Think Back ××× 前




夏休みまで、あと一ヶ月を切ったある日の授業中。兄さんは教卓に立って、プリントを持って来た。

「えーっと、注目な!夏休みまで後一ヶ月くらいになったけど、皆には候補生認定試験が夏休み前にあります。候補生になったら、より詳しい実践訓練が待ってるんで、試験は結構難しい。ので!来週から一週間、試験のための強化合宿を行うことになりました!」

兄さんはプリントを配りながら、試験は大変だぞ!と笑う。僕は配られたそれを見ながら、ほんの少し眉根を寄せる。
プリントには合宿の参加の有無と、取得予定の称号マイスターを選ぶ欄があった。
……正直、僕はどの称号を取得するのか迷っていた。兄さんを守るためには、やはり同じ騎士の称号を取った方が良さそうだけど、でも、それは兄さんに止められているし、実際、僕が刀や剣を振れるのかを聞かれれば、答えは否だ。
だとしたら他の称号になるのだけれど、未だに僕は自分がどんな風になりたいのか、具体的な考えが浮かばずにいる。
兄さんを守る。その為に、強くなる。
その誓いは固くても、実際、強くなるためにどうすればいいのか、全くの手探り状態。
進んでいるのかさえ怪しいその状態に、僕は最近焦りを覚えていた。

じっとプリントを見つめて、僕はギリリ、と奥歯を噛み締めた。



その次の授業では、魔法円・印章術の授業だった。講師である神木先生は、教室の床に複雑な円を描いて、僕たちを見渡した。

「この魔法円は手騎士テイマーが自分の使い魔を呼び出すのに必要なものです。そして、召還には自分の血と、適切な呼び掛けが必要になります」

神木先生はそう言うと、自分の指先をカッターで少し切りつけて、血を床に垂らした。そしてスッと目を閉じて。

『稲荷神に恐み恐み白す 為す所の願いとして成就せずということなし』

先生がそう唱えると、リン、という鈴の音と共に、白い狐が二匹も現れた。

「これは白狐という悪魔で、日本の獣に憑いて人々と共存し、時には神の使いとして奉られる存在です。このように、悪魔を召還して使い魔にできる人間はかなり少ない。悪魔を使うことのできる強い精神力と、天性の才能が必要だからです」

先生は一通り説明し終えると、魔法円を足で踏んだ。すると、白狐はフッと姿を消した。

「このように、召還した悪魔は、魔法円を消せば消えます。さっき皆さんに配った紙は、この魔法円を略図化したものなので、もし身の危険を感じた場合は、すぐにその紙を破いて下さい。いいですね?」

そう強く念を押して、神木先生は一つ頷いた。

「では、これから皆さんに悪魔を召還する能力、つまり手騎士テイマーになる資格があるのかをテストします。渡した紙に自分の血を垂らして、思いつく言葉を唱えてみてください」

僕は手に持つ円の描かれた紙を見下ろした。そして、自分の指に針を刺して、ぷつりと浮き出た血を押し付ける。
思いつく言葉……。ダメだ、何も思いつかない。
僕は半分だけ項垂れた。まぁ、僕にそんな手騎士テイマーの素質があるとは思って居なかったけれど、全く期待していなかったといえば嘘になるから。
全く反応しない魔法円を閉じて、僕は他の生徒を見た。誰も召還はできていないようで、手騎士テイマーの素質を持っている人は居なかったのだろうかと思っていると、一人、教室の壁にもたれていた男子生徒が、揚々とした声で。

『テュポエウスとエキドナの息子よ 求めに応じ 出でよ』

そう言い放つと同時に、紙が白い煙を吐いた。ムッと鼻に付く硫黄の臭いが教室中に充満する。
そして彼が召還したのは、まるでテレビに出てくるゾンビのような、グロデスクなイキモノで。
神木先生はそんなグロデスクな悪魔に動じることはなく、淡々と男子生徒を一瞥して。

屍番犬ナベリウスね。見事だわ、イゴール・ネイガウス君」

召還に成功した彼、ネイガウスというその男子生徒は、先生にそう褒められても特に気にする様子もなく、己が召還した悪魔を見上げた後に、さっさと紙を破いてしまった。
なんだか、口数の少ない生徒だな、と僕はその時思った。

