三月九日。8




結局、その日は土方に会わずに帰った。土方母は残念そうな顔で、俺を玄関まで出てきて見送った。

『あの子の心に付いた傷は、多分、私や貴方が考えている以上に深いモノだと思うの。だけど、それでもあの子にうたを歌わせてあげたいと思うのなら……。どうか、あの子のこと、よろしくお願いね』

母親の私が、こんなことを頼むなんて情けないけど、と土方母は寂しげな顔で笑った。俺はその笑顔に、なんて返せばいいのか迷ったけれど、どの言葉も土方母には言うべきものではなくて、言葉を呑んだ。そんな俺を察したのか、土方母はほんの少しだけ、吹っ切れたように。

『ありがとう、坂田君』

そう言って、土方とよく似た顔で、笑った。



土方邸からの帰り道。すっかり夜も更けて、街灯が道を照らしていた。遠くのほうで犬の鳴き声が響いて、何となくもの寂しげな雰囲気が漂っている。
俺は自分の靴がコンクリートの道路を叩く音を聴きながら、ぼんやりと土方母のことを思い出す。
……俺には、母親の記憶がない。正確には、父親の顔も知らない。
俺が生まれてすぐに離婚して、俺の親権を譲り合った両親は、どちらも俺を育てる気などなく、最終的に施設に預けられた。まぁ、そこから色々とあって今の生活があるんだけど。
だから、自分にもし、母親がいたとしたら、あんな風なのだろうかと思う。あんな風に、自分の子供に対して心からの愛情を向けてくれるのだろうか、と。
そこまで考えて、苦笑する。別に、今更母親が欲しいと思うわけではないし、俺は今の生活が気に入っている。それで十分じゃないか。
それよりも……―――。

「ひじかた……」

声に出して呼んでみる、彼の名。
まだ、そんなに深い付き合いをしたわけでもない、クラスメイト。
だけど不思議と、昨日よりも近くに感じるのは、何故だろう?
俺は口元を吊り上げて、笑った。他人のことをここまで深く考えるのは初めてで、自分の知らない感覚に、声を上げて笑いたくなる。無性にギターが弾きたくて、今ここにギターがあれば、きっと爽快だろう。近所迷惑には、なるけれど。

明日が、早く来ればいい。俺はそんなことを思いながら、のんびりと帰路につく。

その背後で、じっと俺を見つめる影に、気づかずに。




「よォ、銀時」
「げ」

俺にしては珍しく、少し早めに家を出た。だけど更に珍しいことに、朝に弱い低血圧野郎……―――、高杉が、玄関先で俺を待っていた。俺が顔をしかめていると、高杉は面白そうに口元を吊り上げて、ククク、と喉を鳴らして笑った。

「やけに早いじゃねぇか、銀時。こんなに朝早く登校かァ?」
「別に俺の勝手だろ。それよりもてめぇの方が珍しいじゃねーか。今日は槍でも降るんじゃねーの?」
「俺はいつもこのくらいには起きてるぜ?ただ、もう一度寝てるけどな」
「それ意味ないから!何そのどや顔!全然自慢にならねーし、つーかむしろそれが許されてるってどんだけ!」
「最低限の出席日数は確保してんだ。何の問題があるんだよ?それより行こうぜ?早めに行って、睡眠確保したいし」
「結局学校に行っても寝てるよこの子!あーもう、分かったから!」

俺はニヤニヤと質の悪い笑みを見せる高杉に頭をかきながら、歩き出す。その隣で頭一つ分低い高杉が、サラサラの髪を揺らしていた。
……そういえば、土方の髪もこんな風だったなぁ。サラッサラの黒髪。
ぼんやりと高杉を見下ろしていると、あぁ?見下げんじゃねー、と睨みつけられた。
……ダメだ、高杉を基準にしたら可愛げが減る。
はぁ、とため息を付くと、めざとく聞きつけた高杉が。

「なんだ、ため息なんて付いて。……もしかして、噂の野郎のことか?」
「は?」
「しらばっくれんなよ。ネタはちゃんと上がってんだ」
「や、だから、何が?」

俺が首を傾げると、高杉は最高に楽しそうな顔で。

「ヒジカタって野郎にお熱だそうじゃねえか。全く、デビューも近いってのに、いい気なもんだなァ、銀時」
「……ッ!?」

何でそれを!?とパニックになっていると、高杉は肩を揺らして笑いながら、沖田とヅラが言ってた、と言った。
オイイイイ!何言ってんの?俺、自覚したのついこの間なんですけど!何コレ?何の罰ゲームなわけ?

「てめぇは分かりやすいだけだ。知らぬは本人ばかりなり、ってな」

観念しろや、銀時。と隻眼のドラマーは俺の肩を叩いた。そして。

「そのヒジカタってヤツ、とりあえず俺に紹介しろ」

爆弾を、投げ落とした。





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