シャングリ・ら 中




そんなことがあった翌日、僕は結界のある場所を見て回りながら、村の様子がどこかおかしいことに気づく。何がどうというわけではないが、妙に静かな気がするのだ。
どうしたんだろう?と思っていると、昨日会った少女が鞄を手に歩いてくるのが見えた。
少女は僕に気づいて、小さく頭を下げる。

「こんにちは」
「はい、こんにちは。……お買い物ですか?」
「ええ。今日は特別だから、早めにお買い物を済ませておこうと思って」
「特別?」

僕が首を傾げると、少女は晴れ渡った空を見上げて、ええ、と頷いた。

「今夜は満月だから、悪魔の力が強くなる日なので皆家で過ごすんですよ」
「……なるほど」

そういえば、昨日彼と見上げた夜空に浮かぶ月は、もう少しで満ちる形をしていたな、と思い出す。その次の瞬間、彼の笑った顔が浮かんで、しまった、と思う。
こんな風に、心をすぐに乱してはいけない。そんなこと、分かっていたはずなのに。

どうして、彼のことが頭に思い浮かぶんだろう。
どうして、こんなに気になるんだろう。

分からない。
……―――分からないけれど、僕はソレが何なのか、知っている気がした。




その後は結界を見て回って、宿に戻った。今夜は満月で、悪魔の力が強くなるというのなら、村が襲われてしまう可能性だってある。結界は一応効いているし、そんじょそこらの悪魔では破れないから大丈夫だとは思うけど、念には念を入れるべきだろう。
僕は愛銃である二丁を手に持って、弾を込める。カチリ、と弾倉を回して、グッと安全装置を外す。
いつも使っている銃は、数を想定してマシンガンを小型に改造したものを使っていたけれど、今日はリボルバー式のものしか持って来ていない。つまり、込められる弾は六弾。弾自体は結構な量を持ってきているけれど、リボルバー式は弾を一つ一つ込めなければならず、大量の悪魔が襲ってきた場合は不利になる。
……―――それでも、やらなければ。
僕はグッと銃を握り締めて、今夜は徹夜だな、と思った。

そして夜も更けた頃、僕は宿を出た。頭上には青白く光る月が、シン、と静まり返った夜の闇を照らしている。
僕は月を見上げて、目を細める。確かに、こんな月夜は特に悪魔が活発的に行動する。腰に下げた愛銃を確認しつつ、とりあえず村に異常がないか、見回ることにした。
そうして見回っているうちに、違和感を覚え始めた。いくら村の住人たちが家の中で大人しくしているとはいえ、ここまで静かなものだのだろうか?と。
その疑問を思いついて、僕は全身が騒ぐのを感じた。何がどう、というわけではない、確信もないけれど、恐らく。

僕は小さく舌打ちをして、走り出す。手には月光に反射する愛銃、目指す場所は、村の出入口。

「―――……ッ!」

走って、走って、辿りついたその場所で目にした光景に、僕は息を呑む。

村の門の前、そこには数え切れないほどの悪魔たちがこちらをじっと睨んでいた。まるで獲物を前にした獣のような眼光が、夜の闇に怪しく点滅をしている。
僕はそれを目の当たりにして、まさか、と呟く。

「―――……百鬼、夜行」

何年かに一度の満月の夜、物の怪や悪魔たちが群れを成し練り歩くという。まさかそれが今夜だったなんて。僕はぎゅうと銃を握り締める手に力を込める。
百鬼夜行にも、様々な種類がある。群れを成す悪魔たちにもランクがあり、力のある悪魔を頭に据えた百鬼夜行は下に付く悪魔も上級ランクが多い。つまり、頭のランクが上であればあるほど百鬼夜行の力の上になるということだ。
僕はじっと目を凝らして、群れの悪魔たちを見る。見たところ、上級の悪魔は居ないようだ。つまり、この百鬼夜行は中ランクか、下ランクのものだろう。
これくらいならば、村に貼ってある結界で何とかできそうだ。だが、百鬼夜行全員で来られた場合、結界にも綻びが生じてしまう。
どちらにしろ、僕が戦わなければならないのは、必須。
ぐっと愛銃を握る手に力を込めて、結界の外に飛び出そうと構えて。