「今年の手騎士候補は一名ね。これでも多い方だわ。この召還ができる手騎士は稀少で、全くいない年もあるくらいだし。今年は楽しみね」

先生は小さく笑って、ぐるりと僕らを見渡して今日の授業の終わりを告げた。



授業が終わり、僕は帰り支度を整えた。今日は兄さんの帰りも早いって言っていたから、久々に二人でのんびりできそうだし、と僕が帰りを急いでいると、背後から、おい、と呼ばれた。誰を呼んでいるのか分からずに取り合えず振り返ると、さっき召還に成功したネイガウス君が僕を見ていて、どうやら彼は僕に用があるらしいと気づく。
内心でなんだろう、と首を傾げつつ、なんですか?と問いかけると、彼は少し言いどよんだ後。

「奥村先生、いや、お前の双子の兄は、上一級の祓魔師だったよな?」
「……そうだけど、それが何か」

僕はその時、少しだけ違和感を覚えた。それが何なのか分からなかったけれど、僕は次の瞬間、彼が発した言葉で全てを理解した。

「その、奥村先生が実はサタンの血を引いてるって、ホントか?」
「……!」

僕は、息を呑む。どうしてそのことを?とも。確か、兄さんがサタンの血を引いていることは上層部しか知らないことで、こんな下っ端である訓練生には耳に入らないはずなのに。
僕が驚いていると、ネイガウス君は取り繕うように、噂なんだけど、と前置きして。

「でも、結構出回ってる噂だ。上一級祓魔師の奥村燐は、魔神サタンの焔を受け継いでいるって。それで、正十字騎士団は、奥村燐を生かす方法として、祓魔師になることを条件としたって」
「……」

そんな深い事情まで出回っているのか!?と僕は驚愕した。内心で冷や汗をかきながらも、僕は必死に笑みを作る。

「何を言っているんだ?僕と兄さんは双子だよ?もし兄さんがサタンの焔を受け継ぐ悪魔なら、僕だってそうだろ?でも僕は人間だ。だから、そんな噂はデマだよ」
「そう、か……」

僕がそう言うと、ネイガウス君は少し安心したようだ。その顔を見て、僕もホッとする。どうやら誤魔化せたみたいだな、と思っていると、彼は右目を覆っている眼帯に手を伸ばして、そっと撫でた。

「この目はな、『青い夜』の時に、サタンに憑依された俺の父さんに付けられた傷のせいで、失明してるんだ」
「え?」
「だから俺は、絶対に悪魔を、サタンを許さない。必ずこの手で、復讐するって決めてるんだ。だから、奥村先生がサタンの息子だって噂を聞いて、君に確かめたかったんだけど。デマだったみたいだ」

ごめんな、とネイガウス君は表情の読めない顔でそう言いながら、教室を出て行った。僕はその背中を呆然と見つめた。
『青い夜』。そして、出回っている兄さんの『噂』。
僕は混乱した頭の中でふと、この前言われた勝呂先生の言葉を思い出す。

『……まぁ、あの奥村の弟なら、これから色々と苦労するやろうけど、頑張ってな』

もしかして、あの言葉はこのことだったのだろうか?
僕はいてもたっても居られなくなって、急いで教室を後にした。


勝呂先生は今射的場に居る、と言われて、僕は急いでその場所へと向かった。
射的場は、僕たちが住む旧男子寮の近くにあって、すぐに見つけることができた。
僕が中に入ると、勝呂先生はヘッドフォンをして黒光りする銃を構えていた。同時に、派ァン!という破裂音が響いて、的に命中する。
僕が入ってきたことに気づいていないのだろうが、どちらにしてもすごい集中力だ、と僕が感心していると、勝呂先生は銃を下ろして、こちらを見た。

「おう、奥村弟!どないした?」

先生は笑って、僕を手招きした。僕は一度頭を下げて、先生に近づく。

「すみません、お邪魔してしまって」
「別にええよ。もう終いにしよう思ってたとこやし。それに、何や思い詰めた顔しとるやないか。何かあったんやろ?……奥村、いや、お前の兄貴のことで」
「!」

僕はハッと顔を上げた。すると勝呂先生は苦笑を漏らしていて、もしかして僕がこうして彼を訪ねることを分かっていたのだろうか、と思う。
僕は何となく悔しい思いを感じつつも、一つ深呼吸をして。

「勝呂先生。あなたはご存知なんですか?その、兄さんが……」
「あぁ、サタンの息子ってことやろ?知っとるよ」

頷く勝呂先生に、やっぱり、と確信する。言動の節々から、何となくそんな印象を受けていたんだ。
僕は少し安心して、だったら、と続ける。

「それなら、兄さんの『噂』も当然ご存知ですよね?」
「奥村が実はサタンの息子、ってヤツやろ?俺だけやなく、多分奥村自身も知っとると思うけどな。まぁ、人の口に戸は立てられへんし、実際、事実やしなぁ」

