そして、夏    参




正十字騎士団に、悪魔と内通している者がいる。
それはつまり、僕達祓魔師の裏切り者がいる、ということだ。
僕はそれを聞いて、無意識のうちに喉を鳴らしていた。

「………ッ」

どうする、と思考を巡らせる。裏切り者がいると分かっている内部を、僕一人で探るにも限界がある。例え四大騎士の資格を持っているとはいえ、正直騎士団の中で権力を持っているとは言い難い。それに、普段はそのことを隠しているわけだし。騎士団を調査するとなると、やはり内部に協力者が必要だ。かといって、信頼できる祓魔師など……―――――。
そこまで考えて、ハッとする。
いる。裏切っていることなど絶対にありえない、祓魔師たちが。そして彼らなら、絶対に協力してくれる。
そう、兄さんと共に戦ってくれた、彼らなら。

「君の言いたいことは、分かった。僕は僕なりに、調べてみるよ」
『あぁ。……俺たちは俺たちで、虚無界側から調査している。ルシファーの辿ったルートさえ判明できれば、自ずとこちらの協力者が誰か、分かるはずだ』

レヴィアタンは少し肩の力を抜くと、旧男子寮を見上げた。おそらく、中にいるであろう、兄さんを思って。
僕はその青い瞳を見て、今まで思っていたことを口にする。本当は黙っていたほうがいいと思ったのだけれど、これから兄さんの傍にいるとなると、この悪魔との関わりは避けられない。
だったら早めに、聞いておいた方がいい。そう、少し前から思っていたから。

「レヴィアタン、君は……―――兄さんのことが好きだろう?」
『………―――』
「君の目を見ていれば、分かる。君が、虚無界の王として兄さんを心配しているわけじゃないことくらい。……―――、君は、」
『若君は、俺たちの王だ』

 僕の言葉を遮って、レヴィアタンは淡々とそう言った。真っ直ぐに僕を見つめて、ただ。

『俺は、それ以上を望まなかった。ずっと若君の傍に居たいから、それ以上を望めなかった。……―――ただ、それだけのことだ』
「……?どういう意味だ、それは」
『………いずれ、分かることだ』

レヴィアタンはそう言って、それ以上は口にしようとしなかった。
僕は何となく、ざわりと心がざわつくのを覚えた。何か、嫌な予感がする。だけどそれが何なのか分からずに、瞳を伏せたレヴィアタンの瞳を、見つめていた。
そうして僕達が黙り込んでいると……―――。

「おやおや、何やら辛気臭い雰囲気が漂ってますねぇ☆」

ぼふん、といういつものお決まりの破裂音の後、聞きなれた声が聞こえてきた。煙の向こうから登場したのは思ったとおりの人物で、いつもながら、もしかしたらどこかで見ていたのではないかと疑ってしまう。

「残念ながら私も暇ではないので、貴方方を逐一監視している余裕などありませんよ、奥村先生」
「あぁ、そうですか」

さらりと思考を読まれたような回答に、今更驚くことはない。僕がさらりと返すと、やっぱり可愛げがなくなりましたね、なんて大げさな仕草で嘆いていた。
男に可愛げがあってどうする。そんなのがあるのは、兄さんだけで十分だ。
内心ではそう思いつつも黙っていると、レヴィアタンがメフィストに一礼していた。

『お久しぶりです、兄上。やはり貴方様もルシファーの「気」を感じましたか?』
「あぁ、レヴィアタン。お久しぶりです。なるほど、虚無界にいるはずの貴方でさえ感じたということは、相当でしょうね。………、奥村君の様子は、どうです?」
『………『風の王』がいち早く察知したらしく、若君の下へ駆けつけたようです。ですが……昏睡状態にあり、詳しく確認ができておりません』
「なるほど。『気』に関しては『風の王』の専門ですからね。………しかし、奥村君を昏倒させるとは、さすがは、というべきでしょうかね」
『……―――はい』

神妙な顔をして頷くレヴィアタン。何やら二人だけで会話が成立しているが、言葉の節々からなんとなく理解できた。
堕天使、ルシファー。
彼(と呼ぶべきが難しいが)には、様々な伝承がある。元々、天界において神に仕える天使の一人で、天使たちを治める長を務めていた。ところが、神が作った人間の始祖、アダムとイブに仕えろという神の命に反感を覚え、神に反逆し、その罪で地獄、つまり虚無界に落とされたという説が今のところ有力だと言われている。
この説がもし本当だとすれば、彼が兄さんを受け入れなかった理由も納得できる。一度アダムとイブを拒絶している彼が、悪魔ではあるが人間とのハーフでもある兄さんを受け入れられるわけがない。
そして……―――おそらく兄さんとルシファーはあの訓練場で刃を交えたはずだ。しかし結果として兄さんは昏睡状態に陥ってしまった。虚無界の王であり、青い焔を持つ兄さんにそんなことができるのは、元天使のルシファーにしかできない。
しかも兄さんは、物質界にいる代償として力の九割を封じられている。そんな状態でルシファーと戦うなんて、無茶にもほどがある。