「―――、待ってたぜ、お前ら」

凛、とその声はどこまでもその場に響いて。驚く僕の目の前、こちらに背を向けるようにして現れたその人は、まるで村を守るようにして、突然現れた。

「遠路はるばるご足労痛み入るが、この村は俺の領域だ。好き勝手されちゃあ困る。……頭を出せ」

彼は威圧的にそう言った。すると悪魔どもはざわりと騒いで、その後、スッと全員が腰を落とした。それは明らかな服従の態度。同時に、悪魔どもの中から、悪魔が一歩前に出た。
すらりとしなやかな体つき、ゆらゆらとその周囲に漂う、赤い炎。そして、何よりその九つの尾を揺らめかせたその姿は、正しく。

「成る程、九尾狐の百鬼夜行だったか」
『……お久しゅうございます。まさか貴方様がこのようなところに居られるとは思いもせず、無礼をお許しくだされ』

九尾狐はその頭を垂れて、周囲に漂わせていた赤い炎の一つを彼に差し出した。炎を受け取った彼は、ふぅん?と興味なさげに炎を見ていたが、すぐにそれを握り潰した。

「無礼も何も。俺は勘当された身の上だ。お前たちがそうやって頭を下げる道理はねぇよ。頭を上げろ」
『いいえ、そうも参りませぬ。お父上と縁が切れた方とはいえ、貴方様はお父上のを引く御方。それだけで、我らが頭を下げるに値するのでございます。そして、その方の領域に勝手に入り込んだのは我らの失態。……どうぞ、落し前を』
「―――さすが、礼儀を重んじる九尾狐だ。……いいだろう。今回はお前の態度とさっきの炎でチャラにしてやる。……去れ」
『在り難き温情、痛み入ります。……我ら一同、貴方様のご帰還を心よりお待ち申しております』

九尾狐はそう言って一度深く頭を下げると、フッと闇に溶けるようにして消えた。同時に百鬼夜行たちも消えていて、辺りには沈黙が戻ってきていた。
僕はそれを見送った後、彼の背中を見た。すると僕の視線に気づいたのか、彼は苦笑しながらこちらを振り返って。

「……とりあえず、その銃を下ろしてくれねぇか」
「……」

その言葉に、彼の背中に向けていた銃を下ろそうか迷った。だが、彼からは敵意は感じなかったので、ゆっくりと銃を下ろす。すると彼は少しだけ目を細めた後に、ゆっくりと笑った。その笑い方が少しだけこの前と違っていて、どきり、とする。

「もう見られちまったし、正直に話すけどさ。……俺、実はサタンの息子でさ」
「ッ!?」

さらり、と寄越されたその言葉に、体が硬直した。え?今、彼は何て言った?
サタンの、息子?サタンって、あの、サタン?

「あー、信じらんねぇかもしんねーけど、これ、ホントだからさ。今色々事情があってあんまり力が出せないけど、俺は間違いなくサタンの息子だ。……ムカつくことに」
「はぁ……」
「んで、知っていると思うけど、サタンはこの物質界アッシャーを欲しがってた。でも俺は、別に人間は嫌いじゃねーし、今のままでのもいいんじゃねーの?って思った。だけどさ、そんな非好戦的な息子をあのサタンがよく思うはずねーだろ?テメーは俺の息子じゃねーって勘当されて、俺もあんなヤツ父親じゃねーって喧嘩して、ここに流れ着いた」
「……」

悪魔の話を聞いているはずなのに、どこにでもある親子の喧嘩を聞いているような気分になって、僕は複雑な心境になった。何と言うか、言い方は悪いがサタンも父親だったということなのだろうか。
僕が黙っていると、彼はそのまま話を続けた。

「ここに流れ着いた俺は、とにかく人間と話してみてーって思った。何となく人間に興味があったし。でも、悪魔オレが視えるヤツって祓魔師エクソシストくらいしかいなくて。会えば祓われそうになることが多かった。だから人間ってつまんねーイキモノだなって思った。……そんな時、ある女の子と出会った。その子は村の住人で、俺が視えていた」
「!」

僕は一瞬、あの緑男と一緒にいたあの女の子を頭に思い浮かべた。だが、何となく違うような気がして、口を閉ざす。

「あの子は、俺のことを視ても怖がらなかった。それどころか、友達になってくれた。それが嬉しくて、俺はただ、寂しかったんだってことに気づいた」

あの子、とそう呼ぶ彼の目は何処か遠く、切なくも優しい色を宿していた。

「そんな時、ある事件が起きた。あの子が悪魔が視えるってことを、村の住人どもが気づいたんだ。そして、村の住人は、あの子の住んでいた家を、焼き払った。……、中に、まだあの子がいるんだって、知っていたのに」
「そ、んな……」
「悪魔狩りと称して、この村の住人はあの子を焼き殺したんだ……ッ!」

