頑なに閉じた唇に、土方は何も話す気がないのだと悟った。

「ひじか……」
「悪い、俺、帰らないと……」

また、今度にしてくれないか、と俺から目を背けて、立ち去ろうとする土方。俺は、そのままにして置けなくて、咄嗟に土方の腕を掴んだ。あの日と、同じように。
土方も同じように、ビクンと体を震わせて俯いたまま、離せ、と言う。

「離さない」
「ッ……、離せ!」

ぐ、と力を込めて離れようとする土方に、俺も力を込めて引き寄せた。

「あッ……?」

驚いたように声を上げた土方が、こちらに倒れこんでくるのを、俺は受け止めて。

「……このまま、行かせられるわけねぇだろ。てめぇが、ンな面してるのに」
「……、」

辛い、だとか。苦しい、だとか。そんな感情を押し殺してしまっているような、そんな顔をしている土方を、俺は放っておけないと思った。
いつもそんな顔をして、教室の片隅に独りでいる土方。誰ともつるまずに、冷静に俺たちを見下ろすような瞳。感情の見えない、顔。そんな土方を、実は最初は苦手だったし嫌いだった。

だけど。

あの日。
河原で歌う、あの声だとか。
少し、緩んだ口元。
キラキラと光る、無邪気な瞳が。

俺は、すきだと、思った。

ただ、すきだ、と思った……―――。


「……、さか」

さかた、と俺を呼ぶ土方の、頼りない声。俺は堪らなくなって、土方の体をかき抱いた。
ぎゅう、と力を込めて。
いたい、と少し抗議する土方を無視して、俺はずっと抱きしめていた。そのうち、諦めたのか、土方はゆるりと体の力を抜いて、俺の肩にすり寄ってきて。

俺は、じっと、土方の肩を抱いていた。




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