そして、夏    伍




僕を含め、この場に集合した四大騎士は、それぞれ顔を見合わせていた。

「しっかし、このメンバーが揃うのってほんと珍しいよな。たぶん、雪ちゃんが就任して以来じじゃねぇか?」
「あぁ、そうだ。前騎士であるカインが退いてから、もう一年になる。我々もその間、任務に就いていたしな」
「そんなになるのぉ?良かったね。ゆーくん、一年続けられて。きゃはは!」
「ええ、おかげさまで。先輩方には随分とお世話になりましたから」

にっこりと笑えば、安部はひょいと肩を竦めていたし、アンネルーゼは甲高く笑っていた。主にこの二人にしごかれた身としては、このくらいの嫌味、言っても当然だと思う。

「……それで?長期任務の報告に来た安部はともかく、奥村は何用でここへ?必要がなければお前はここには来ないだろう?」
「………えぇ」

さすが、というべきか。
一番の古株であり、四大騎士のまとめ役だ。察しが良くて助かる。
僕は頷きつつ、マリアへと向き直った。

「マリア様………、いえ、マリア・イヴ・エルンスト。貴女はここ数日、妙な気配を感じたりはなさいませんでしたか?」
「……ほぅ。何故そのような質問を?」
「それにはお答えできません」

きっぱりと言い切った僕に、その場の空気が変わった。

「なるほど……?私に質問はするが、その真意は答えられぬ、と?」
「はい。そうです」
「……―――」

じっ、とこちらを見つめる紫色の瞳。冷たいその瞳が、探るようにこちらを見据える。だが僕はその視線を受け止めて、じっと見返した。
しばらく無言で見つめあった後、彼女はふっと口元を吊り上げた。表情は変わらず、ただただ、口元を歪めただけの笑み。

「その質問は、虚無界の王関連だと私が勘ぐってもいいと、そう思って問うているのだな?」
「かまいません」
「……よかろう。お前の質問に答えてやる。答えは、NOだ」
「………―――ありがとうございます」

淡々とした受け答えだが、僕には十分だった。
僕は一つ頭を下げると、しかし、とマリアは言った。

「妙な気配はせぬが、違和感は感じている。……はっきりとは掴めぬが」
「そうですが……」

僕はマリアの答えに、少し考え込む。
だがすぐに、ここで考えても埒が明かないと思い、思考を切り替えた。すると、そこまで黙って僕達の会話を聞いていた二人が、早速喰い付いてきた。

「オイオイ、一体どうしたんだ?雪ちゃんがあからさまに青焔魔のことをほのめかすなんて、珍しいじゃねぇか。何かあったのか?」
「………奥村燐については、今のところ問題はありませんよ。報告しているとおりです」
「きゃはは!そんなのうわべだけのものだって、皆気づいてるよぉ?この前の騒ぎだって、ちゃあんとマリアは感知してたんだからさぁ。あんまりオイタが過ぎると、大好きなお兄ちゃん、処分されちゃうかもね!」
「……、」

きゃはは!と笑う彼女に、クッと思わず笑みが零れた。本来なら黙っておこうかと思ったけれど、まぁ、少しくらいならいいか、と開き直る。
……―――だって、そうだろう?大事なひとを馬鹿にされて黙っていられるほど、僕は大人しい性格ではないのだから。

「なるほど。どうやら騎士団は、兄さんの力を甘く見ているようで。……言っておきますが、兄さんは自ら望んで、力を封じている。騎士団が施した封印を甘んじて受けていることを、お忘れなく」
「……へぇ、その気になりゃあ、その封印はいつでも解ける、と?」
「さて、それは兄さんに聞かなければ、なんとも」

僕は飄々と言ってのけた。
まぁ、兄さんが本気になれば封じは簡単に破れることなど、考えれば分かることだし、ここにいる全員、承知していることだ。

「……奥村雪男。ほどほどにしておけ。これ以上の発言は、騎士団の処分対象となる」
「えぇ、分かっています」

僕は頷きつつも内心で、ほんの少し痛みを覚えた。
ただ、大事なひとのことを言っているだけなのに、処罰の対象となってしまう。
………青焔魔である以前に、僕にとって兄さんは、兄さんなのに。