押し殺したような、それでいて泣き出しそうな、声。僕は咄嗟に彼に手を伸ばしそうになって、我に返る。手を伸ばして、僕はどうするつもりだったんだろう。
伸ばしかけた手は下ろすしかなくて、僕は変わりにぎゅっと手のひらを握り締めた。

「俺の、せいだと思った。俺と話しているところを見られなければ、あの子は死なずに済んだ。俺は、絶望したよ。村の住人にじゃない。俺自身に、失望したんだ」
「……」

あぁ、彼はなんて優しい悪魔なんだろう、と僕は話を聞きながら思った。
普通は、そこで村人を恨んでもいいはずだ。その子を殺したという村人を恨んで、憎んだっておかしくないのに、彼は自分をただただ責めていた。
人よりも、優しい悪魔。僕はその在り方が、不器用すぎて、悪魔のくせに馬鹿だな、と思った。

「そんな時、あの人と出会った。……祓魔師エクソシストのくせに妙に俺に絡んできたその人は、誰も近寄らなかったあの子の家跡からあの子の遺灰を拾って、この川に流してくれた。『これで、安らかに眠れるだろ?』って笑って。『だから、お前が気にすることは何もねぇよ』って言って。その時、俺はやっと救われたんだ。俺は、あの村には入れなくて、ずっと気にしてたから」

嬉しかった、と目を細めて笑う彼の横顔が、本当に嬉しそうで。僕は少しだけ、その祓魔師エクソシストに嫉妬した。もし当時、僕がここに派遣されたとして、その人と同じことができたかどうかは分からない。けれど何となく、同じ祓魔師エクソシストとして、悔しいのだ。こんな風に勝てないと思う祓魔師エクソシストは、今は亡き聖騎士パラディンであった養父くらいしかいないだろうと思っていたのに。
そこまで考えて、僕はふいに思い至った。いや、もしかしたらこの考えは、合っているかもしれない。
僕は笑う彼に向かって、恐る恐る尋ねて見た。

「あの、その祓魔師エクソシストって、もしかして、藤本獅郎、という名前じゃなかった?」
「そうそう!藤本!あの人の名前は確かにそうだったよ!って、あの人を知っているのか!?」
「知っているも何も……」

藤本獅郎は、僕の育ての親だ、と告げれば、彼はぽかん、と呆気に取られた。僕だってそんな気分だ。まさか、彼を救ったのが神父とうさんだったなんて。
いや、あの人なら悪魔だって救うだろう。彼の使い魔がそうだったのだから。
適わないはずだ、と苦笑していると、彼は妙にそわそわと僕を見ていることに気づいた。どうしたんだろう、と思っていると、彼はぐっと唇を噛んだ後、あの人は、どうしてる?と聞いてきた。
その真っ直ぐな青い瞳に、僕は真実を告げるべきか迷ったけれど、すぐに彼に嘘は通じないのだと思い当たって、小さく首を横に振った。

「藤本獅郎は、死んだよ。……一年前に、任務中に」
「……、そうか」

死んだのか、と彼は呟く。その声は何も感じていないような、淡々としたそれだったけれど、でも何故か、泣きそうだ、と思った。

「人間ってのは、いい奴から死んで逝きやがる。……なぁ、お前は、さ」

簡単に、死なないでくれよ。
そう縋るように告げられた言葉に、息を呑んで。ゆらゆらと揺らめく青い瞳に、僕は目を逸らした。何故なら、僕は彼が胸を痛めるような、人間ではないからだ。

「残念だけど、約束はできないよ。……―――それに、僕は多分、簡単な死に方はしないだろうしね」

彼が心を許した少女のように優しくもなければ。
彼を救ったあの人のように強くもない。
悪魔を祓うためなら、汚いことも平気でやって来た、ただの祓魔師エクソシストだから。
だからきっと、ロクな死に方はしないだろうし、たぶん、嫌味のように生き残ってしまうだろう。


