CINDERELLA Boy 中
そして、何やかんやありつつも、文化祭当日。
某ねずみの国を沸騰とさせるパレードや、秀才と呼ばれるはずの生徒たちが催す、テンション高めのステージ。いつもは静かな校舎内には、生徒や外部の人間で溢れ、どこか違った印象を与える。
その人ごみの中を、雪男は歩いていた。後夜祭の準備が終わり、時間ができたので燐の教室に行こうとしているところだ。
約束したしね、と内心でひっそりと笑う。
すると背後から、雪ちゃん!と見知った声が聞こえて、振り返る。人ごみの向こうにしえみがいて、こちらに手を振りながら近寄ってきた。
「しえみさん、来てたんですね」
「うん、燐のクラスが喫茶店してるって聞いて。雪ちゃんも燐のとこに行くの?」
「ええ、これから行くんですが。一緒にどうです?」
「ほんと?良かった!教室の場所が分からなくて困ってたの」
言いながら、二人は燐の教室へと歩き出す。時々、人ごみに流されそうになるしえみを気遣いつつ、パレードが良かったと話すしえみに雪男は笑顔で相槌を打つ。
そんな二人の様子を影から見て、女子生徒は「誰よあの女!」と嫉妬剥き出しに睨んで、男子生徒は「モテる男は違うよな」と羨望の眼差しを送っていた。
「あ、ほら、あそこですよ。兄さんの教室」
雪男がそう言って指した先、そこには結構な人だかりが出来ていた。燐たちのクラスは、それなりに繁盛しているらしい。教室から出てきた女子生徒が、お菓子が美味しかったね!と口々に騒いでいた。
「わぁ、凄い人の数だね。座れるかな?」
「あぁ……どうでしょう?」
雪男が教室の中を覗くと、ほとんどの席が埋まっていたが、まだ少し空きがある。これなら大丈夫だろうと判断して、しえみに大丈夫そうですよ、と中に入るのを促した。
「いらっしゃいませ!っと、奥村君じゃない!」
笑顔で出迎えた女子生徒が、雪男の顔を見て歓声を上げる。それを聞きつけて、他のウエイトレスの女子生徒たちもわらわらと雪男に群がった。
「来てくれたんだね、奥村君!」
「さ、座って座って!サービスするから!」
「ちょっと!私が先に出迎えたんだから、私が案内するわよ!」
きゃいきゃいと言い争う女子生徒たちを前に、少し困惑気味の雪男。困ったな、と半分笑みを引きつらせていると、奥の方から「奥村先生?」と声が聞けて、目を向ける。
奥の席に塾の生徒である志摩と子猫丸がいて、助かった!とばかりにそちらに向かった。
「こんにちは、奥村先生。先生も奥村君の様子見に?」
「えぇ、まぁ」
「しっかし、奥村先生は相変わらずモテモテですなぁ。羨ましいですわ」
「あはは……」
乾いた笑みを見せながら、雪男は志摩たちが座っているテーブルの隣に腰を下ろす。しえみもそれに習うように座るのを見て、改めて教室内を見渡した。
先ほどまで騒いでいたウエイトレスたちも、店のことを思い出したのか忙しそうに動き回っている。だが、燐の姿はどこにもない。恐らく、裏方にいるのだろう。
「奥村君、ご注文は?」
きょろきょろと周囲を見渡していると、ウエイトレスの一人が声を掛けてきた。先ほど雪男に群がってきた女子ではない。それにホッとしつつ、コーヒーとマフィンを頼む。
しえみはメニューを見て散々迷っていたようだが、ハーブティーと苺のショートケーキを頼んだ。
それをメモに書き込みながら、そうそう、と女子生徒は雪男を見て。
「奥村君のお兄さん、すっごく料理が上手なんだね。この喫茶店の料理、ほとんどお兄さんが作ってるんだよ」
「ええ、まぁ。兄は料理がとても得意なんで」
「最初に喫茶店をするって決めたとき、料理はウエイトレス以外の女子がすることになってたんだけど、あまりに不器用でさ。それを見てた奥村君が、すっごく美味しいケーキを作ってくれて。それで料理長になってもらっているんだよ」
凄いね、と感心したように笑う女子生徒に、兄がお役に立っているようで、と笑う。だけど、その顔は半分だけしか笑っておらず、それを見た志摩と子猫丸は背筋が凍るのを感じた。