のんびりとした返答に、僕はぐっと手のひらを握り締める。そんなのん気でいいのか、と言いそうになって、先生に視線で諭された。

「別に、この噂は今出回ってるもんやない。ずっと昔から、それこそ俺や奥村が候補生くらいの頃には出回ってたもんや。別に今更気にする必要はない。ただ、今年は奥村の双子の弟のお前が入学したからな、余計に噂に火が付いたんやろ」
「……僕が……」
「あー、ちょい待ち。たとえそうだとしても、お前が気に病む必要はないやろ。お前はお前、奥村は奥村や。奥村だって、そう言われるのはもう慣れっ子になっとるやろうし」

そう言って、勝呂先生は苦笑した。
たとえ慣れていたとしても、兄さんはきっと傷ついているはずだ。僕はそう抗議しようとしたけれど、勝呂先生の表情はどこか遠くを見るようで、僕よりも兄さんを知っている、と言いたげな顔をしていた。

「俺や奥村、杜山さんたち同期の奴らが、まだ候補生に上がったばっかりの頃や。林間訓練ということで、この学園の森林区域にキャンプをしたことがあった。そん時、何かの手違いか何か分からんけど、上級悪魔が俺たちを襲ってきてな。まだ訓練生になったばかりやったし、付き添いの先生は他の悪魔を祓うので手が一杯で。俺たちが、その上級悪魔に殺されそうになった」
「え!?」
「だけどその時、助けてくれたんが、奥村や。奥村は、ホンマは正体を隠しとかなあかんのに、アイツ馬鹿やから、剣を抜いて自分が悪魔であることを明かしたんや。そこからはもう上層部は大騒ぎ。俺たちもまさかサタンの息子が自分たちと同じ塾生だったなんて信じられんでな。……アイツは俺らを守ってくれたのに、色々と酷いことをしてしまった」
「……」

そう言って、手の中にある銃を弄んでいた勝呂先生は、カチリ、と安全装置を外して。

「それから色々あったけれど、俺は奥村に感謝しとるし、今は大事な友人やと思っとる。アイツが助けてくれた恩を、返したいと。……アイツ、ほんまの馬鹿やから、自分がどんだけ傷つこうが苦しもうが、全部隠して背負って笑うからな。ほんと、気に喰わん野郎や」

悪態を付きながらも、先生の目はどこまでも優しい。
僕はそんな先生の横顔を見つめながら、悔しい、と思った。誰よりも兄さんを理解して、守ろうとしている人が、僕の他にもいる。それは喜ばしいことのはずなのに、僕は心のどこかで嫉妬している。兄さんを守る存在は、僕だけでいい、だなんて。
とんだ思い上がりだと僕は自嘲していると、先生が僕を呼んで。

「これからお前が行こうとしている道は、そうたやすい道やない。そやけど、それでも進む言うんなら、俺は全力で協力するつもりや」
「……ありがとうございます」

ニッと笑った勝呂先生は、よし!と気合を入れて、握っていた銃を僕に向かって差し出した。きょとんとしていると、先生は撃って行くか?と言って。
僕は何となくそんな気分になって、頷きながら先生の銃を受け取った。ずしり、と手のひらに重く圧し掛かるその重みに、僕はぎゅっと強く握り締めて。
今はとにかく前に進もう。迷っている暇なんて、ないんだ。
そう決心して、銃を構える。それを見ていた勝呂先生が、突然、あっと声を上げて。

「そうそう奥村弟。俺は別に奥村をお前から奪うつもりはないから、そのつもりでな」
「ッ!?」

飄々とそう言われて、僕は固まった。何を!?と先生を見れば、にやにやと嫌な笑みを浮かべていて。

「さっき俺が奥村の話をしたときに、えらい怖い顔しとったからな。勘違いしとるといかんと思って」
「勘違いって……」
「俺はそういう対象で奥村を見とらんから、安心せえゆうこっちゃ。お前、そういう意味で奥村のことが好きなんやろ?」
「ッッ!」

僕はカッと頭に血が上った。多分、顔は真っ赤になっているに違いない。
なんで!?どうして!?と動揺していると、先生は呆れたような顔をして。

「なんや、バレてないと思っとったんか?あんだけわっかりやすい目つきしとって。あぁ、奥村本人が気づいとるかは分からんけどな。少なくとも、俺にはバレバレやったし。この前聞いた話によると、杜山さんにもバレとるんやないかな。応援してる!って言っとったし」
「う!?えぇ!?」