「だが、奥村燐は我々騎士団にとって、有益な存在ではある。物質界を実質的に奪おうと目論んでいたのは、父親のほうだからな。……だが、奥村燐もまた、悪魔であり、王だ」
「………、はい」

分かっている。
痛いほどに、分かっている。
たとえ青焔魔を倒したのが兄さんだとしても、虚無界の王となった兄さんは、騎士団にとって青焔魔と何も変わらない存在なのだと。

……そのことが、痛いくらいに、悲しかった。

兄さんは青焔魔を倒すことで、物質界に居場所が欲しかったのだと思う。
たとえ、周りの人間が彼に理解を示したとしても、物質界そのものに兄さんの居場所はどこにもないことを、きっと分かっていたに違いない。
だから、自分の利用価値さえ示せば、物質界の味方なのだと示せば、きっと分かってくれると、居場所が見つかると、そう、願っていたはずだ。

だけど結果として、物質界を守る為、虚無界を守る為、兄さんは王となった。
物質界に居場所の欲しかった寂しいあの人は、対を成す虚無界へと行ってしまった。

そこで、どんなことがあったのかは知らない。もしかしたら、兄さんの本当の居場所は、虚無界にあったのかもしれない。
だけど、それでも。

兄さんに傍にいて欲しいと願い、我がままを言ったのは僕だ。
大事で、ほんとうに、大事で。だから傍にいて、笑っていて欲しいと。
僕は自分の願望のために、兄さんをまた、辛い道へと誘ってしまった。

そのことを、後悔するつもりはない。
兄さんを茨の道へと走らせたのが僕なら、僕は同じだけの茨を進む。

そう決めたから、この地位に就いた。
兄さんと対を成す、騎士団の中枢へ。

だから……―――この痛みでさえ、甘んじて受ける覚悟がある。

「奥村燐は……封じを破ろうなんて、考えませんよ」

僕とは違って。
とても、とても、やさしいひとだから。
そんなひとだから、守りたいと思ったのだ。




四大騎士たちとの会合を済ませ、僕は帰路に急いだ。兄さんのほうはレヴィアタンとオリエンスに任せているので大丈夫だとは思うが、やはり心配だ。それに、兄さんがあの状態でルシファーと対峙すれば、あまりにも都合が悪い。普段は現状を理解しているが、今の兄さんは真っ白な状態だ。力も、その力が及ぼす影響も、全く知らない。
そんな中で、青い焔を使えば……―――。

「……―――、まさか」

僕はぴたりと足を止めた。唐突に飛来した思考に、血の気が引くのを感じる。

物質界の記憶を無くした兄さん。
兄さんを快く思わないルシファー。

そして、兄さんを目の上のたんこぶとしてでしか見れない、正十字騎士団。

「………―――、それが、狙い、か………!」

僕はぐっと、唇を噛み締めた。痛みを感じるほど、強く。

記憶の無い兄さんは、物質界に及ぼす自分の影響力を知らない。そこへ、対立しているルシファーが現れれば、兄さんはルシファーを止める為に、戦うだろう。
戦えば、兄さんは力を使う。たぶん、封印を破る勢いで。封印を破って暴れれば、物質界への被害は甚大だ。

そうすれば……―――兄さんを、公式的に処分することができる。

「………、ッチ」

僕は盛大に舌打ちをしていた。
今回は最初から、後手に回りすぎる。兄さんが記憶を失くしてしまっている以上、こちらは後手に回らざるを得ない。なんらかの拍子で記憶が戻れば一気に形勢を逆転できるが、それがいつになるのか、本当に戻るのかさえ、分からない。

僕は苛立たしく思いながら、兄さんへ悪態を付いていた。

兄さん、どうして話してくれなかったんだ。兄さんが話していれば、こんな……―――!