……奥村先生、何か怒ってはるみたいや。
……ほっとき。関わったら痛い目みるで。
二人は目を合わせて、そんな会話をしていた。
雪男の様子に最後まで気づかずに、女子生徒は奥のほうに消えていった。それを目で追いつつ、ざわりと騒いでいた心を落ち着かせるように、息を吐く。
……兄さんの料理の腕を褒められて嬉しいはずなのに。
……兄さんの手料理を僕以外の奴が食べたのだと思うと、それが少し嫌で。
そんな感情を隠すように眼鏡を押し上げる。すると、奥から燐が顔を覗かせて。
「雪男!それに皆も、来てくれたのか!」
ぱ、と瞳を輝かせて、雪男たちの席にやって来た。手には雪男やしえみが頼んだモノがあって、どうやら燐が直々に運びに来たらしい。
「はい。ご注文の品です。……ちゃんと味わって食えよな!」
「うん、ありがと、燐」
いただきます、と両手を合わせたしえみが、わくわくと言った様子でケーキにフォークを刺す。ふんわりとしたスポンジが少しだけ沈んで、すぐに元に戻る。
ぱく、と一口食べたしえみは、すぐに顔を輝かせて。
「すっごく美味しい!さすが燐だね!」
「ま、まぁな!それほどでもあるよ!」
うんうん、と嬉しそうに頷く燐。もしも燐の尻尾が出ていたら、ぶんぶんと元気に振られているだろう。そんな燐の様子を見つめつつ、マフィンを食べる。甘く過ぎず、しっとりとした口当たりに、ひどく満足する。
「どうだ、雪男。美味いだろ?」
「うん、美味しいよ、兄さん」
雪男が褒めると、燐はだろ?と満面の笑みを浮かべる。そんな燐を雪男は、やっぱり可愛いな、と眺めていると、燐の後ろを通ろうとした生徒と燐が少しぶつかった。
その反動でよろけたものの、すぐに体制を戻した燐は、ごめん、と言いつつ振り返った。
すると、ぶつかったほうの生徒が、燐の顔を見て驚いたように目を見開いて。燐も、あ、と声を上げた。
「渡辺……?」
「アレ?誰かと思えば、奥村じゃん」
久しぶり、と、少し感じの悪い笑みを浮かべながら、渡辺と呼ばれた生徒は、燐たちのいる席のすぐ近くに腰を降ろした。赤みがかかった茶髪に、ギラギラのピアスを幾つも耳に付けた、いかにもガラが悪いですと言わんばかりの容姿をした彼は、燐を見上げてニヤニヤと笑う。
「お前、正十字学園に入学できたんだ?中学ん時荒れまくってたくせに。裏口でも使ったワケ?」
「……そういうお前こそ、やりたい放題やってただろーが。なんでこの学園にいるんだよ?」
「そりゃあ、色々と事情ってもんがあるんだよ。……それにしても」
ちら、としえみを見た渡辺は、ふぅん?と燐を見上げて。
「随分と高校生活エンジョイしてるみたいじゃん?カノジョ、お前の女?」
「は?ちげーよ!」
「そうなんだ?じゃあ、紹介してよ」
飄々と言い切る渡辺に、志摩たちが顔をしかめる。それを横目に、燐は内心で舌打ちした。
この渡辺という男は、中学のときに燐と喧嘩したことのある男だ。とにかく性質が悪くて、一度燐に負けて以降、力では勝てないと思ったのか、こうして嫌味のようなこと言ってくるようになった。
それも中学を卒業して、二度と会わないと思って安心していたのに、まさか正十字学園に入学しているなんて。
「すんませんけど、ナンパなら他でやってもらいます?」
燐が唇をかみ締めていると、志摩が顔をしかめつつそう言った。女好きの彼には珍しい台詞だが、渡辺の放つ嫌な雰囲気に何かを悟ったらしい。
渡辺はそこで初めて志摩の存在に気づいたらしい、お、という顔をして、志摩を見た。
「何、このピンク頭。奥村のトモダチ?」
「……、そうや」
「へぇ、あの奥村にトモダチ、ね」
心底感心したような顔をした渡辺は、にぃ、と口元を吊り上げて。
「あの『悪魔』にトモダチなんてできたんだ?」
そう、言い放って。
ビシリ、とその場の空気が硬直した。
そんな空気に気づいているのかいないのか、渡辺は心底可笑しそうに。