も、杜山さんにまで!?
僕は絶句する。そして兄さんの同期の人はどうしてこうも聡いというか、同じ年とは到底思えないほど落ち着いているというか、大人びているというか、と頭を抱えた。




その後、散々兄さんとのことについてからかわれながらも、銃の扱い方を教えて貰った。勝呂先生の教え方は丁寧で分かりやすい。今度もまた時間を貰って教えて貰おうかな、と思いつつ、僕は帰路についた。

「ただいま」
「お!おかえり」

僕が部屋に入ると、兄さんが満面の笑顔で迎えてくれた。僕も笑顔でそれに返すと、兄さんはちらりと時計を見て、今日はちょっと遅かったな、と言う。僕は制服の上着を脱ぎながら、勝呂先生と銃の撃ち方について教えて貰っていたことを話した。

「へぇ、お前が銃ね。……ふぅん?」

兄さんはへぇ?ほぉ?と言いながら、僕をしげしげと見る。そして何かを納得したのか、うんうんと頷いて。

「まぁ、勝呂は元は京都の寺の跡取りでな、銃の扱いだけじゃなくて詠唱もすっげぇ上手いから、今度習うといいよ」
「へぇ、凄いんだね、勝呂先生」
「おう!アイツ、昔っからすっげぇカッコいい奴なんだよ!」

兄さんはそう言って、自分のことのように勝呂先生のことについて話し出した。林間訓練のときに大きな蛾に襲われそうになったのを、助けてもらった、と。あの時の勝呂はめっちゃカッコよかったんだよな!と無邪気に笑う兄さん。僕はうんうん、と相槌を打ちながら、内心でかなり面白くなかった。多分、相当ピリピリした雰囲気を出していたかもしれない。勝呂先生の話をしていた兄さんは、ふ、と口を閉ざして、僕を伺うような目をした。

「雪男?……なんか、機嫌悪くね?」
「そう?気のせいじゃないかな」

そう言いながらも、僕は自分の声が硬いのを自覚した。自分でも分かるくらいだから、兄さんもきっと分かるだろうな、と思っていると、案の定兄さんは唇を尖らせて。

「やっぱり何か機嫌悪いぞ、お前。何かあったのか?もしかして、誰かに苛められたりとかしてるんじゃねーだろな?」
「……ッ」

その瞬間、僕はカッと頭に血が上った。
兄さんの言葉は、まだ僕が苛められて兄さんの保護対象だった時のものと、何も変わらないからだ。僕を背中にかばって傷ついていたあの頃と、同じ言葉。僕がまだ幼かったのなら、その言葉は何よりも力強い言葉になったかもしれない。
だけど今の僕は、兄さんを守りたいと思っていて。その為に、強くなろうとしていて。
それなのに兄さんは、いつまでも僕を守りの対象にしている。背中で怯えていただけの弟としか、僕を見ていない。
それが、悔しい。悔しくて、苦しくて仕方ない。
僕は高まる気分のまま、キッと兄さんを睨んだ。僕の態度に驚いたような顔をした兄さんに、構うことなく。

「……兄さんは、自分勝手だよ。僕のことなんて、全然分かってない」
「ゆき、お……?」
「ッ、僕がどんな思いでいるのかなんて、兄さんには分かりっこないよ!」

僕は一方的にまくし立てると、兄さんを見ることなく、自分のベッドに横になって布団を被った。その間兄さんはすごくオロオロとしていけれど、僕は視界を布団で遮ってぎゅっと目を閉じていたので、その後の兄さんの様子を知ることはなかった。
ただ、しばらくの間呆然と僕を見ていた兄さんだったけど、どこか戸惑ったような声で。

「えっと……、その、雪男……」

弱弱しい兄さんの声。だけど僕は布団から出ない。少し良心が痛んだけれど、でも、どうしても素直になれなくて。
重たい沈黙が、部屋に満ちる。
だけどそれは数分も経たないうちに鳴り響いた兄さんの携帯の着信音で掻き消された。兄さんはただ淡々と電話に出て、何度か返事をした後に、通話を切っていた。

「雪男、俺、急な任務に呼ばれたから、行くな?……晩飯は用意してるから、後で食べておけよ?」

いいな?と囁くような声でそう言った兄さんは、そっと部屋を出て行った。部屋に一人になった僕は、誰も居ない部屋に向かって、小さく兄さん、と呼びかけていた。
もちろん、返事は無かった。





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