「珍しく荒れてるな、雪ちゃん」
「………後を付けるなんて、悪趣味ですね」

僕は背後から聞こえてきた声に、努めて冷静に返した。ゆっくりと振り返れば、煙草を口に咥えたまま、壁に凭れ掛かっている安部がいた。

「後なんて付けてねぇよ。後ろを歩いていただけだ」
「それで、用件はなんです」

早々に立ち去りたい僕は、安部の言葉を無視した。すると、彼は口元に手をやって煙草を口から放すと、ふぅ、と煙を吐いた。
珍しく言いよどんでいる様子の彼に、あぁ、と納得する。

「弟さんのことなら、心配ありません。貴方と違って、誠実な生徒ですよ」
「誠実、ね。俺も精一杯の誠実さを持って接しているつもりだけどな、お前には」
「貴方とは一番無縁の言葉に思えます」
「は、言うねぇ!」

はは、と声を上げて笑った彼は、手に持っていた煙草を咥えた。噎せ返るような煙と匂いに、顔をしかめる。これじゃ、帰る前に消臭剤をしておかなければ、匂いに敏感な兄さんが嫌がってしまうだろう。
内心で顔をしかめていると、安部は煙草の煙を見ながら、ぽつりと呟いた。

「………なぁ、奥村雪男。お前、何を考えている?」
「………―――」
「今日のお前、明らかに様子がおかしかった。あれじゃあ、青焔魔、いや、奥村燐になにかありましたって言ってるようなもんだ。そんなこと、お前がするとは思えねぇ」
「随分、僕のことを買っていただいているようで」
「そりゃそうだ。お前は元聖騎士、藤本の野郎の一番弟子だ。それに、お前は兄貴が絡むと怖ぇからな。聞いたぜ?この前の騒ぎ、メフィストの野郎と結託して、色々ともみ消したそうじゃねぇか」
「もみ消してなどいません。事実を報告したまでです。………話はそれだけですか?」

なら、と踵を返した僕を、待てよ、と安部は引き止めた。

「お前は藤本の野郎の息子だし、俺の弟が世話になってるから黙っていたが、これ以上何かあるようなら、俺は黙っちゃいねぇぞ。………これでも、祓魔師の端くれなもんでね」
「分かっていますよ。貴方が、生粋の聖職者であることなんて」

僕はそう告げて、今度こそ歩き出した。帰りに消臭剤を買って帰ろうと、そんなことを考えながら。




寮に戻ると、兄さんはすやすやと眠っていた。その両端にレヴィアタンとオリエンスが座っていて、目を閉じていた。
僕が帰ってくるのを感じたのか、レヴィアタンが顔を上げてこちらを見た。

『戻ったのか』
「あぁ」

僕はゆっくりと扉を閉めて、コートを脱ぐ。重たいコートを一つ脱ぐだけで、肩の力が少しだけ緩んだ。
ほ、と息を吐くと、背後でレヴィアタンが動く気配がした。

『何か、分かったのか?』
「……分かった、というより、気づいた、かな」

僕はレヴィアタンに向き直ると、先ほど考え付いたことを話した。終始難しい顔をしていたレヴィアタンは、僕の話が終わると、なるほど、と頷いた。

『確かに、若君が記憶を無くしたことといい、タイミングが良すぎる。貴様の考えで、間違いないだろう。ただ……―――一つだけ、』
「ん?」
『恐らく物質界の協力者は、知らないんだろう。若君が物質界と虚無界を繋ぐ門、虚無界の門ゲヘナゲートの均衡を保つ存在なのだと』
「!」

僕はハッと目を見開いた。
そうだ。そもそも、兄さんが虚無界の王となったのは、青焔魔を倒したことで門の均衡が崩れそうになった為だ。それを防ぐ為に、兄さんは王になったのだから。
と、いうことは……。

『逆を言えば、ルシファーは若君だけじゃなく、物質界も壊そうとしている、ということだ』
「アダムとイヴへの逆襲、というわけか」
『あぁ、そうなるな』

苦々しい口調で、レヴィアタンはそう言った。こうなれば一刻も早く、物質界にいる協力者を探し出し、ルシファーを止めなければ。

『若君のことは、俺たちに任せておけ。決して、ルシファーの好きにはさせない』
「……あぁ、すまない」

僕は兄さんの眠った横顔を見つめて、ぎゅっと手のひらを握り締めた。






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