Think Back ××× 後




そんなことがあってから迎えた、強化合宿。僕と兄さんの仲はまだ修復されていない。
兄さんは何度も僕を伺っては、話し掛けようとしてくれたけれど、僕はすごく意固地になっていたし、あんな風に怒った手前、何て顔をして謝ればいいのか、何に対して謝ればいいのか分からなくて、半ば兄さんを無視するような形になってしまった。
このままではいけない。そんなの頭では分かってる。
けど、僕は心に抱えた色々なモヤモヤのせいで、素直になれずにいた。

「今回の合宿は、二年生との合同になります。こんな時じゃなきゃ上級生との交流はないから、色々と質問するといいでしょう」

兄さんはいつもよりも講師らしく、丁寧に説明した。僕たちだけじゃなく、二年生もいるからだろうけど、それにしてはまるで別人のようなその横顔に、僕はいつも以上に兄さんとの距離を感じた。
やっぱり、兄さんは上一級の祓魔師だ。纏う雰囲気からして、違う。そんな兄さんを見るたびに、僕は自分一人が空回っているような気分になる。

「じゃあ、そういうことで、この一週間、皆で仲良くして下さいね」

兄さんはにっこりと微笑むと、さっさと片づけをして教室を出て行ってしまった。
……兄さん。
僕はその背中を見つめて、ふぅ、と一つため息を付いた。



「奥村。ちょっとええか?」

合宿一日目が終わり、ノートやら何やらを片付けていた僕は、勝呂先生に呼ばれた。僕は何となく呼ばれた理由を察して、気まずい思いをする。案の定、二人きりになると勝呂先生はほんの少しだけ言いにくそうな顔をした後。

「その、あんまり立ち入ったことはしたくないんやけど。お前ら、今喧嘩しとんのやろ?」
「……、はい」
「まぁ、そりゃあ兄弟やし、喧嘩するのは当然やと思う。俺もそんなことでとやかく言いたくはないんやけど。お前たちの様子があまりにもおかしかったから、ちょっと気になってな」
「……―――」
「奥村はアレでいて強情やから、俺が何言っても聞かんやろうし。そんなら、お前に聞いたほうが早い思うてな。……まぁ、これは兄弟間でのことやから、外から言うことやないけど、なるたけ、早う謝った方がええよ?」
「……、分かっては、います」
「その割には、納得しとらんっちゅー顔やな」

勝呂先生は僕の応えに苦笑しつつ、意外やな、と言う。

「お前、物分りいい顔しとるけど、やっぱり双子なんやな。意地っ張りなとこはそっくりや」
「……」

そのまま黙り込む僕に勝呂先生は笑って、言いたいことは伝えたから、と去って行った。その背中を見つめながら、どうして同じ年なのに、こんなにも違うのだろう、ともどかしく思う。
勝呂先生は、兄さんの隣に並べるだけの力がある。まだ、背中に隠れていなければならない僕なんかとは、全然違う。
それはしょうがないことだし、これから強くなればいいのだと、頭では分かっているはずなのに。
……、兄さん。
僕は、貴方を守れるだけの強さが欲しい。



そんなことがあった、次の日。
合宿も二日目になり、最初は馴染めなかった先輩たちとも打ち解け始めたある休み時間のこと。
ある二年の先輩が、僕の方に近寄ってきて、ニヤニヤと感じの悪い笑みを浮かべた。その笑みに何となく眉根を寄せると、先輩は僕を見下ろして。

「なぁ、奥村。お前の兄貴が実はサタンの息子だって噂だけど、ホント?」
「……」

僕は正直、うんざりとした。その噂が出回っていることは、この数日間で嫌というほど実感したし、実際、弟である僕にその真意を聞いてくる人は結構多かった。
その度に訂正して、その噂はデマだから皆に伝えて欲しい、と言っていたのに。やはり弟である僕が入学したことで、噂に拍車が掛かったとみて間違いないだろう。
僕はため息を付きそうになるのをぐっと堪えて、笑みを作る。

「いいえ?兄さんはサタンの息子ではありませんよ。その証拠に、僕は普通の人間です。兄さんが悪魔なら、双子の弟の僕だって悪魔ですから」
「ふぅん?」

この言葉で、大概の人は納得してくれる。先輩もそれで納得してくれるだろう、と思っていると、予想に反して、先輩はでもさぁ、と話を続けて。

「奥村先生、妙にガードが固いじゃん。いつっも暑そうなコート着てるし、聞いた話によると、海浜訓練の時にも他の先生は涼しそうな格好をしてたのに、奥村先生だけはいつものコートを着てたって。何かそれ、おかしくないか?」

どう思う、奥村君?と意地の悪い笑みを浮かべる先輩。その雰囲気は完全に面白がっていて、僕は内心でカチン、と来た。だけどこの男が先輩である以上、ぐっと言葉を飲み込んだ。
それに、兄さんがその時半袖にならなかったのは、多分、焼けたくなかったからだと思う。兄さんは日焼けすると赤くなって終わるタイプで、それをすごく気にしていたから。
そんな些細なことでさえ、何で責めなければならないのか。僕がイライラとしていると、先輩は更に続けて。

「それに、奥村先生は候補生の頃、すっげぇ馬鹿だったらしいのよ。祓魔師になれたのが不思議なくらい勉強ができなかったって。だったらさ、悪魔の力で祓魔師になれたんじゃねーの?」
「!」