………バカ兄。どうしてこんな大事なこと、黙ってたんだよ。

言えないことがある、と少し前に聞いた。それに、自分も言えないことがあるからいいよ、と返した。今でも、その考えに変わりはない。だけど、今回のことは僕に話しておきべきことじゃなかったのか。ことは虚無界だけじゃない、物質界も関わっていることなのに。
内心で舌打ちしつつ、目覚めたら問い詰めてやる、と息巻いた。そんな不穏な僕の空気に気付いたのか、フェレス卿は肩を竦めているし、レヴィアタンは顔をしかめていた。

「まぁまぁ、奥村先生。そうカッカせずに。……とにかく、これは一大事ですよ。性急に何か対策を考えなければ、ね」
『はい。そのことで、今話していたところなのです。おそらく、ルシファーには物質界に協力者がいるはずですので、その協力者を探せばルシファーを虚無界に送り返せる。そうなれば、こちらのものです』
「ま、それが妥当でしょうね。しかし、少し気になりますね」
『………―――ええ』

フェレス卿とレヴィアタンが、揃って首を傾げている。僕には正直分からないけれど、悪魔たちには悪魔たちの『感覚』というものがあるらしい。兄さんからも少し聞いたことがあるその『感覚』が今回のことで引っ掛かりを覚えているようだ。

「何が、ですか?ルシファーのことで、ですか?」
「それもありますが……一番は、奥村君ですよ」
「え?」

予想外の言葉に、僕は驚いた。
どういうことだ、と説明を求めると、レヴィアタンは少し言いよどむ仕草を見せたものの、すぐに口を開いた。

『若君は、おそらくルシファーがこの物質界にいることに気づいていた。今回のことも、若君はルシファーの『気』を感じ取り、一人になった。しかし、いきなり『気』を感じたのならもっと焦るだろうし、いくら隠そうともそれに気づかない貴様じゃないだろう?』
「………確かに」

思えば、確かに可笑しい。
ルシファーが脱獄したことは兄さんの耳に入っていただろうけれど、物質界にいるということは誰も予想できなかったというくらいだから、兄さんだってそう思っていただろう。
それなのに、別れ際の兄さんは、まるで動揺していなかった。それこそ、「レヴィアタンが来ている」という言葉に何の疑問も持たないくらいには、自然な様子だった。
つまり………―――。

「兄さんは、初めから知ってたってことか。ルシファーが、物質界に来てるってことが」
『………―――あぁ。そしてそれを、誰にも告げずにいた』

レヴィアタンは、苦虫をつぶしたような顔をしていた。
腹心の部下である彼にさえ告げずに、兄さんは何を考えていたんだろう?こんな大事なことを黙っていたということは、何か考えがあったということか。それとも……―――。

「とにかく、奥村君が目覚めるのを待ちましょう。奥村君は、オリエンスと中でしたね?」
「はい。兄さんの方はざっと見たところ軽傷のようですし、もうすぐ目を覚ますと思いますけど………―――」

じゃあ中へ、と話していると、突然、寮の窓が轟音を上げて吹き飛んだ。ハッと顔を上げれば、爆発が起きたのは僕たちの部屋で。
もうもうと立ち込める煙の向こうに青い光が見えて、僕はすぐに駆けだした。

………―――兄さん……!

僕は腰に下げた銃に手をやりつつ、走る。こんなに部屋までが遠いを感じたことはなくて、ぎりっと奥歯を噛みしめる。
角を曲がれば、部屋へ続く廊下に出る、と思ったその時。

「ああああああああああ!」
「!」

悲鳴のような唸り声が聞こえた。兄さんだ。とても正気とは思えないその声に、僕は駆ける足を速くする。思った通り、部屋の前は黒く焼け焦げていて、扉は吹き飛んで原型を留めていなかった。

『………ぎみ、………若君!』
『ッ、……いて!……落ち着いて下され!主!』
「……れは、……いですね………」

慌てた様子の三人の声が聞こえる。おそらく、レヴィアタン、オリエンス、フェレス卿だろう。それぞれ切羽詰まった声を聴いて、ゾッとする。よっぽどのことがなければ冷静でいられるはずの悪魔たちが、動揺をあらわにしている。そのことが、事の重大さを表しているようで。