「お前と喧嘩したときのこと、俺は昨日のことのように思い出せるぜ?あん時はマジで殺されると思ったくらいだ。そんなお前にトモダチなんて、いい笑いの種じゃん」
「……、めろ」
「何なら、今この場に俺のトモダチも呼んで来ようか?今のお前を見たら、アイツらなんて言うかな?」
「……、やめろ!」
燐が押し殺したようにそう言い放った。だが、渡辺はそんな燐の声を無視して、あはは!と笑う。
「何弱気になってんの?『悪魔』なら『悪魔』らしく、力で黙らせればいいじゃん!あの頃みたいにさ!」
「……ッ」
燐が、息を呑む。
その瞬間、バン、と何かを殴る音が教室中に響いた。びく、と肩を震わせた燐が振り返ると、両手を机に置いた雪男が立ち上がっていた。
「ゆき、」
「すみませんが」
雪男の声は、いつもと同じだった。だが、燐や塾生たちには、分かる。
いつも冷静沈着で落ち着いている雪男が、ひどく怒っているということに。
雪男が燐の前に立つと、渡辺はぽかん、と雪男を見上げた。
「どなたのことをお話になっているのか、よく理解ができないのですが。今は文化祭中で、しかもここは喫茶店をしてるんですよ?それなら何か注文するのが筋でしょう?そうじゃないのなら、立派な営業妨害です。今すぐこの教室から出て行って下さい」
サラサラと出てくる語気の強い言葉。雪男の表情はあくまでも変わらないが、巻くし立てるように言われて、渡辺は言葉に詰まる。だがすぐに持ち直して、チッと舌打ちする。
「んだよ、ただの特進科の野郎が偉そうに。てめーにそんな権限なんてあるのかよ?」
「ありませんよ、そんなの。でも実際、皆が困っている。それを注意するのは一般生徒でもできるでしょう?」
違いますか?と雪男が眼鏡を押し上げる。それに同意するように、周りの生徒たちがうんうんと頷いていた。その様子を見て分が悪いと思ったのか、渡辺は乱暴に椅子から立ち上がる。
ギッと雪男を睨みつけつつ立ち去ろうとするその背中に、あぁ、そうそう、と雪男が声を掛けて。
「余計なことは考えないほうが、賢明ですよ」
痛い目に、合いたくないのなら、ね。
意味ありげに、雪男は笑う。だが、渡辺はそれに眉根を寄せただけで、何も言わずに去って行った。
その背を見送った雪男は、小さく息を吐いて振り返る。
「……、さて」
ぽかん、と呆気に取られたような燐や、しえみたち塾生を見て、にっこりと笑って。
「文化祭の続き、しましょうか」
何事も無かったかのように、自分の席に戻ってコーヒーカップを手に取る。皆が雪男の様子にハッと我に返って、そうそう!と無理に話をし始めた。それを見て複雑そうな、バツの悪そうな顔をした燐だったが、すぐにいつも通りの笑みを浮かべた。
「じゃ、俺、まだ仕事が残ってるから戻るけど、皆ゆっくりしてってくれよ!」
な?と雪男たちを見渡した燐は、慌しく奥の方に戻っていった。その後ろ姿を笑顔で見送ったものの、燐が居なくなるのと同時に、それぞれの顔色が少し沈んだ。
「……なんや、あの男。マジでムカつく野郎やわ」
「志摩さん」
苛立たしげにそう吐き捨てる志摩。その志摩を宥めるように呼ぶ子猫丸の表情も、どこか険しい。
「あの人には、見覚えがあります。中学の時の同級生で、確か、ご両親が政治家の家系だったと思います。だから、あんな人でもこの学園に入れたのでしょう」
「……、燐、大丈夫かな……」
しえみが心配そうに、燐が消えて行ったほうを見つめた。
どこか様子のおかしかった燐を、しえみは感じ取ったのだろう。それは雪男も同じで。
ギリ、と手のひらを強く握り締める。
燐は馬鹿だ。
底なしのお人よしだし、自分よりも他人が大事だと平気で言える、大馬鹿だ。
だから今回のことも、自分のせいで空気を悪くしてしまったのだと思っているに違いない。
……馬鹿だな、兄さんは。
もう何度目かになるか分からないその言葉を呟いて、雪男は燐の作ったマフィンの、最後の一口を口の中に放りこんだ。