先輩が何気なく放ったその言葉に今度こそ、頭に血が上った。
僕はバン!と机を叩いて、ギッと先輩をにらみ付けた。そして、ぐっとその胸倉を掴んで。

「お前なんかに、兄さんの何が分かる!兄さんのことを何も知らないくせに、分かったようなことを言うな」
「はは、何キレてんの?んなマジになることないじゃん」

ちょっとした冗談だよ、と笑う先輩。だけどそれさえも僕の頭の血を上らせるには十分で。
今度こそ本気で、この目の前の男を殴ってやろうか、と思ったその時。

「はい、そこまで!」

胸倉を掴む僕の腕を掴んで、僕たちの間に入ったのは、兄さんだった。
兄さんは僕と、そして先輩を見て。

「俺、この合宿の前になんて言ったか覚えてるか?『皆で仲良くして下さいね』と言ったんだ。喧嘩しろとは言ってないだろ」

静かな声だ。兄さんにしては珍しい、感情の起伏が見えない、声。
ゆっくりと見上げた兄さんの瞳に、先輩は少し慌てた様子で。

「先生、これはコイツが勝手にキレただけですよ。俺は何も悪いことはしていない」
「……」

その言葉に、僕は俯く。全くもってその通りで、先輩は何もしていない。実際に手を上げたのは僕で、先輩はただ立っていただけ。どちらが悪いのかなんて、明白だ。
僕が黙っていると、兄さんが小さく笑う気配がして。

「この合宿の意味を、まるで分かってぇな。この合宿は、他の人との交流も兼ねているんだ。そこで喧嘩するなんて言語道断!……というわけで、お前と奥村君は反省文を書いて今日中に提出すること!いいな」
「何で俺が!」

兄さんの言葉に、先輩は食って掛かった。すると兄さんは、喧嘩両成敗っていう言葉を知らねーの?なんて首を傾げていて。馬鹿にされたと思った先輩は、それでも黙ったまま、かなり不本意そうに分かりました、とだけ言って、自分の席に戻っていった。
僕がその背中を見送っていると、兄さんが僕の手をぎゅっと握り締めてきて。

「後で、話があるから」

そう囁くと、教卓の方に行ってしまった。
じゃあ、教科書開いて、と授業を始める兄さんの声を聞きながら、僕はぐっと手のひらを握り締めた。



授業も終わり部屋に戻ると、兄さんが先に帰ってきていた。いつも忙しい兄さんは、僕よりも遅く帰ってくることが常だったから、少し驚いた。
ベッドに座っていた兄さんは難しそうな顔をして、僕を手招きをする。少し緊張しつつ兄さんの傍まで行くと、兄さんは僕をじっと見上げて。
黙ったまま、僕の腰にぎゅう、と抱きついてきた。

「に、兄さんッ?」
「……」

いきなりのことに驚きながら、僕は兄さんの頭を見下ろす。兄さんはじっと黙ったまま、僕の腰にしがみついていて、何だか落ち着かない気分にさせる。
僕がソワソワとしていると、兄さんはぽつり、とごめんな、と囁く。弱々しいその声に、僕は息を呑む。

「……ごめん、ごめん、雪男」
「……謝るってことは、僕がなんで怒ってるのか、分かったの……?」

何度もごめん、と謝る兄さんに、僕は少し冷静になってそう問いかけた。だけど兄さんはふるふると首を横に振って。

「それも、ごめん。俺、ずっと考えてたけど、雪男がなんで怒ってるのか、分かんなくて。だから、それもごめんって、謝りたくて」
「兄さん……」
「それに、噂のことも。俺のせいで、雪男があんな風に言われてるって知らなくて。……ごめん。でも……俺、嬉しかった。誰に何を言われても平気だったけど、でも、雪男があんな風に怒ってくれて、すっげぇ、嬉しかったんだよ」
「!」

兄さんの声が、少し掠れていて。僕はハッと兄さんの頭を見下ろした。
細い、その両肩。僕よりも、小さな兄さん。
それなのに、強くて優しいから。誰だって、勘違いをする。
兄さんだって僕たちと同じ、十五歳なんだってことを、忘れてしまう。
僕は、腰にしがみついて震える兄さんを、本当に、心の底からすきだと思った。

「……僕も、ごめん」

だから自然と、その言葉は口に出ていて。あんなにも意地を張っていたはずなのに、するりと口から放たれていた。
僕はぎゅ、と兄さんを覆うようにして、抱きしめ返して。

「僕、少し焦ってたんだよ。だって、兄さんは祓魔師として立派になってて、でもそれに対して僕は全然で。……僕は、早く強くなりたいのに」
「……雪男……」
「でも、それで兄さんを苦しませたら、本末転倒なのに、ね」
「……、俺は、別に……」

大丈夫だよ、と兄さんは僕に抱きつきながら、小さな声で強がるから。
僕は黙って、その体を抱きしめた。

ただ、その髪に顔をうずめて。
すきだよ、と兄さんには聞こえないように囁く。
だけど兄さんはその瞬間、バッと顔を上げて、顔を真っ赤にしていた。え、と呆気に取られる僕に、兄さんは真っ赤な顔のまま、う、あ、え、と意味不明な言葉を言いながら、口をパクパクさせていて。

「兄さん……?」
「う、うわああああ!このエロ眼鏡がぁあああああああ!」

困惑しながら兄さんを呼べば、兄さんはそう叫びながら部屋を飛び出して行ってしまった。

「……アレ?」

僕はその背中を呆然と見送って、いきなりどうしたんだろう?と首を傾げる。
まさかこのとき、聞こえないように囁いたはずの言葉が、兄さんに届いたなんて、予想だにせずに。




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