「ッ、兄さん!」

僕は煙が立ち込める部屋へと飛び込む。飛び込んできた光景に、目を見開く。
青い焔を纏った兄さんを、レヴィアタンとオリエンスが両手両足を拘束していた。そしてその近くで、兄さんに向かって両手を翳して、顔をしかめているフェレス卿。

「ぐ、あ、あああああ!」

兄さんは拘束している二人をどうにかしようと、必死にもがいていた。だが、二人も必死で兄さんの両手と両足を抑えていて、びくともしない。
一体、何が、とその光景に固まっていると、僕に気付いたフェレス卿が奥村先生、と僕を呼んで。

「すみませんが、その場から動かないでいただけますか?今、私がこの部屋に張っている結界が崩れてしまいますので」
「っ、これは、どういうことです?兄さんに、一体何が……!」

動くな、と言われているので、すぐに兄さんの元に駆け出したいのを必死に抑え込みつつ、フェレス卿に説明を求める。
フェレス卿は困ったように眉根を寄せながらも、口元には笑みを乗せていた。

「原因は分かりませんが、今の奥村君は正気ではありません。まるで、まだ焔をコントロールできずに暴走していた頃のようになっています。………今、私が焔を外へ漏れ出さぬよう結界を張り、これ以上暴走せぬよう、抑え込んでいます。ですが………やはり王の力ですね。予想以上に、強い………!」

表情は涼やかな顔をしているが、フェレス卿の声には余裕はない。あのフェレス卿が余裕を無くすのだから、相当だ。僕の額にも、自然と汗が滲んだ。

『若君!落ちついて下さい!若君ッ!………ちくしょう!…………落ち着け!燐ッ!』

レヴィアタンが怒鳴る。だが、兄さんの耳には入っていないのか、グルル、と喉を鳴らして牙をむいている。まるで手負いの獣のようで、何もできずに見ていることしかできない自分に苛立った。

兄さん!と祈るように、その名を心の中で叫ぶ。
その、時。


ぱた、と兄さんが急に暴れるのを止めた。それは本当に唐突で、あまりにも急すぎる変化にこの場にいた誰もが付いて行けずに。

『あ、主………?』
「奥村君?」

ぴたりと動くのを止めた兄さんを、怪訝そうに、オリエンスとフェレス卿が呼ぶ。僕も心配になって、じっと兄さんの様子を窺った。

『り、………若君?』

両手を拘束していたレヴィアタンが、そっと兄さんの手を解放する。するとその手が、スッと持ち上がって、レヴィアタンの頬へと伸びて……―――。

「あれ?………レン?お前、どうしたんだ?」

きょとん、とした兄さんの声が聞こえた。心底不思議そうな、それまで暴走していたなんて思えないような、そんな、いつも通りの声で。
その声に、僕やオリエンス、フェレス卿はもちろん、レヴィアタンもホッと肩の力を抜いて。レヴィアタンは頬に伸ばされた兄さんの手にそっと手を重ねて、ふ、と笑っていた。

『いえ…………。それよりも、お体の方は、いかがですか?』
「からだ?………うーん、なんともねぇ、けど?ちょっとだるいかな、くらいで」
『そう、ですか……良かった………』

レヴィアタンはゆっくりと兄さんの手を引いて起き上がらせた。不思議そうに首を傾げた兄さんだったけれど、部屋の中の惨状を見てぎょっとしていた。

「な、なんじゃこりゃ!?ボロボロじゃねーか!」
「ははは、まぁ、そうでしょうね」
「あはは、じゃねーよ、メフィスト!これ、一体……―――」
『まぁ、そのようなことはどうでもいいではありませぬか、主。それよりも、本当にお体の方は何とも?』
「エン………?なんでお前が………っていうか、体は別になんともねぇって」

一体なんなんだ、と眉根を寄せる兄さん。どうやら自分が暴れたことを覚えていないようだ。おそらく、自我が飛んでいたのだろう。このまま黙っておくべきか、と思案しつつ、その顔色は悪くなさそうで、ホッと安心した。
良かった、と思いつつ、それまで詰めていた息をふぅ、と吐いた。

「本当、良かったよ、兄さん」

心配したんだよ、と言えば、きょとんとした青い瞳と目が合った。じっとこちらを見つめるその瞳は、やがて怪訝そうな色に変わって………―――。

「………なぁ、レン?」
『はい、なんでしょう、若君?』




「なんで、人間がここにいるんだ?」




次の瞬間、その場が、凍りついた。




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