だって僕は、彼の言う「いい奴」では決してないのだから。




とうとう任務も最終日になった。
僕は何となく浮かない心を叱咤しつつ、最後の結界を見て回った。特に補正する場所もなく、見回りは午前中で終わってしまった。そうなると、僕は手持ち無沙汰になってしまう。
これなら昼を過ぎたら帰ろうか、と思った。あまり長くこの場所にいるのは、何だかいけないような気がしたのだ。
認めたくはないけれど、多分、僕は、あの青い瞳の悪魔に心惹かれている。悪魔に心を奪われるなんて、祓魔師エクソシストとしてはどうだろう。まぁ、あの父親なら、お前がなぁ!と笑い飛ばしそうだけれど、多分、シュラさん辺りには盛大にからかわれるに違いない。
まぁ、どちらにしろ、ここに、彼の傍に長居するのは良くない。何となく直感で悟って、僕は今日の夕方にはここを出ようと思った。その前に村長に挨拶をして……、と僕は頭の中で予定を立てていると、ドンドン!と慌しく部屋の扉を叩く音がして、何となく、嫌な予感がした。
扉の外で祓魔師エクソシスト様!と僕を呼ぶ焦った声に、僕は扉を開ける。すると外にはこの村の村長である男がいて、僕の顔を見るとホッと安心した顔をしつつも、切羽詰まっているのには変わりないらしい。

「どうかしましたか?」
「た、大変です!とにかく、付いてきて下さい!」

状況を、と言いかけて口を閉じる。この様子じゃ何を聞いてもムダだろう。僕は腰に下げた愛銃を確認して、村長の後に続いた。

村長に連れられてやって来たのは、一軒の家。なんの変哲もないごくごく普通の家で、この家がどうかしたのだろうか、と思った。だが、その家の周りには大勢の人が溢れていて、何かがあったのは明白だった。
ぜいぜいと息を切らせる村長に説明を求めるため、僕は視線を送った。だが、それに村長が答える前に、家の周りを囲っていた村人たちが口々に叫び始めた。

「この異端者!」
「今まで俺たちを騙して、一体何を企んでいた!?」
「魔女復活だ!」

口々に村人から飛び出すその言葉に、僕は背筋に悪寒が走るのを感じた。
まさか。まさか。
ごく、と唾を飲むと、ようやく落ち着いたのか、村長が僕を見上げてきて。

「あの家に住む少女が、その、どうやら、悪魔が視える異端者だというのです。……確かにあの子は誰もいないのに一人で喋っていることが多く、以前から何となく行動が可笑しかったのです」

恐ろしい、と村長は恐々と話す。僕はその姿に、だから僕にどうしろと?と冷静に返した。すると彼はちらりと家を見た後に。

「悪魔が視える異端者は、祓われるべき存在です」

そう、断言して。
僕は、吐き気がした。だが、この村の長である彼の決断を、僕がとやかく言うことはできない。

「……。それは正式な依頼と取っても?」
「構いません。代金の方はきちんとお支払い致します。だからどうか」

悪魔祓いを、と村長は言う。だから僕は、一度だけ頷いた。それに村長は、安心したような顔をした。
そして僕は、未だに家に向かって叫ぶ村人たちを見た。まるで取り憑かれたように叫ぶ彼らこそ悪魔のようだと思ったけれど、僕は口には出さなかった。
ゆっくりと眼鏡を押し上げて、腰に下げた愛銃を手に取る。そして天に向かって、一発。
ぱぁん!と乾いた音がその場に響き渡り、シン、と静寂がその場を支配する。
僕はそれに満足しつつ、口を開く。

「静かに!村長のご依頼により、僕が家に入ります。だから、貴方たちは大人しくしていて下さい」

暗に邪魔だと言っているのだが、頭に血が上っていた彼らは一瞬呆けた顔をした後に、ワッと完成を上げた。

祓魔師エクソシスト様!」
「神の御使い様!」

僕を囃し立てるその言葉に、僕は口元を吊り上げる。全く、鬱陶しい連中だな、と。
だかその分、仕事がしやすくなった。
僕は銃を持ったまま、家に向かった。周りには僕にすっかり信頼を置いた村人たち。そして家にいるのはきっと、緑男と一緒に居た、あの子だ。

それなら、僕のやることはただ一つ。

僕は家のドアノブに手を掛けながら、一瞬だけ過ぎった彼の顔を、振り切った。





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